
「責任ある積極財政」は米国のコントロール下に
「責任ある積極財政」は米国のコントロール下に入った様だ。きっかけは他でもない。高市早苗首相が飲食料品の消費税減税方針を表明した7月末、日米が協調して行った円買いの為替介入だ。円安インフレと言うべき物価高に喘ぐ国民に向けて、これ以上の円安は許さないという断固たる姿勢を示した反面、政府・日本銀行はトランプ米政権から強い利上げ圧力を受ける事になった。
消費税減税で縛られた金融主権と人事権
来年4月から飲食料品の消費税率を1%に引き下げる政策は一見国民の懐に優しい物価高対策の様に思われるが、財源の当てが無ければ円の価値を毀損し、却って円安インフレに拍車を掛ける恐れが有る。高市首相が本気で円安インフレを止めたいのであれば、消費税減税を断念する「君子豹変」が賢明なのだが、年初の衆院選で国民に約束した「悲願」の実行に拘った。しかし、2022年に財源無き減税でポンドの暴落を招いて退陣したトラス英元首相の二の舞は避けたい。そこでトランプ政権に泣き付いた代償が、財政・金融政策への露骨な米国の介入だ。
ベッセント米財務長官は8月末、自国で開催した主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の際に片山さつき財務相、植田和男日銀総裁と個別に会談して利上げを迫った。アベノミクス以来13年に及ぶリフレ政策(リフレーション=大規模な金融緩和と積極財政による緩やかなインフレ誘導政策)に終止符を打てとの要求だった。片山氏も植田氏も、国家として自律的に講じるべき財政・金融政策の主権を蔑ろにされて怒るどころか、米側の御説を拝聴して帰国。日銀による追加利上げを織り込んだ外為市場が大きく円高に振れる展開となった。
日米協調の円買い為替介入は、アジア通貨危機と日本の金融危機によって円が急落した1998年以来28年ぶりの事だ。今回はドル高を是正したい米側と思惑が一致した訳だが、アベノミクス(リフレ政策)の継承に拘ってきた高市政権としては「トラスショック」を回避する為の苦肉の策。「サナエノミクス=責任ある積極財政」の肝は、政府による戦略的投資をアベノミクスと組み合わせる点に有った筈だが、高市首相が悲願とする消費税減税の為に、アベノミクスの根幹だった大規模な金融緩和の放棄を米側に飲まされた形だ。金融主権を米国に明け渡すのが高市首相の描く「強く豊かな日本」の姿なのか。
日銀が政策金利の引き上げに踏み切れば、財政悪化の懸念から既に高水準で推移している長期金利を更に押し上げ、国債費の増大が政府の一般歳出を圧迫する。そもそも政府による戦略的投資なるものが本当に日本経済の成長に繋がるのかという疑問も有る中で、利上げが財政の余力を削り、金融機関の貸出金利の上昇が民間企業の投資を鈍らせるリスクをどの様に考えるか。アベノミクスの出口を探る上で、金融緩和政策のソフトランディングは何れ通らねばならない道ではあるが、それが消費税減税との引き換えでは割に合わない。利上げと財政悪化のダブルパンチが日本経済の成長を阻害し兼ねず、消費税減税による社会保障財源の不安定化が、結局は国民負担の上昇とサービス給付の削減という形で庶民の暮らしを直撃する最悪のシナリオも想定されよう。
消費税減税を強行する事で高市首相が縛られたものが、もう1つ有る。政権内の人事権だ。昨年の自民党総裁選で麻生太郎元首相の率いる麻生派から支持を受けた高市氏は、麻生氏を党副総裁に、麻生氏の側近・鈴木俊一氏を党幹事長に起用する麻生派重視の体制で政権をスタートさせたが、共に財務相経験者である麻生、鈴木両氏は消費税減税に慎重な立場だ。9月の内閣改造・自民党役員人事で、高市首相は旧安倍派の萩生田光一幹事長代行を幹事長に昇格させる事で麻生派支配から脱し、「自前の政権」と呼べる体制への転換を図ろうとしたが、麻生氏から消費税減税への協力を取り付けた引き換えに鈴木幹事長は留任。財務官僚出身の小林鷹之政調会長についても、麻生氏からの留任要求を受け入れた。
