最高裁が旧優性保護法を違憲と判断
「不良な子孫の出生防止」を第1条に掲げ、強制不妊手術を認めた旧優生保護法。1948年から96年まで存在したこの法律の異常性を、国は昔から認識していたはずだ。だからこそ母体保護法への改正時に、ナチスを思わせる優性思想を排除したのだろう。
ところが改正後も、国は約1万6500人(同意を含むと約2万5000人)に上る被害者に謝罪も補償もせず、「当時は適法的な処置だった」とサイコパス的な回答を繰り返した。
状況が変わり始めたのは2018年。宮城県の60代女性が、知的障害を理由に手術を強制されたとして、国を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。すると声を上げる被害者が増え始め、実態調査が開始された。
「不妊手術9歳女児にも」。札幌市の小島喜久夫さん(83)は同年、何気なく手にした新聞の大見出しに衝撃を受けた。心の奥底に長く閉じ込めてきた怒りや悲しみの感情が、一気に噴き出した。小島さんもこの手術の被害者だった。同じ日、同じ精神病院で、手術をされた女子中学生の悲痛な顔が鮮明に蘇ってきた。「絶対に許せない。許してはいけないんだ。世間に何を言われるか分からないけれど、声を上げよう」。実名、顔出しでの国賠訴訟を決意した。
小島さんは実の両親の顔を知らない。物心ついた時には裕福な農家で育てられていた。ところが、この家に男児が生まれたことを境に父母の態度が豹変した。特に父からの虐待は壮絶だった。「今にみていろ。絶対に復讐してやる」。恨みだけを支えに、過酷な境遇に耐え続けた。
中学を卒業すると家を飛び出し、ススキノで悪い仲間をつくった。体力でも父をしのぐようになり、「復讐」のためカネをせびりに行くようになった。そして18か19歳の時、また父の家にいくと警官が待ち構えていた。「遂に捕まるのか」。観念して警官の指示に従った。ところが、連れて行かれた先は警察署ではなく精神病院だった。症状は全くないのに「精神分裂病」とされ、強制入院になった。
院内で抵抗すると注射を打たれ、電気ショックをかけられた。ロボトミー手術はどうにか避けられたが、「あんたみたいなのが子どもを作ったら世の中おかしくなる」と言われ、不妊手術を強制された。「このままでは殺されかねない」。日々の恐怖の中で作戦を練り、鉄格子だらけの病院からの脱走に成功。以後は心を入れ替え、トラック運転手などの仕事に励んだ。
結婚は2度した。最初の相手は子どもを欲しがったため、手術のことを明かせず亀裂が深まった。現在の妻にも訴訟を決意するまで明かせなかった。
24年7月3日、最高裁判所大法廷は「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない」とし、憲法13条「個人の尊重」と14条「法の下の平等」に違反するとの判断を示した。これにより、小島さんらが起こした5件の国賠訴訟のうち、4件で国に賠償を命じる判決が確定。残る1件(高裁で敗訴)も審理のやり直しが命じられた。
裁判を決意して間もない頃、小島さんは苦しんでいた。手術の証拠が病院にも自治体にも残っていなかったからだ。「本当なんです。見てください」。小島さんはそう言って下着を脱ぎ、恥ずかしさをこらえて筆者に手術痕を見せてくれた。
なぜ被害者がここまでしなければいけないのか。この国は何もかも、当たり前の判断が遅すぎる。
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