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未来の会

ロシアの「悪」を相対化させる米欧のイスラエル支持

ロシアの「悪」を相対化させる米欧のイスラエル支持

ガザの人道危機を止められない国際社会のカオス

パレスチナのイスラム組織ハマスが10月7日、イスラエルに対して仕掛けた大規模攻撃は、国際社会の対立構図を一気に複雑化させた。

 ロシアがウクライナに侵攻した昨年2月以降、国際秩序を踏みにじったロシアは「悪」であり、それに抗してウクライナを支援する米欧は「善」だとする構図の上に日本の外交戦略は描く事が出来た。「戦争によって領土等の拡張は求めない」というのが第2次世界大戦における米欧の主導で構築された国際秩序の基本ルール。それに挑戦する野心を隠さない中国がロシアとの連携を強め、米欧に日本も加えた民主主義国家陣営と、中露を核とする権威主義国家陣営とが対立する構図が鮮明になっていた。

中東の戦火拡大にほくそ笑むプーチン大統領

 しかし、これに中東情勢が絡むと善悪の定義が困難になる。第2次大戦後、パレスチナの地に新たに建国されたユダヤ人国家イスラエルは、4次に亘るアラブ諸国との中東戦争を経て領土を拡張して来た。ここに戦後国際秩序の定義は当て嵌まらず、故郷を追われたパレスチナ人が国家樹立を目指してイスラエルの占領に抵抗する戦いを「悪」と決め付ける道理は無い。武力に勝るイスラエルは、ハマスによる大規模攻撃を「テロ」と非難し、「自衛」の名の下にガザ地区に侵攻した。日々増えて行く民間人の犠牲者数が、イスラエルを支持する米欧の正当性を毀損し、国際社会の関心をウクライナの戦火から逸らす事に成功したロシアは内心ほくそ笑む。

 ハマスの大規模攻撃にロシアが関与した証拠は確認されていない。だが、ハマスの背後にイランの支援が有り、ロシアとイランは米国を敵視する同志国として連携を深めている。その連携の先にはシリアが居て、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラにも繋がる。米欧から見れば紛争の火種を撒き散らす「ならず者国家」連合だが、アラブ側から見ればパレスチナを占拠するイスラエルこそが諸悪の根源。中東の紛争が激化し、パレスチナ人の犠牲者が増える程に「悪」の所在が拡散して行く。

 「イスラエルにとってはヨム・キプール戦争以来の大失態だ。ネタニヤフ(イスラエル首相)はもう後には退けない。イスラエルはイランもやるかも知れない。プーチン(ロシア大統領)の思う壺だ」。ハマスの大規模攻撃から数日後、軍事情勢に詳しい防衛省OBが筆者に解説してくれた。

 「ヨム・キプール」とはユダヤ教の聖なる贖罪の日。1973年10月、エジプト・シリア連合軍が電撃的にイスラエル占領地に侵攻し、ヨム・キプールの虚を突かれたイスラエル軍は緒戦で大打撃を受けた。第4次中東戦争である。反撃に打って出たイスラエル軍の勝利で幕を閉じ、これ以降、イスラエルの軍事的な敵対相手はアラブ諸国からパレスチナやレバノンの武装組織へと移って行く。しかし、今回ハマスに奇襲を許した事でネタニヤフ政権の威信に傷が付いた。イスラエルの反撃の矛先はハマスのみならず、その後ろ盾となっているイランやヒズボラにも向けられる可能性が有ると言うのだ。

 それが何故プーチン大統領の思う壺なのか。中東の戦火が拡大すれば、米欧はウクライナとイスラエルという2方面への軍事支援を強いられ、必然的にウクライナへの支援は手薄になる。又、イスラエルが攻勢を強める程、民間人の犠牲が膨らみ、国際秩序の維持を唱える米欧の主張が説得力を失う。そして、他国領土(ウクライナ)に一方的に侵攻したロシアの「絶対悪」が、パレスチナの民間人を殺戮するイスラエルの「悪」と相対化されて行く。ロシアは元々「善」を演じるつもり等無い。ロシアは悪いが米国も悪いという、どっちもどっちの泥仕合に持ち込めれば十分。国際社会に於ける孤立を回避しつつ、ウクライナへの支援が細るのを待つ作戦だ。