従って9月の内閣・自民党人事を経ても政権構造の骨格は変わらない。日本維新の会が閣内協力に転じた事が吉と出るか、凶と出るか。兎にも角にも高市首相は来年4月からの消費税減税に政権の存続を懸けた。その4月には統一地方選が有り、政権評価の1つの試金石となる。そして、その先の9月には自民党総裁選が待ち構える。其処で総裁再選を勝ち取り、長期政権の基礎を固める迄はトランプ政権と麻生派の後ろ盾が必要との判断なのだろう。
分断社会に広がる「政治的正しさ」への反発
秋の臨時国会では飲食料品の消費税減税法案や衆議院議員定数削減法案等が審議される。参議院で与党は過半数の議席を持たず、野党が結束すれば参院での可決は阻止出来る。しかし、立憲民主、公明両党出身の衆院議員で構成される中道改革連合の分裂で野党の「多弱化」は極まった。年初の衆院選は、中道改革連合を始め、ほぼ全ての与野党による消費税減税・廃止の大合唱となった中で自民党が歴史的大勝を収めた。その当然の帰結とも言える消費税減税法案の成立を阻止する力が現在の野党に有ろう筈が無い。
世界的な右傾化と分断の波に乗ったのが高市政権だとすれば、中道が綱領に掲げた「国家やイデオロギーのために国民を従わせる政治ではなく、人間の尊厳を守り抜く政治を、我が国の中心に据え直す」という理念に相応の意義は有ったと言えよう。衆院選で惨敗したとは言え、小選挙区で1220万票、比例代表で1043万票、投票者の約2割からの負託に応える責任が中道には有った筈だ。その責任を放棄するに等しい分裂という結末は、その場凌ぎの新党結成で生き残りを図っただけとの批判が正しかった事を裏付けた。これも世界的な趨勢となっている中道リベラル勢力の退潮と符合する。
リベラルとは何か。基本に有るのは個人の自由を尊重する理念だ。其処から広がって一人ひとりの個性や他者との違いを認め合い、緩やかな合意点を見出す中道主義や人間主義が導かれる。経済・社会的な格差や人種・民族間の対立が拡大する中では、リベラルな主張は弱者や少数派の尊重へと向かい、民主主義社会に於いてはそれが、「政治的正しさ」(political correctness)として重視される。だが分断が進み、敵対する相手との違いを認め合うのが難しい状況に在る人々にとっては、上から目線で「政治的正しさ」を押し付けてくるリベラルの権威主義的な振る舞いは受け入れ難い。分断の拡大がリベラルの退潮を招く構図が此処に生まれ、普遍化していく。
9月の沖縄県知事選に於ける現職・玉城デニー氏の敗北もリベラル退潮の流れの中に位置付けられる。本土復帰前から保守と革新の対立が続く沖縄で、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を結節点として保守の一部と革新が手を結び、リベラル勢力として結集した「オール沖縄」主導の県政は、2代の知事による3期12年で幕を下ろした。辺野古移設への抗議活動を行う小型船が修学旅行中の高校生を死亡させる転覆事故が3月に発生し、オール沖縄の「政治的正しさ」に対する疑念が広がった影響が指摘される。
リベラル勢力の退潮によって勢いを増すのは正に「国家やイデオロギーの為に国民を従わせる政治」だ。高市政権は既に国家情報会議を設置し、国旗損壊罪を創設した。秋の臨時国会では、選択的夫婦別姓制度の導入を否定し、旧姓の通称使用を拡大する法案の成立を図る構えだ。年末には安全保障3文書の改定を予定しており、高市氏が持論とする「非核三原則の見直し」に踏み切るかも注目される。
経済が上手くいかなければ、保守層の支持を繋ぎ止めようと尚更「高市国家主義」を加速させるだろう。国民政党を自任する自民党内にはリベラル勢力も存在する筈だが、こちらの退潮も著しい。




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