
熊本で大きな地震が起きた。大きな被害を受けた医療機関も少なくなかったが、病棟の入院患者を他院に迅速に移送したり、一刻も早く通常診療を再開させようと被災した職員も出勤を続けたり、どこも渾身の努力を続けた。
そんな中、8月6日には、熊本県八代市の中核病院の1つである熊本総合病院が、地震発生時の手術室のカメラ映像の一部を公開した。病院の説明によると、地震発生時は手術が4件行われており、映像が公開されたのは腹部の手術をしていた部屋に設置されたカメラに残っていたものだそうだ。
術場で患者を守った医師たち
そこには、医療機器が激しく揺れ動いたり椅子が飛んできたりする中、執刀医が患者を守ろうと覆いかぶさる様子、麻酔科医がドレープの下に潜って挿管チューブが外れないように押さえる様子、さらに看護師が避難経路を確保するために入り口の扉を開ける様子などが映っていた。患者に影響はなく、手術は無事に終わったそうだ。
映像を見る限り、どの医療従事者も大きな揺れが始まった直後から行動を始めているのが印象的だ。もちろん話し合って動きの分担を決めたわけでもなければ、おそらく「患者を守るべきか、自分が逃げるべきか」とも考えていなかったのではないか。気づいたら患者の上に覆いかぶさっていた、姿勢を低くし挿管チューブを押さえていた、といった感じなのではないかと思う。院内には「職業倫理規定」があり、手術室には「非常時対応マニュアル」があったかもしれないが、それを思い出しながら行動した人もいないだろう。“本能的に”という言葉がややふさわしくないとすれば、直感的に、あるいは反射的にそう動いてしまったのだ。
医師としてのプロフェッショナリズムが身体化、血肉化されている人は、極限状態下では頭で考えるより先に体が動く。そういう言い方もできるだろう。「それが医師というものだ」と言われればそうかもしれないが、だとしたらその身体化された能力はいつ、どうやって培われるのだろうか。また、それは誰もが備えているものなのか、それとも一部の医師や看護師だけのものなのか、そうでない人には教育や研修の場で身に付けさせるべきなのか、というのも気になるところだ。
私は決して、この術場の映像を美談として「医師たるものこう行動すべき」と言いたいわけではない。もし天井が崩落しそうな状況だったなら、医療従事者がまず退避する判断も十分あり得たと思う。あるいは、大きな揺れに恐怖を感じ、うずくまったり立ちすくんだりして次の行動に移れないこともあるかもしれない。逃げた医師や動けなくなった医師をこの映像と比較して「医師失格」と言うことはできない。ただ、これを「プロフェッショナリズムの究極の身体化」のケースとして、「私ならどうするか」「従業員や後輩にはこの映像をどう伝えるべきか」を多くの医師たちに考えてもらいたい、と思うのだ。
まだ苦難が続く熊本ではあるが、「今日から通常の外来診療が再開」という病院がニュースで報じられることもある。そういった報道では、必ず受診した患者にもインタビューし、「薬が切れかけていたので助かりました」「ここがあるだけで安心します」といった声を紹介する。「薬がないなら、オンライン診療でどこからでも処方してもらえばいいじゃないか」というわけにはいかない。特に地方の場合は、医療機関がその役割を超えて地域住民の心のよりどころになっていることがよく分かる。
自分の勤務先の話で恐縮だが、今所属している北海道の国民健康保険穂別診療所では、毎年、地域住民が誘い合ってボランティアで前庭の草取り作業をしてくれる。年々、高齢化と人口減少が進む中、人員の確保も大変だと思うが、今年5月の呼びかけの案内にはこう書かれていた。
「かかりつけ医療機関は、穂別診療所!ほべつ〜小さくても安心して暮らせる地域に健康で明るく生き生きとした老後いざというとき、緊急時など大事な大事な診療所」
こういうメッセージを見ると、うれしい気持ちになると同時に、責任の重さも痛感する。この地区でも人口減少が深刻な課題となっており、自治体の機能を40kmほど離れた役場のあるあたりに集約しては、という話もよく出る。いま流行りの「選択と集中」だ。そこまで行けば厚生病院があるので、そこでこの地区の患者も受け入れるようにすれば町の財政負担もかなり減るだろう。離れていて通いにくいという声も出ると思うが、1日何便かのバスを出せば対応できる。その経費は町で負担したとしても、この地区に有床診療所を維持し続けるよりはずっと“安上がり”のはずだ。
それでも、住民たちは穂別診療所の存続を強く望んでいる。前掲の草取り作業の呼びかけを見ても分かるように、それは単に「近いから」「便利だから」という理由だけではない。住民にとっては「生き生きと」「暮らせる地域」であるためにも、唯一の医療機関であるここは「大事な大事な診療所」だというのだ。まさに“心の支柱”になっているのだろう。
もしかすると、こういう声に日常的に触れることが、先ほどの医療プロフェッショナリズムの涵養につながるのではないか。こういう言葉を診察室の内外で耳にすることによって、医師は少しずつ自分の仕事の意味や医療機関の役割を理解し、自分の身体の感覚として取り込んで行く。それがあるからこそ、いざという時に何も考えずに迷わず「患者を守る」という行動に出てしまうのだと思う。
“協働作業”で養われるプロ意識
そういう意味では、医療プロフェッショナリズムとは決して医療従事者側だけで身に付けるものでも、誰かが教え込むものでもなく、患者や地域、あるいは他の病院職員たちとの“協働作業”で少しずつ養われ、身体化していくものなのかもしれない。おそらく熊本の医師や看護師も、日ごろ患者たちから「ここがあってよかったよ」「手術はおまかせするからよろしく頼むね。信頼してるよ」といった言葉を繰り返し聞き、職員からも「疲れてないですか。この間の患者さん、本当に先生に感謝してましたよ。私もここで働けてよかった」などと言われていたのではないだろうか。
だとすると、「患者や家族から理不尽な文句ばかり言われる」「訴訟されるのではないかと疑心暗鬼になりながら診療している」「事務長は赤字をなんとかしろと苦言ばかり」といった環境で働いている若手医師がいるとしたら、それは大変不幸なことだ。単に仕事のストレスが大きいというだけではなく、医療プロフェッショナリズムの醸成も難しいと思われるからだ。
今の医療機関で若手を指導する立場にいる医師は、ぜひ今回の手術室の映像を見せて「どう思いますか」と尋ねてみてほしい。そこで「私も患者を守ります」という模範解答で終わらせることなく、「逃げるのもありなんじゃないか」「患者さんが誰かによって対応が変わると思うか」などの変化球も繰り出しつつ自由に考えさせることができたら、恐らく若手にとってもまたとない機会となるだろう。
私自身、ずっと「自分だったらどうするか。いざその場になったら、今考えている通りに行動できるか」と考え続けている。



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