
我が国を代表するがん専門病院であり、優れた臨床実績と最先端の研究基盤を誇るがん研究会有明病院。この国内有数の専門中核拠点で、食道がんの外科治療の第一人者として長く診療と研究を牽引してきた渡邊雅之氏が今年4月、新病院長に就任した。超高齢社会と医療リソースの逼迫、医療従事者の働き方改革、AI活用といった課題を抱える中、医療機関は如何なる構造変革を進めるべきか。渡邊氏に、難治がんの現場で培った医療観と次世代のがん医療を見据えた戦略について聞いた。
——食道がん治療の最前線で培ってきた医療観について、どの様な点を大切にされてきましたか。
渡邊私が専門とする食道がんは難治性がんの1つであり、且つ発見が遅れ易い疾患です。適切な時期に最適な治療を選択しなければ救命に繋がらない為、私はこれ迄、外科医単独の手技や判断に固執するのではなく、患者さんにとっての「最適解」を多角的に探る姿勢を大切にしてきました。現代の臨床現場で直面しているのは、患者さんの価値観の多様化です。がんの根治治療を希望される方と、治療による負担や生活の質への影響を心配し、より負担の少ない治療を望まれる方とでは、価値観が二極化し易い傾向が有ります。又、近年はインターネットで調べた情報を持参して相談に来られる患者さんも増えています。誤った情報は丁寧に訂正する必要が有りますが、患者さんが正しい情報から希望を見出している場合には、それを尊重する事が重要です。治療の主役はあくまで患者さんご自身です。科学的な根拠を土台にしつつも、患者さんがこれ迄歩んできた人生や、その人が大切にしている物語に真摯に耳を傾け、丁寧な対話を通じて納得のいく道筋を共に導き出す。この姿勢を何よりも重んじています。
——日本のがん患者数が年間100万人超と言われる中、貴院の強みと課題は何でしょうか。
渡邊 専門中核病院が直面している最大の課題は、「若年層を基準とした標準的な治療が、急速に増える高齢の患者さんにはそのまま当て嵌まらない」という厳しい現実です。治療ガイドラインの根拠となる臨床試験は比較的若くて体力の有る患者さんを対象にしている事が多く、他の病気を併せ持つ高齢の方に、どの程度の強さの抗がん剤や手術の負担が適切なのかは、明確な正解が無い領域です。更に、高齢の患者さんの状態は、年齢だけで一律に判断する事は出来ません。80歳を超えていても心肺機能や日常生活を送る力がしっかりしている方がいる一方で、70代でも加齢に伴う心身の衰弱が進んでいる方もおられます。年齢に囚われず、その人の生理的な状態や生活背景を丁寧に見極める力が求められます。1つとして同じ答えが無い状況で最も妥当な選択肢を見出す為には、個人の力量を超えた組織の総合力が必要です。当院には、内科、外科、放射線科、内視鏡科等、国内トップレベルのエキスパートが集結しています。診療科の垣根を越えたチーム医療で徹底的に議論を重ね、複数の専門医が多角的にリスクを評価する体制を整えています。蓄積された膨大な経験知を活かす事で、答えの出難い高齢期のがん治療に於いても最適な道筋を提示出来る点が、当院の強みです。
外来適正化と地域連携の推進
——「自院で診る患者」と「地域へ返す患者」の分担について、どの様にお考えですか。
渡邊 がんの特性として、再発への警戒が必要な一方で、高齢化に伴い別の臓器に新しくがんが出来る2次がんの併発も増えています。こうした背景から、当院の様な高度な機能を備えた病院は、長年、一度受け持った患者さんをその後の経過観察も含めて全て診続ける「抱え込み型」の診療が主流でした。しかし、国が地域医療構想や医師の働き方改革を進める中で、従来型の診療は限界を迎えつつあります。これが外来適正化プロジェクトを決断した背景です。当院は、強みとする高度ながん治療に注力し、高血圧や糖尿病等の慢性疾患の管理は地域の先生方に診て頂き、役割を明確に分担します。勿論、患者さんを地域の医療機関にお返しする事で、短期的には収益に影響が出る可能性は有りますが、それよりも大きな懸念は、患者さんを抱え込み続ける事による医療スタッフの負担増と、限られた医療資源の枯渇です。実際、内視鏡やCT、MRIといった高度な検査の枠は既にかなり逼迫しており、症状の落ち着いた患者さんを地域へお戻しする事で、新たにがんと診断された患者さんを速やかに受け入れられるのです。又、再発のリスクが一定程度下がった患者さんについても、次のがんを見落とさない為の検査体制が整った地域の医療機関に引き継ぎ、そちらで経過を診て頂く形を進めています。
——外来やトータルケアセンターの強化で、治療前後の生活支援をどの様に進められているのでしょう。
渡邊 近年は家族形態が変わり、夫婦共に高齢の老老介護の家庭や独居の患者さんが増加し、治療を支えてくれる身近な存在がいないケースも少なくありません。がんの診断を受けた時の精神的ショックに加え、こうした支え手の不在も、患者さんの負担を一層重くしています。過酷な治療に取り組む上で、患者さんが普段どの様に生活しているか、退院後や通院中に支えてくれる人がいるかどうかを把握する事は、治療方針を決める上で極めて重要です。以前は入院治療を行う患者さんのみを対象として、「入退院支援センター」が家族の状況や生活環境を把握する窓口となっていましたが、近年は外来での化学療法が進み、入院せずに治療を終える患者さんが増えた事で、こうした情報を把握する機会自体が失われつつありました。加えて、従来は各部署が個別に生活支援を行ってきた為、院内での情報共有が不十分で、患者さんご自身も誰に相談すれば良いのか分かりにくいという課題も有りました。そこで私達は、各部署に分散していた支援機能を1つに集約した「トータルケアセンター」を2021年に立ち上げました。その後、初診の患者さんが必ず通る動線に位置付け直す形でリニューアルし、機能を強化しています。看護師やソーシャルワーカー等、様々な職種のスタッフが診療科の枠を超えて連携し、初診の段階から生活面での相談や面談を行える様にしています。患者さんご本人だけでなく、支えるご家族の不安を和らげる事も重要な役割です。生活の基盤を早い段階で把握する事で、独居の高齢者やヤングケアラーのいる家庭等、支援を必要とする生活環境を早期に把握し、治療の進め方を柔軟に調整する事も有ります。医療から生活支援、介護や福祉迄、切れ目の無い支援を提供する事で、患者さんが尊厳を保ちながら治療を受けられる様、入り口から出口迄、一貫して支えていく考えです。



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