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高支持率で新政権がスタート 菅首相の「政治的ルーツ」と可能性

高支持率で新政権がスタート 菅首相の「政治的ルーツ」と可能性
歳川 隆雄(としかわ・たかお)1947年東京都生まれ。上智大学文学部英文学科中退。週刊誌記者を経て、81年からフリージャーナリスト。現在は国際政治経済情報誌『インサイドライン』編集長。Japan Watchers(米国ニューヨーク)発行の「The Oriental Economist Report」の東京支局長を兼務。日本外国特派員協会(FCCJ)、日本記者クラブ、日本ペンクラブ、外国特派員協会(OPC、ニューヨーク)正会員。『政治のリアリズム—安倍政権の行方』『外務省の権力構造』『機密費』等著書多数。

安倍晋三前首相の突然の退陣により、日本の新しいリーダーとなった菅義偉首相。スピード感をもって政策実現を目指す姿勢を鮮明にし、国民の支持を集めている。横浜市議から国政に転じた後、建設族と商工族という2つの顔で政界の階段を上ってきた。その政治的ルーツが、打ち上げた主な政策や組閣に現れているという。長年にわたり政権を観察し続けている歳川隆雄氏に話を聞いた。

——まず、安倍政権の総括評価をお願いします。

歳川 高く評価しているのは、2015年の平和安全法制です。国会がデモ隊に包囲される中、参議院本会議で強行採決して法律を成立させました。野党やリベラル派からは、自衛隊の海外派兵を法的に担保する悪法であると言われていて、60年安保の時以来ではないかという反対があったわけです。安倍さんは集団的自衛権の行使も目的にすると述べて法案を国会に提出し、強行採決しました。この法律が成立したから、今日の自由で開かれたインド太平洋戦略も成り立つわけです。当時はマラッカ海峡だけでなく、アラビア半島周辺にも海賊が出て、日本のタンカーが襲撃されたりしていました。それに日本だけでは対応出来なかったけれど、今は日本、アメリカ、オーストラリア、インド、そして時にはフィリピンも加え、海上自衛隊と各国の海軍の合同訓練が行われるようになっています。その事に対し、今日では野党が憲法違反だと声高に言い募るような事はなくなっています。つまり、平和安全法制が国際社会で高く評価されているだけでなく、日本の国民にとっても、あの時は無謀に思えたけれど法律を成立させておいて良かった、という事になっているのだと思います。

イメージ戦略は嘘だが成功した

——菅政権は好スタートを切ったように見えます。

歳川 内閣支持率は朝日新聞で65%、日経新聞が74%です。私はNHKと朝日と共同の数字を足して3で割るのが相場だと見ていますが、それも60台半ばになります。いずれにしても非常に高い支持率です。なぜ菅政権の支持率が大方の予想以上に高いのかというと、1つはイメージ戦略です。安倍さんは3代政治家で、祖父は総理大臣というエリート家系。それに対し、菅さんは作られたサクセスストーリーですが、秋田県の貧しいいちご農家に生まれ、高校を卒業して集団就職で東京に出て、苦労して法政大学の夜学に通い、政治家の事務所に入ったという事になっています。これ実は嘘で、父親は先見性のある農業従事者で町議も務めた人です。恐らくはただ単に秋田の高校を卒業して受験してというのが嫌で、東京に逃げてきてしまったという事なのでしょう。集団就職ではありません。親からの仕送りがなかったので、アルバイトで苦労したのは事実でしょう。ただ、大学は夜学でなく普通の法学部です。永田町で信じていた人がいたかどうかは別として、国民的には浸透していたストーリーでした。エリート政治家の家系である安倍さんと、たたき上げで苦労人の菅さん。この対比が支持率に影響しています。もう1つは、デジタル庁構想、規制改革、縦割り行政の打破、携帯電話料金の引き下げ、不妊治療の保険適用等、柱となる政策をスピード感をもって進めているという印象を与えている点です。

——スピードは重視しているようですね。

歳川 スピード感をもって政策を実現するには、縦割りでは駄目だ、串刺しにするしかないという発想を持っています。それがなぜ出来るかというと、菅さんの政治的出自と関係しているのです。菅さんは建設族の衆議院議員だった小此木彦三郎さんの秘書をやり、横浜市議を2期務めて、96年の総選挙で初当選します。その後、最初に就いた役職が国土交通大臣政務官です。それが2002年で、翌03年には経済産業大臣政務官になります。自民党政務調査会は政策を全て決めていますが、その中に各部会があります。菅さんは最初、国土交通部会に所属し、その後、経済産業部会にも属していました。最初になぜ国土交通部会だったかというと、当選して入った派閥が平成研、当時の小渕派だからです。遡れば竹下派の経政会、田中派へと繋がります。菅さんは横浜市議の2期目には、大物市議になっています。その大きな理由は、当時の高秀秀信・横浜市長が菅さんを買ったからです。高秀さんは元建設省の事務次官まで務めた人で、土建国家を目指した田中角栄・元首相の遺伝子を引く金丸信さんや野中広務さんから国政に誘われましたが、断って横浜市長になるのです。その時に尽力したのが、神奈川県政も牛耳っていた小此木さんなのです。当時の自民党で建設族のボスは金丸さんで、小此木さんは次の次くらい。そういう事もあって、市議時代の菅さんは高秀市長の支援を受け、初当選後は建設族のドン達が集まる小渕派に入り、最初の部会は国土交通部会になったわけです。

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