
子供の頃の夢は新聞記者か弁護士
神奈川県横浜市の白楽で、エンジニアの父と教育熱心な母の下に生まれました。小学校時代は、自宅から歩いて通え、級友の多くが中学受験に挑む斎藤分小学校まで越境通学していました。当時は文系科目が得意で、夢は新聞記者か弁護士でした。
その素地を作ったのが、小学校3、4年生の時の担任の先生が毎週出していた宿題です。藁半紙1枚に、自分の好きな事を研究して纏める。近隣の店の一覧や、地域に高齢者が多い理由等を調べて書き、評価して貰えるのが嬉しくて仕方ありませんでした。この訓練が、そのまま受験で生きました。慶應義塾普通部の入試は、社会科も理科も論述問題1問だけ。社会科は「ニクソンショックが日本経済に与える影響」、理科は「ビーカーと枝とショウジョウバエで、どんな実験をするか」。「考えて、書く」事が得意な新聞好きの私には、これ以上ない出題でした。
普通部、塾高を経て、慶應義塾大学医学部医学科に進みました。慶應の内部生がどの学部に行くかは概ね成績順で、上位者は「医学部に行くんだな」と周りから認識され、私もその1人でした。尤も、大学時代はヨット部の活動に熱中し、合宿を含め年間150日近く拘束されていましたので、今でも大学時代の出席日数を聞かれると、一番答えに窮します。
「臨床だけでは、人は救えない」という現実
入学後は外科医を目指していましたが、大学6年の夏休みの約2カ月間、南米で日系移住者の患者やアマゾン川流域の先住民の診療を行う医療奉仕で、転機を迎えました。
この地には10年程前、ケネディ大統領が創設した平和部隊が入り、乳幼児死亡率の高さを受けて米国から持ち込んだ抗生物質を投与し、救命率を上げていました。ところが、識字率や就労率は却って下がったといいます。それは、子供の死亡を前提に設計されていた学校の受入枠や就職先から、生き残った子供達が溢れてしまったからでした。
良かれと思って投与した抗生物質が、社会にマイナスの影響を及ぼしてしまった——私は今でも、この経験を「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉に重ねています。投与するなら、産児制限や学校の増設等も併せて行う必要が有った訳です。当時強く感じたのは「臨床だけじゃ駄目だ」という事。社会政策に関わる為にも「世界保健機関(WHO)」で働きたいという思いが強まる中、厚生省(現・厚生労働省)に入る事が近道だと知り、1984年に厚生省(当時)に入省しました。
38歳でWHOのADG、57歳で初代医務技監に就任
WHOに赴任したのは98年です。同年、日本人初の事務局長だった中嶋宏さんの後任に、ノルウェーのグロ・ハーレム・ブルントラントさんが就任しました。彼女の当選後、主要国は大臣や次官を政策会議に派遣しましたが、選挙で別候補を支持していた日本から送られたのは、厚生省国際課課長補佐だった私でした。
ブルントラントさんとの出会いは92年、ハーバード公衆衛生大学院への留学から戻り、環境庁に出向していた頃です。ブラジル・リオデジャネイロでの国連環境開発会議で面識を得ました。彼女はハーバードの先輩でもあり、帰国後、キャビネットを作る際に「日本人を採りたい」と知らせてきました。日本からは私より上のポストの方々が推挙されましたが、指名されたのは私でした。そして38歳でADG(事務局長補)に就任、WHO史上最年少だったと聞いています。大学時代から抱いていた「WHOで社会政策に携わりたい」という思いが14年後に実現し、世界の保健政策の最前線で、思う存分仕事に打ち込む事が出来ました。夏は夜10時頃まで明るいジュネーブでの4年間は、湖畔で妻や幼い娘と過ごす時間にも恵まれました。
2017年7月、医学的知見に基づき厚労省の所掌事務を総括するポストが新設され、57歳で初代医務技監に就任しました。役割は、「局あって省なし」と言われる程の縦割り行政の解消や、大臣・副大臣に代わる国際会議出席等、多岐に亘りました。20年初頭から定年退職を迎える同年8月迄は、新型コロナウイルス感染症対策に取り組み、武漢在住の日本人約700人の帰国、ダイヤモンド・プリンセス号への対応等に当たりました。私の知る限り、この時ほど全省庁が一丸となった事は無かったと思います。
がんゲノム、卵子凍結、医療DX等を課題解決の糸口に
がんゲノムの分野では、19年6月、反対意見も有る中で、がんの遺伝子パネル検査の保険適用を実現させました。只、適用は全ての標準治療が終わった後に限られています。診断時点で使える方が救命効果が高い筈ですが、そのエビデンスは未だ有りません。個別化医療は今後更に進めるべきテーマです。
現在の日本の少子高齢化も、前向きに捉えれば健康長寿や女性の社会進出が進んだ結果ですが、私は卵子凍結が解決策の1つになると考えています。自然に任せれば、30代と40代とでは妊娠のし易さが全くと言っていい程異なります。しかし、10代・20代の内に凍結しておけば、その差を埋められます。プレコンセプションケアの推進や行政の補助が進めば、普及の一助になる筈です。
医療DXも、同じ発想で進められる余地が有ります。実は、支払基金(審査支払機関)の回線は、月次のレセプト処理に1日使われるだけで、残り29日はほぼ稼働していません。この余力を活かすだけでも、診療情報の集約は前進する筈です——と、医療政策について話し出すと、今でも止まらなくなってしまいます。
国際医療福祉大学学長として、後進の育成に尽力
厚労省退官後は、行政での経験を後進の育成に生かすべく、21年1月に国際医療福祉大学教授に迎えられ、同年3月副学長、22年4月から学長を務めています。本学は、経済的事情で医師への道を諦める学生を減らすべく私立医学部最安の学費に設定していますが、25年度の医師国家試験合格率は98.4%・全国3位という成績を収めています。
AIが目覚ましい進化を遂げる今、医学教育は「知識を覚える」段階から「集めた知識を臨床に生かす」段階へ変わらねばなりません。米国の医師国家試験USMLEではAIの正答率が97.5%と人間を大きく上回り、乳がんのリンパ節転移の画像診断でも、時間制限下の条件では、AIが11人の病理医のパネルの精度を上回ったという研究も有ります。本学が1、2年の基礎医学を全て英語で行うのも、世界の知に直接触れさせる為です。人とAIの役割が塗り替えられていく時代に、世界に通用する医療人を育てる。それが学長としての使命だと考えています。
インタビューを終えて
鈴木康裕氏は慶應のエースであり、厚生労働省のエースだった。長い付き合いになる。未曾有のコロナ禍では総理官邸に日参し、最新の情報を届け、日本の医療を守った。初代医務技監を経て国際医療福祉大学学長へ。その華麗な転身は話題となった。学生時代、ヨット部で鍛えた強靱な体力と、荒波にも動じない精神力は、WHOでの活躍にも繋がった。医療行政のプロは、今や教育の舵を握る。行政と国際保健の経験を生かし、次代の医療人を世界へ送り出して欲しい。旧知の友として、その挑戦を心から応援している。(OJ)
ジャヌバーガー
東京産豚「TOKYO X」の香ばしいベーコンと旨味豊かな国産牛100%のパテを使用。燻製パプリカが香るBBQソースが味わいに深みを添える。太めのフレンチフライも食べ応え十分。
ジャヌ グリル
東京都港区麻布台1-2-2ジャヌ東京4F
050-1809-5550
7:00〜10:30(L.O.)
平日12:00〜14:00(L.O.)
土・日・祝12:00〜14:30(L.O.)
17:30〜21:00(L.O.)
無休



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