SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

③筆談を会話として使う

③筆談を会話として使う

障害者雇用は、今や経営に於いて向き合わざるを得ない人権経営の指針となる課題である。従業員数40人以上の事業主には雇用義務があり、民間企業の法定雇用率は2026年7月に2.7%に引き上げられた。これを単なる“制度対応”として現場に丸投げすれば、職場の混乱や早期離職、更には管理職の疲弊を招き兼ねない。問われているのは、「如何に雇用率を達成するか」ではなく、「どう戦力化し、どうトラブルを防ぐか」。本連載では、現場で実際に起きるトラブルを手掛かりに、経営者・管理職が知っておくべきノウハウを解説する。


聴覚障害とは、耳が全く聞こえない人(全ろう)から、補聴器を使えば会話が可能な人、音は聞こえても言葉として聞き取り難い人まで様々である。同じ聴覚障害でも、必要な配慮は1人1人異なる。その一方で、聴覚障害は身体障害の中でも比較的採用率が高く、職場でのトラブルも防ぎ易い障害である。会社側が押さえるべきポイントは2つ有る。1つは筆談、もう1つは座席の配置である。この2つを適切に行えば、多くのトラブルは未然に防ぐ事が出来る。逆に、どちらか1つでも疎かになると、小さな行き違いが深刻な問題に発展し兼ねない。

筆談は「会話」であって「連絡」ではない

聴覚障害者への配慮として、多くの人が最初に思い浮かべるのが筆談であろう。しかし、本当に重要なのは、「最後まで筆談を続ける事」、そして一方的に伝えるだけではなく、「双方向の対話として行う事」である。

職場では、採用当初は丁寧にメモを書き、メールで連絡をしていたものの、仕事に慣れてくるにつれ、「このくらいなら伝わるだろう」と口頭や身振りだけで済ませる様になる事が少なくない。ところが、その小さな省略が、本人には大きな孤立感となって積み重なっていく。

大手証券会社に勤務していたDさんは、美容院に行った翌朝、自分では気に入らなかった髪型を同僚に褒められた事を切っ掛けに、「からかわれている」と感じる様になった。同僚が笑っているだけでも自分を笑っている様に思え、やがて抑うつ状態となって休職してしまった。

詳しく経緯を確認すると、原因は髪型そのものではなかった。入社当初には行われていた筆談やメールでのやり取りが、いつの間にか無くなっていたのである。読唇術や身振りだけでは、細かなニュアンスは伝わらず、「分かったつもり」「伝わったつもり」の積み重ねが、強い疎外感を生んでいた。

更に問題を大きくしたのは、上司との面談でも十分な筆談が行われなかった事である。深刻な相談を、読唇術や身振りだけで正確に伝え合う事は極めて難しい。言わば水中で身振りだけを使って人生相談をする様なものである。もし最初から筆談で本人の気持ちを書き出してもらっていれば、ここ迄問題が深刻化する事は無かったかも知れない。

筆談とは、本人の話に耳を傾け、文字で確かに受け取る為の手段なのである。

もう1つ事例を見てみよう。大手飲料メーカーで働くEさんの職場では、業務指示自体は筆談で行われていた。だが、その多くは上司が業務内容を紙に書き、Eさんが読んで頷くか首を横に振るだけだった。しかし、仕事は「はい」「いいえ」だけで成り立つものではない。「どこ迄対応すればよいのか」「優先順位はどうするのか」「この理解で間違いないか」といった細かなニュアンスは、質問と回答を重ねる中で初めて共有されるものである。

一方通行の筆談が続いた結果、小さな認識のずれが積み重なり、Eさんは「自分だけ仲間外れにされている」と感じる様になった。或る日、会議の案内メモが机から落ちている事に気付かず出席出来なかった事を切っ掛けに、「わざと知らせなかった」と受け止め、不満が一気に噴出した。同僚を誹謗中傷するメールを取引先に送信し、「会社で障害者虐待が日常的に行われている」と公的機関に通報する等、会社全体を巻き込む大きなトラブルに発展した。

聴覚障害者とのコミュニケーションでは、情報伝達の負担が健聴者側に偏り易い。筆談に慣れていない事に加え、健聴者が多くの文字を書いても相手は頷くだけで済む為、やり取りを重ねるうちに次第に面倒になり、情報が省略されがちである。業務指示では、メール等、双方が確認し易い文字伝達の方法を使う事がカギとなる。

