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未来の会

最大の悲劇は、善人の沈黙

最大の悲劇は、善人の沈黙

最近は、テレビや新聞などのマスメディアで医療の問題にとどまらず、運動や食生活などの健康問題、さらには社会問題についても発言する医師が増えている。また、医師資格を持つ小説家や起業家が堂々と「医者は副業です」と公言する姿も目に付く。

 私がこんなことを言うと、あちこちから「お前こそマスコミであれこれコメントしたり、医療活動そっちのけでエッセイ本を出したりしているじゃないか」という“ツッコミ”が入りそうだ。

 もちろん私自身、「関係ないことまでやり過ぎ」とか「もっと真面目に医療に取り組め」という批判は真摯に受け止めたいと思っているのだが、あえて自分を棚に上げて言えば、「この先生、私より大胆だな……」と驚くようなドクターも目に付くのだ。

極論で裏付け乏しいコメントを述べる医師

 先日も「前世を霊視してあなたの悩みを解決」と謳うカウンセラーのホームページを、「こんな人がカウンセラーと名乗っていいのか」と思いながらながめていると、一人の開業医が「私もこのメソッドを学んでいます」と推薦者になっていた。そのドクターは個人としてカウンセラーにほれ込んでいるのかもしれないが、ホームページを見る人は「ちゃんとしたお医者さんも推薦しているのだから」と信用度を高めるだろう。それ自体、法に触れるような行為ではないが、「これ、大丈夫なのかな」と気になってしまう。

 私は、マスコミからコメントなどを求められる時は、これでも自分に「精神科医としての倫理に背いていないか。精神医療の評価を貶めることにはならないか」と問うて、それから答えることにしている。そこで「これを言うのは、やり過ぎだろう」と判断した時は、いくら長い付き合いの記者などでも断る。

 また時々、「精神科医もお墨付き、ウツを治す最強の食事術」といった記事の監修者になってほしい、という依頼もあるが、「食事だけでうつ病が治るというエビデンスはないですよね?」と、その時ばかりは妙に頭の固い医師になって辞退することにしている。

 しかし、それでも問題は残る。かなり前のことだが、ある雑誌から「食事だけで不眠症が治る」といった特集のコメントを頼まれ、前述のような理由で断ったことがあった。確かに食事の内容や食事を摂るリズムは生活の基本であり、睡眠にも関係しないわけはない。とはいえ、不眠症には様々な理由があり、中には睡眠導入剤を使わざるを得ないものも少なくない。特にうつ病など別の病の症状としての不眠は、基礎疾患をきちんと治療しない限り、改善することはないだろう。「食事だけで」と謳う記事は、どう考えても医学的には正しくない。

 そう考えて依頼を断り、しばらくして新聞を開いた私は「あっ」と声を上げた。結局、その雑誌は特集を敢行し、そこには私もよく知る精神科医の名前が監修者として載っていたのだ。

 その医師は臨床家としても腕が立ち、いい加減な治療をする人ではない。おそらく編集者から「医療を否定するのではなく、あくまで食事も大切といった内容ですので」などと説明され、軽い気持ちで監修を引き受けたのだろう。

 しかし、記事では「〇〇先生も太鼓判」などとあたかも全面的に肯定したかのような扱われ方で、予想通り、その後の私の外来には「睡眠薬は危険、食事で不眠は治る、と雑誌に出ていた。〇〇先生も言っていた」と言って、処方を拒否する患者さんも現れた。

 さて、そういう場合、どうすればいいのか。もし私が本当にこの問題を深刻に考えるなら、監修者に連絡して「ぜひ、食事だけではなくて服薬も必要とはっきり語ってください」と伝えるべきかもしれない。また自分のブログなどで「あの記事を全面的に信用してはなりません」と警告を発することも必要だ。

 とはいえ、その医師をよく知る身として、なかなかそこまでのことはしにくい。私がしたのも、せいぜい外来で「薬はいらない」と主張する患者さんに、個別に「あの記事にあるのは極論で、医学的な裏付けは乏しいのです」と服薬の必要性を説明したことくらいであった。

反論しない医療界と話題重視のメディア

 日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科の勝俣範之教授は、こうやって極論や裏付けのない治療法などを述べる医師に直接、異議申し立てをしない医療界の姿勢を、黒人差別と闘ったアメリカのキング牧師の言葉を引いて「最大の悲劇は、善人の沈黙」と批判している。そして勝俣教授は、自身が携わるがん治療の分野で、医学的に明らかに誤っている治療法を喧伝する医師やメディアに対して、きちんとエビデンスを示しながら批判する本を多く出版し、SNSなどでも積極的に発言を続けている。

 また、「自分はこれ以上、(誤った治療法を信じる)被害者が増えるのを我慢できないから発言したが、本来なら、学会などがきちんと声明などを出してもらった方がいい」と述べている。「正しい医療情報を伝えることよりも、話題性の方を重視する大手メディアの罪も大きい」とも語るのだ。

 私自身は、先に述べたように、せいぜいやっているのは「メディアからの“悪い誘い”には乗らないようにする」程度のことであり、「食事だけで精神疾患は治る」といった極論を主張する医師の批判まではしていない。医療の世界は狭いので、「あの先生なら学会で会ったことがある。人間的にはとても善い人だ」などと思うと、よけいに批判の声を上げにくくなる。しかし、確かに勝俣教授が言うように、「あの先生に嫌な思いをさせるのは悪いから」といった配慮から沈黙してしまうと、最も被害を受けるのは患者さんということになりかねない。

 そう思って巷を見ると、今は「〇〇だけで××病が完治した!」といった論調の医師による啓蒙書がいっぱい。それに一つ一つ噛み付いては、「香山は同業者に牙を剝くおかしな人間」と思われないだろうかと、またまた頭を悩ませてしまう。「最大の悲劇は、善人の沈黙」。この言葉の意味をもう一度、考えてみたい。

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