 前出の防衛省OBは更に恐ろしいシナリオも想定する。イスラエルがイランに核攻撃を仕掛ける可能性だ。現にイスラエルの閣僚がガザ地区への核兵器使用は「選択肢の1つだ」と発言して非難を浴びた。ネタニヤフ首相がこの閣僚を罷免しなかった事で、イスラエルはイスラム教徒への核攻撃を躊躇しないのではないかという疑心が広がっている。米欧の同盟国イスラエルが現実に核を使用すれば、喜ぶのはロシアだ。ウクライナ侵攻でちらつかせて来た核使用のハードルが一気に下がると考えるだろう。

 世界核戦争の扉をイスラエルに開かせてはならない。今後、イスラエルの軍事行動に歯止めを掛けられるかどうか。その責任を負うべきは米欧という事になる。ロシアは高みの見物か。元よりイランと連携してロシアがハマスを後押しした疑いも拭えない。ロシアに付け入る隙を与えたという意味で、米欧の中東外交の大失策と言わざるを得ない。イスラエルとパレスチナの2国家共存を目指す「オスロ合意」(93年)から30年。両者を仲介する努力を怠って来たツケが今、ウクライナ戦局や米中対立にも波及する形で民主主義陣営にのし掛かる。

「内政下手の外交上手」岸田首相の正念場

この状況下で日本が出来る事は限られるが、米欧と違って中東情勢に特段の歴史的責任を負っていない立場を如何に生かすか。今年は主要7カ国(G7)の議長国として、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国を民主主義陣営の側に引き入れる役割を担い、5月のG7広島サミットにモディ・インド首相らグローバルサウスの首脳と共にゼレンスキー・ウクライナ大統領を招く事にも成功した。対ロシア・中国でG7の結束と倫理的優位性をアピールして来ただけに、中東情勢の悪化でその倫理的優位性が揺らぐ現状は想定外だった。

 それでも、米欧とグローバルサウスを繋ぐ日本の役割は変わらない。G7のうち6カ国(米・英・仏・独・伊・カナダ)がイスラエル支持を打ち出した共同声明に日本が加わらなかったのは賢明な判断だった。日本は52年にイスラエルを承認した一方、長年に亘ってパレスチナ難民の支援を続け、第4次中東戦争の際にはイスラエルに対し第3次中東戦争(67年)で占領した地域からの撤退を求める等、親アラブの姿勢も示して来た。現在はG7議長国として、ハマスによる「テロ攻撃」を非難し、イスラエルの「自衛の権利」を擁護する点では米欧と結束しつつ、イスラエルに軍事行動の自制を強く働き掛けて行く外に道は無い。G7とアラブ諸国の分断を回避し、グローバルサウスとの繋がりを毀損しない努力が日本外交には求められている。

 イスラエル軍の攻撃によるパレスチナ側の犠牲者は1カ月で1万人を超え、その半数以上が女性や子供達だ。ガザ地区の人道危機を放置したまま戦闘が長期化すれば、イスラエルを支持する米欧の「悪」もクローズアップされて行く。ウクライナを侵略するロシアは「絶対悪」であり、ウクライナは「善」なる被害者の筈だった。しかし、ゼレンスキー大統領がイスラエル支持を明確にした事でロシア・ウクライナ戦争の「悪」と「善」も相対化され、国際社会の現状はプーチン大統領の思う壺と言うべきカオス(混沌)の方向へ向かっている。G7の地位が低下すれば中国もほくそ笑み、米中対立の最前線となっている東アジアの緊迫度も増す。日本外交も正念場だ。

 「外交は票にならない」と言われる。岸田文雄・首相はG7議長国として5月の広島サミットを成功させ、国際的にはそれなりの存在感を示して来たが、内閣支持率の低迷に苦しむ。政権浮揚に繋げようと打ち出した定額減税が却って批判を浴び、与党内の「岸田離れ」も囁かれ始めた。早期の衆院解散・総選挙に打って出て政権基盤を固めたいのだろうが、「内政下手の外交上手」ではそれも難しそうだ。

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