
医師への距離感と好奇心が交差した幼少期
私は、父の仕事の関係で松戸や世田谷、群馬など各地を転々とする幼少期を過ごしました。父はサラリーマンで、家族に医療関係者はいません。子供の頃の私は、医師という職業に特別な憧れを抱いていた訳ではなく、寧ろ「怖い存在」という印象を持っていました。それでも不思議な事に、「赤本」と言われた『家庭の医学』を読むのは好きでした。とりわけ、赤本に書かれていた「死亡率」の記述には強く惹き付けられ、人の生死や身体の仕組みに対して自然と関心を持つ様になっていきました。怖いと感じながらも、知る事そのものが面白く、この頃に芽生えた知的好奇心が、将来医師の道を選ぶ切っ掛けの1つになったのかも知れません。
同時に、5歳から始めたピアノも私にとって大きな存在でした。家族に音楽関係者がいた訳ではありませんが、絶対音感を持ち、気付けば夢中になって弾いていました。自分でも気付かない内にのめり込み、面白いと感じた事に没頭する。ハードルが高ければ高い程燃える——その感覚は、後の自分の基盤になっている様に感じています。
自ら考え、自ら選んだ進路
学生時代を通じて大切にしていたのは、「自分で考えて選ぶ」という姿勢です。勉強に対しても「やらされるもの」という意識は無く、自主的に取り組んでいました。その為、当時漫画等で勉強好きなキャラクターが否定的に描かれる事には違和感を覚えたものです。何故、好きで努力する事が否定されるのか、不思議でなりませんでした。
地元の公立中学から東京学芸大学附属高等学校に進学し、東京大学理科一類で入学しました。初めから医学部を志していた訳ではありません。しかし、教養学部で学ぶ内に進路を考え直す機会が有り、改めて考えた結果、医学部医学科に進みました。実は、理三以外から医学部に進学するのは極めて稀で、1学年に1人程度でした。勿論、音楽の道への憧れも有りましたが、ピアニストとして成功出来る人は極僅か。将来を現実的に考え、人の健康や命に直接貢献出来る医師の道を選びました。
恩師との出会いが育んだ外科医としての信念
医師としての基礎は、研修医を修了した後に最初に配属された、当時の国立療養所東京病院の村上國男先生の下で学びました。手術手技は勿論、外科医としての姿勢を徹底して叩き込まれました。中でも印象に残っているのは、「同じ手術を1度経験したなら熟練者、3度経験したなら専門家のつもりで臨め」という言葉です。これは、自分の経験を過信せよという意味ではなく、一例一例に全力で向き合えという教えでした。患者にとって手術は一度だけであり、その重みを常に意識する様になりました。
その後、東大の医局で髙本眞一先生に師事しました。先生は日本が世界に誇る心臓外科医であり、敬虔なクリスチャンです。患者に対する思いには並々ならぬものが有り、教授として赴任された際、先ず「患者の為の治療をする事が大切だ。患者の為にならない事は決して行うな」と明確に仰られたのを今でもよく覚えています。
自分の専門分野については、当時主流であった心臓外科ではなく、呼吸器外科を選びました。丁度、社会の高齢化が進み始め肺がんの患者数は増加、又、技術の進歩により肺がんの早期発見が可能となった事で、手術件数は大きく伸びていきました。結果的に、自分の予測と選択は時代の流れと一致していたと感じています。
そして、大きな転機となったのは、米国で初めて肺移植を実施したワシントン大学医学部胸部外科への留学です。当時の日本では、臓器移植に対する社会的制約が大きく、制度的基盤も十分とは言えませんでした。その為、海外で得た最先端の知見を日本に導入したいという強い思いを抱く様になりました。
結局、医局の人員不足により留学は1年間に留まりましたが、帰国後も試行錯誤を重ねながら取り組みを続け、2015年4月、東京大学医学部附属病院で、念願の東京都で初となる肺移植を行う事が出来ました。1993年の帰国から移植に至る迄には長い年月を要しましたが、特別な事をしたという感覚は有りません。只、目の前の課題に向き合い続けてきた結果が、形になったのだと思っています。
音楽と医療、2つの軸を持つ人生
医師としての仕事を続ける一方で、ピアノも長く続けてきました。基礎的な指導を受けたのは12歳頃迄ですが、元々はレコードを何度も聴きながら音を拾う事が楽しく、誰かに教わるというより、自分で聴き取り、考え、弾いてみるという繰り返しの中で、自然と演奏の幅が広がっていきました。レパートリーですが、一般的によく知られている楽曲だけでなく、あまり演奏される事のない作曲家の作品にも惹かれます。そうした作品の中には非常に技巧的で難易度の高いものが多く、所謂「超難曲」に挑戦する事も少なくありません。しかし、「難しいからこそ面白い」という感覚は、どこか医療にも通じるものが有る様に思います。そして、右手と左手をそれぞれ独立して動かすピアノの演奏を続けていく中で、両手を均等に使う感覚が自然と身に付いていった事も、手術の手技等に良い影響が有った様に思います。
現在でも院内イベント等で演奏する機会が有り、医療の現場とは又違った形で人と関わる時間になっています。普段は医師として患者さんと向き合っていますが、音楽を通して触れ合う時間には、別の意味での温かさが有ると感じています。
外科医の第一線から病院経営へ、そしてこれから
現在は日本赤十字社医療センターの院長として、病院運営に携わっています。視力など身体的な変化を契機に自身の役割を見直した結果、外科医から管理職へと軸足を移しました。しかし、立場が変わっても、自ら考え、納得し、目の前に在る事に全力で取り組むという基本姿勢は変わりません。
コロナ禍を経て、医療を取り巻く環境は大きく変化しました。病院経営や医療体制に於ける課題も数多く顕在化する中、病院の在り方そのものを見直す必要が有るとも感じています。その様な中で、嘗て髙本先生から教えて頂いた「患者本位であれ」という姿勢は、医療の本質を表していると思います。今後も、現場と経営の双方でこれ迄の経験を活かしながら、最善の医療の在り方を追求し続け、今の自分に出来る形で、しっかりと医療に貢献していきたいと思っています。
インタビューを終えて
24年12月、サントリーホールにて弊社主催の「癒しと安らぎの環境」フォーラムのオープニングとして、ピアノの難曲「ハンガリー狂詩曲第2番」をご演奏。プロも緊張する大舞台で臆することなく見事に弾き終えられた。本番で発揮される卓越した能力は医療現場でも活かされ、多くのスタッフを率いる名医である。(OJ)
カルチョーフィのフリット
燻製したスカモルツァチーズをカルチョーフィに詰め生ハムで巻き、ビールで溶いた衣がサクッと軽やかな一品。ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリームの深いコクと燻香が相性抜群。
トルナヴェント
東京都港区西麻布3-21-14
センチュリーホーム西麻布B1F
03-5775-2355
18:00〜23:00
日曜休・不定期休有り



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