
ペイハラ対策の義務化
2026年10月1日からペイハラ対策(ペイシェントハラスメント対策)が義務化される。法律上はペイシェントハラスメントを含むより広い概念として、一般的にカスハラ(カスタマーハラスメント)と称されているが、当面はほとんど同じと捉えてよい。すでにパワハラを規制している労働施策総合推進法の改正により、カスハラについての規定が新たに加わったのである。
現状、医療界では厳しい診療報酬体系や報酬水準に加え、地方厚生局による個別指導・適時調査を通じたチェックも厳しい。さらには、医師、看護師、事務職員その他の人員不足も酷く、病院・診療所の運営は二重に苦しめられている。
そのような中、医療界には患者・家族を「お客様」扱いする昔ながらの悪しき慣習もあり、なかなかクレーマーを排除できていない。二重どころか三重の苦しみである。せめて義務化を機にペイハラ対策を徹底し、三重の苦しみからは脱却したいものである。
応招義務の呪縛
ペイハラ対策が徹底できない理由は、「お客様」扱いの悪しき慣習もあるが、医療界固有のものとしては、医師法第19条第1項に定められている「応招義務」の存在が大きい。
医師法第19条第1項は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めている。医師法第19条第1項違反にかかる罰則規定はないが、行政処分の原因や、民事上の損害賠償責任、刑事上の業務上過失致死傷罪の成立の一要素となることもありうる。社会的責任や信用にも関わるため、この応招義務が大きな心理的障壁となっているのであった。では、「正当な事由」とは何なのか。
1955年8月12日付厚生省医務局医務課長回答は、もともと「「正当な事由」のある場合とは、医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合に限られる」と極めて厳格に解釈しており、一応は、現在もこの解釈が通用している建前ではある。
実務上では、応招義務が問題にされた場合、患者側の事情(緊急対応の必要性)、当該地域の医療の事情(医療の代替可能性)、病院・医師側の事情(診療・勤務時間内外、専門性・診療能力等)など多面的な事情を総合考慮して判断されている。
しかしながら、応招義務があるからといって、患者のハラスメント行為を黙って我慢する理由はない。2019年12月25日付厚労省医政局長通知では、「患者の迷惑行為」の項に「診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される」と明記された。
呪縛からの解放の要領
それでは、「もしも、患者さんからこんなクレームがきたらどうすればいいか?」を具体的な事例を踏まえて考えていきたい。
【事例1】
患者Aは、外来待合室で、他の患者も待っているにもかかわらず、「自分を一番最初に診ろ。なんで俺よりあいつが先に診察を受けるんだ」と大声で騒いだ。別の日には、予約なしで腹痛を主訴に来院し、緊急性が低いため待つよう説明されると、「早く診察しろよ」と大声で騒いだ。さらに、家族の診察に付き添った際、自身の予約がないにもかかわらず診察を求め、断られても長時間診察室に居座った。
①予防
【事例1】のように、「自分を一番最初に診ろ」や「待ち時間が長い」などと大声で騒ぐ行為は、職員・他の患者に対する迷惑行為に該当する。
医療機関は施設管理権に基づき、院内での迷惑行為や逸脱した言動を禁止することができる。待ち時間や診察順については、あらかじめ院内掲示やホームページで周知し、暴言・暴力等には断固として対応する方針を明示しておくことが、トラブルの予防につながる。
②段階的対応
医療機関と患者とは診療契約を締結している。医療機関は患者に診療を提供する義務を負い、患者は医療費を支払う義務を負う。さらに、診療契約は信頼関係に基づいて成立する継続的契約と位置付けられており、両者の信頼関係が崩れた場合は、契約関係が終了すると考えられている。
待ち時間が長いことを理由とするクレームが入るのはよくあることであろう。この1つをもって、直ちに患者Aを出禁にするとしたら、バランスを欠いているし、応招義務違反と言われてしまう。
そこで、「段階的対応」がポイントとなる。
まずは「注意」をする。何度も注意したにもかかわらず迷惑行為が繰り返されれば、まさに信頼関係が崩れたと言えるからである。
長時間の居座りについては、治療の必要性がないことを説明したうえで、「帰ってください。」とはっきり言う。それでも居座り行為を続ける場合は、正当な理由のない居座り行為として、不退去罪(刑法第130条後段)が成立するので、警察に通報が可能となる。
患者が行った迷惑行為については、カルテ以外のところに時系列でメモを残す。カルテは診療経過を記載するものであり、患者が開示請求をした際に迷惑行為の内容などが記載されていると、さらなる紛争を招くこともあるからである。
迷惑行為が繰り返された場合は、患者に「誓約書」を書かせたい。迷惑行為の事実を認め、再発時の警察への連絡や、二度と来院せず診療を求めないことを約束させる。こちらから来院するなと言うのではなく、患者自身に約束させることで、応招義務違反との指摘を回避できそうである。
誓約書の記載を拒否した場合や、迷惑行為の程度が重大な場合は、「通知書」を送る。患者の迷惑行為により、医療機関と患者との信頼関係が破壊され、診療契約が終了する旨を通知するのである。
それでも来院や電話を繰り返す場合は、弁護士に相談し、代理人名義の通知書の送付や調停手続き等に移行するのがよい。
このような診療内容にかかるクレームへの対応は、口頭で説明するよりも書面で行う方が患者、医療機関側ともにメリットがある。
検査の際、看護師から指示された体位をとったために腰を痛めたとして治療費を請求してきた【事例2】。あるいは、術前に、退院後半年は経過を見る必要がある旨説明していたにもかかわらず、半年以内の予定していたイベントまでに改善しなかったとしてクレームを入れてきた【事例3】。
患者側が感情的になっている場合、口頭で説明しても長時間を要するうえに、後に同様のクレームが繰り返される可能性もある。隠し録音によって医療機関側の発言の揚げ足を取られるリスクもある。しかし、書面にすれば、医療機関側は事実関係を十分整理でき、患者も何度も読み返すことができる。患者が家族や知人に見せることで、第三者的な立場から患者を説得してもらえる可能性も期待できる。
例えば【事例2】なら、検査時の流れを時系列で整理し、どのような体位をお願いしたのか、その必要性、検査時に痛みの訴えがあったのか等をまとめ、「当院の見解」として治療費を負担する理由はないと考えていることを記載する。
【事例3】なら、術前の説明内容を説明同意書に照らして整理し、もともとイベントまでに改善することは難しいことを前提に患者も同意していたことをまとめる。早期対応をするのはよいことであるが、医療機関内で事実関係を整理できていないまま早計な対応をとるのは、逆効果であろう。
ペイハラ対策の徹底
患者の理解度、事案の内容によって対応の仕方が異なるが、以上について頭の片隅に置いておいてもらえると、応招義務の呪縛からの解放の一助となり、実際の対応にも役立つと思う。応招義務の呪縛から解放され、徹底したペイハラ対策によって、病院・診療所の負荷が少しでも取り除かれたら、と望む。


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