
他の先進国に比べ、脳死移植の普及が大きく遅れていると言われる日本。脳死判定の基準や臓器移植のルールを定めた臓器移植法が制定されて30年近く経つが、依然として脳死への抵抗感を持つ人が多く、臓器の提供者となるドナーの数は増えていない。その結果、肝臓や腎臓等については今も生体移植が主流となっている。しかし、健康な体を傷つける生体移植はドナー側のリスクも大きく、医療界では脳死移植の更なる普及を求める声が大きい。日本の小児肝移植の第一人者で、アジアの臓器移植の普及にも努めている国立成育医療研究センター病院長の笠原群生氏に、日本の臓器移植の現状と課題について講演頂いた。
原田 義昭氏 「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)1997年に、中山太郎先生が中心となって提案された臓器移植法が成立した時、私も本会議での採決に加わりました。当日は「党議拘束を外す」との事で、自分の考えで賛否を判断する様に指示されたのを覚えています。その後、多くの医療関係者の努力によって、子供達を含めて多くの命が救われてきました。医療関係者のご苦労に敬意を表します。
三ッ林 裕巳氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団代表(元内閣府副大臣、医師)私は「臓器移植を考える議員連盟」の事務局長を務めていましたが、日本の移植医療には多くの課題が有ります。日本の医療技術は世界の最先端を行くのにも拘らず、移植医療は海外と比較しても停滞している事は否定出来ない事実です。移植手術の件数を増やすには、臓器提供者の数を増やす取り組みが必要で、国も体制の強化に乗り出すべきです。
東 国幹氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(衆議院議員、自由民主党副幹事長)現在、国際環境が大変厳しく、その影響は我が国にも及んでいます。特に原油の確保が大きな課題です。原油から精製されるナフサは幅広い製品に使われており、多くの医療関係物資の原料にもなっています。医療界からは先行きを案じる声が上がっており、私も地元医師会から要望を受けました。我々としても不安の払拭に取り組む必要が有ります。
尾尻 佳津典 「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)本日は、日本の小児肝移植を牽引してこられた笠原先生にご講演頂きます。日本はWHOからも「臓器移植が進んでいない」と厳しい指摘を受けていますが、先生は小児患者を救う為、海外でもボランティアとして日本の高度な医療を提供しています。医療を通じた日本とアジアの友好にも貢献する活動で、同じ日本人として誇らしく思います。
講演採録
■脳死移植で後れを取る日本
私は京都大学医学部附属病院の移植外科に10年間在籍し、移植外科の道に進みました。現在、病院長を務める国立成育医療研究センターは、全国から小児・周産期の入院患者を受け入れており、年間手術件数は5000件に上ります。中でも小児生体肝移植は、国内の症例の70%を担っています。
臓器移植には、脳死と判定されたドナーから摘出した臓器を移植する「脳死移植」と、「この人を助けたい」と願う健康な人から臓器の一部を摘出して移植する「生体移植」が有ります。例えば先天性の肝硬変の子供の場合、母胎内で既に肝硬変に罹っている患者もいます。その様な患者には、透析や血漿交換を行い脳死移植登録をしますが、脳死ドナーが現れない場合、生体肝移植を行います。
肝移植の歴史を辿ると、1963年、米国デンバーのコロラド大学でスターズル博士が胆道閉鎖症の子供に対し、脳死ドナーからの肝移植を世界で初めて実施しました。翌64年には、千葉大学の中山恒明先生が同じく胆道閉鎖症の子供に対し異所性肝移植を行っています。しかし日本では、68年に札幌医科大学で和田寿郎先生が行った心臓移植を巡り、移植適応や脳死判定に関する疑義が生じ、殺人罪で告発(後に証拠不十分で不起訴)される事態となりました。更に84年には筑波大学で脳死による膵腎同時移植が行われた際にも同様に、担当医師が殺人罪で告発され、不起訴となっています(同大学では昨年、41年振りに膵腎同時移植が再開されました)。こうした経緯から、我が国では長らく脳死移植が停滞し、臓器の提供者も少ないという状況が続き、肝移植も約25年間行われない空白期が生じました。
この間、88年にブラジルで世界初の生体肝移植が実施され、翌89年にはオーストラリアでも1歳の日本人男児に対して行われ、世界初の成功例となりました。その時、現在DMAT事務局長の小井土雄一先生や、現在の松波総合病院理事長の松波英寿先生も参加しました。当時、日本では移植医療が出来ない為、海外でトレーニングを受ける外科医が多かったのです。同年、日本では島根医科大学の永末直文先生が世界で3例目となる生体肝移植を実施しました。残念ながら患者はウイルス感染症と胆道の合併症で亡くなりましたが、永末先生は透明性を持って経過を説明していました。その後、90年には京都大学の田中紘一先生、信州大学の幕内雅敏先生らが相次いで手術を行い、日本でも生体肝移植が広がっていきました。