又、筆談が基本とは言え、口頭で会話をする場面も有る。その際に注意したいのは、相手に合わせ過ぎない事である。幼児に話し掛ける様な話し方や、極端にゆっくり話す事、過度な身振り手振りは、「知的障害者扱いされている」「からかわれている」と受け取られる事が少なくない。先ずは普段通りに接し、本人から「もう少しゆっくり話して欲しい」等の希望が有れば、それに応じて調整すればよい。相手に合わせようと力み過ぎず、本人に確認しながら自然に調整していく事がコツである。

オフィスの座席は耳を塞いで考える

もう1つ配慮すべきなのが、座席の配置である。

或る化学メーカーで働くGさんは、昼休みに同僚から昼食に誘われたが、背後から声を掛けられた為に全く気付かなかった。ところが相手は「無視された」と思い込み、「感じの悪い人だ」という噂が社内で広まってしまった。更に、Gさんは部署内で知的障害者の指導係をしていた。ところが、その知的障害者がGさんの後ろに座っている為、呼んでも返事をしてもらえないからと腹を立て、Gさんに物を投げて注意を引く様になった。周囲もそれを止めず、冷やかす様な空気の中で行為は次第にエスカレートし、やがて会社の管理責任が問われる重大な虐め問題に迄発展していた。

職場環境を確認すると、Gさんの席は部署全体に背を向ける配置だった。人から声を掛けられても気付きにくく、電話や来客への対応も1人で抱え易い。これでは、周囲との行き違いが起き易いのも当然である。聴覚障害者の座席配置を考える際には、一度耳を塞いで職場を見渡してみる事が重要である。どこから声を掛けられるのか、誰が後ろを通るのか、何が見えて何が見えないのか。実際に体感するだけで、問題点が驚く程見えてくる。Gさんの職場でも、この方法で座席配置を見直した結果、背後を人が通らない位置に席を移す事やパーテーションの設置等、比較的簡単な措置で職場環境は大きく改善された。

会社は決して悪意が有った訳ではない。只、日々の業務に追われる中で「耳が聞こえない」という事実を忘れてしまっていただけなのである。だからこそ、情報が自然に届く環境を最初から整えておく事が大切である。

〈次回予告〉内部障害や高次機能障害への理解と支え方
出典:『本書を読まずに障害者を雇用してはいけません!』(久保修一 労働新聞社)

久保修一氏「ココだけ」の補足の一言

職場の「情報保障」は、筆談や補聴器だけではない。災害時の警報や緊急放送が音声のみに頼っていないかを見直す事が必要である。又、聴覚障害者は自分が立てる音に気付きにくく、ドアや引き出しの開閉音が思いのほか大きくなり、発達障害者の感覚過敏を刺激する場合も有る。配置の工夫や緩衝材の設置等で改善は可能だ。「聞こえないから言っても無駄」と思わないで欲しい。コロナ禍では、マスクの着用により読唇が出来ず、職場でのコミュニケーショントラブルが頻発した。聴覚障害者は相手の表情やしぐさから会話を補っている為、その特性を理解すれば、背後から声を掛けない、談笑が苦手であることを理解する等、適切な配慮に繋がる。最近は音声認識や自動文字起こしの精度も上がっており、会議や面談でこうしたテクノロジーを併用する事は有効である。但し、機械が文字化しただけでは微妙なニュアンスや感情迄は十分に拾えない事も有る。だからこそ、技術任せにせず、最後は本人と丁寧に確認し合う姿勢が欠かせない。

久保 修一(くぼ・しゅういち)
1965年東京都生まれ。慶應義塾志木高校、慶應義塾大学法学部政治学科中退。日本初の障害者の為の労働組合「ソーシャルハートフルユニオン」前書記長。NHK 福祉情報番組『ハートネット TV』の「障害者雇用」レギュラーコメンテーターを始め、テレビ・ラジオ・WEB サイト・定期刊行物など様々なメディアで、障害者雇用に関する提言を発信。日本財団「就労支援フォーラムNIPPON」、千葉県障害者雇用サポート事業「障害者雇用セミナー」、東京都社会保険労務士会がん患者・障がい者等就労支援特別委員会、東京都労働相談情報センター等で講演多数。著書に『本書を読まずに障害者を雇用してはいけません!』(労働新聞社)、『職場にいるメンタル疾患者・発達障害者と上手に付き合う方法』(日本法令)等が有る。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top