97年には臓器移植法が成立し、法に基づく初の脳死判定が高知赤十字病院で行われ、心臓や肝臓等の移植が実施されました。但し、当初は生前の意思表示と家族の同意、さらにドナー年齢が15歳以上であることが条件とされていました。その後、2009年の法改正により家族同意のみでも提供が可能となり、15歳未満からの提供も認められました。これを受け、12年6月には6歳未満のドナーからの提供による肝移植が初めて成功しています。
しかし、日本の脳死移植は臓器移植法施行後も件数が増えていません。23年のWHO-ONTのデータを見ても、日本は欧米と比べ脳死移植が少なく、生体移植が多い傾向が見られます。アジア全体でも同様の傾向があり、歴史的経緯が現在の移植医療の構造に影響を与えていると言えます。
■家族に重大な決断が求められる現行法
日本でも脳死移植に関する法整備は進みましたが、脳死が人の死として認められるのは、今も臓器移植の時だけです。この為、患者の家族は脳死を死として受け入れるかどうかの決断を迫られる。この精神的な負担が、脳死移植の件数が増えない一因となっています。そろそろ「脳死は人の死」とするかどうかの議論を進め、法改正を行う時期ではないでしょうか。
日本の肝移植の現状を見ると、生体肝移植が93.2%を占め、圧倒的に多い。又、小児の肝移植は年間100例程度です。そうした中、03年から成人の生体肝移植が劇的に減っています。実はこの年、娘に肝臓の一部を提供した母親が死亡しました。13年にも生体腎移植でドナーが死亡するという事例が起きています。
生体移植で難しいのは、ドナーの安全性を100%担保しなければならない点です。しかし、どんな手術でも100%の安全は保証出来ない。この矛盾が移植外科医にとっての一番のストレスです。私は、生体肝移植で亡くなったドナーの主治医を務めていました。提供する肝臓の一部を摘出した後、患者の病状が悪化していく経過を横で見ていた。最終的にはドミノ肝移植を受けたのですが、助かりませんでした。この時、ドナーの安全性を担保しない限り、移植医療は正当化されないのではないかと強く感じました。
脳死と生体では、肝臓の摘出手術の方法が全く異なります。脳死の摘出手術では心臓を左手で押さえながら、素早く肝臓を摘出します。大量に出血もしますが、医学的に亡くなっているので、問題は有りません。一刻も早く移植出来る様スピードが重要です。一方、生体肝移植では、止血をしながら慎重に肝臓を切っていきます。合併症にも注意が必要です。
臓器の摘出は、通常の手術が行われない深夜や土日に行われます。臓器の保存時間には限界が有り、心臓が大体4時間、肝臓は10〜12時間まで冷凍保存が可能です。或る日のタイムスケジュールを紹介すると、摘出チームの手術室入室は午前2時、ミーティング等を経て4時から執刀。心臓や肺、肝臓、腎臓等を摘出して、手術終了は午前7時35分となっています。その間医師は会議室の様な場所で椅子に座って仮眠を取ります。それ程厳しい労働環境で働いているのが実状です。
この様な中、臓器移植の負担軽減に向けた取り組みの1つとして、異種移植の研究が進んでいます。現在、ゲノム編集技術によって、人に移植が可能な臓器を持った子ブタを育てる事が可能になりました。動物からの臓器移植の成功例としては90年代、スターズル先生によるヒヒの肝臓の人間への移植が有ります。その後はブタが使われる様になり、心臓で2例、腎臓が4例、肝臓が1例の移植が実施されています。日本では臨床試験の実施に向けた法整備はほぼ完了し、実施可能な状況に有ります。只、異種移植について殆ど知らない国民が多い事が、私達のセンターの調査で明らかになりました。このままでは異種移植に対する無理解による不寛容や差別等が生じる懸念も有り、啓発していく必要が有ります。
生殖医療として子宮移植も進んでいます。病気や先天性疾患等で子宮を失った女性が、親族から子宮の提供を受けて、妊娠出産を目指します。スウェーデンのイエテボリ大学で、厳格なルールを定めた上で行われ、14年から既に70人以上の子供が出生しています。しかし、日本では妊娠する権利を医療が保障すべきなのかという議論が熟しておらず、第三者ドナーから提供された精子や卵子を用いた受精に関する法律も未整備です。
当センターでは、母体から離れるとアンモニアを代謝出来ない疾患を持つ新生児を対象に、ES細胞から作製した肝細胞を移植する治験を行いました。乳児のへその静脈から肝細胞を入れると肝臓に届き、アンモニアが代謝出来る様になります。これ迄、5例実施しました。移植前の乳児はアンモニアを減らす為に透析が必要ですが、移植後は普通に生活を送る事が可能になります。



LEAVE A REPLY