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未来の会

第9回 私と医療 ゲスト 間野 博行

第9回 私と医療 ゲスト 間野 博行
間野 博行(まの・ひろゆき)①生年月日:1959年6月1日 ②出身地:岡山県 ③感動した本:ローマ人の物語(塩野七生) ④恩師:髙久史麿先生(元東京大学医学部第3内科教授・現 公益社団法人地域医療振興協会 会長) ⑤好きな言葉:世界は不思議に満ちている ⑥幼少時代の夢:科学者、弁護士 ⑦将来実現したい事:科学の力で、1人でも多くのがん患者の命を救うこと
——どのような子供時代でしたか?

 昭和34年6月1日に岡山県高梁市という田舎町に生まれ、高校卒業まで17年間そこで過ごしました。両親には、本を好きなだけ買ってくれたことを感謝しています。思い返せば、幼稚園の時に既に理系な思考をしていました。氷がどうして上から凍るのか? フェーン現象はなぜ風が降りてくる地域で温度が高くなるのか? こんな事にずっと興味がありました。小学校に入っても同じです。小学1年の時のお年玉で電気回路作成キットを買い、発電機やスピーカーやラジオを初めて作ってのめり込みました。その後、アマチュア無線に興味を持ち、初めてブラジルの人と交信したときは嬉しかったですね。それで英語にも興味を持つようになりFENを聴き始めました。本当に「世界は不思議に満ちている」と思います(私の造語です)。難しい質問を次々に投げかけるので親も先生も困っていたと思います。何でも1人でずっと考えて没頭する子供でしたね。

 小中学の成績はまあまあ良かったですね。仲間と一緒に地元の岡山県立高梁高校に進みました。今年創立140周年と歴史ある学校で、校舎は天空の城として人気の備中松山城の大手門の中にありました。坂を上って登校するのがキツかったですね。そしてストレートで東京大学理科3類に進みました。

——人のためになる喜び

 大学時代はあまり真面目な学生ではなかったですが、テニスをやっていたので他大学の学生とも交流が出来たのは良かったですね。医学部生の頃、果たして自分は医者に向いているのかと自問自答しました。子供の頃よりずっと1人で何かに没頭するのが好きだったので、自分は患者に寄り添うことが出来るのかと心配でしたが、それは杞憂でした。医師として働き始めてみると、人の命を預かることの重大さ・責任を強く感じましたし、がむしゃらに働きました。医師としてのやりがいも自分の中では大きかったです。

 東大を卒業し研修医になり最初の患者が私の人生を大きく変える事になりました。予後不良の悪性度の高い白血病患者で大量の抗がん剤を投与しましたが残念ながら亡くなってしまったのです。解剖時に全身からカビが見つかりました。白血球減少のため体内に真菌症が起きて亡くなったのです。そのときに思ったのですが、こんな大雑把で鉈で人を切るような治療では体が弱い人や高齢者は耐えられない、もっとがんの原因を見つけ、それを選択的に叩くような治療は出来ないものか。結局この経験に導かれるように、自分は血液内科医になり、がん研究を目指すことになりました。入局は、最初は東京大学第4内科に入る予定でしたが、血液内科に惹かれ最終的に髙久史麿先生が主宰する第3内科に入局しました。髙久先生にはそれ以来、変わらぬご指導を頂いています。

 第3内科で2年間夢中で臨床と研究に打ち込んだ後、米国のセントジュード小児研究病院に留学しました。この病院はテネシー州メンフィスにあり、世界の小児がんの標準治療に大きく貢献している大変有名な病院です。しかも、大規模な寄付活動のおかげで入院費・治療費を無償でがん治療を受ける事が出来るという、米国の懐の大きさを痛感する施設でした。ただメンフィスという街が、エルビス・プレスリーのグレイスランドとバーベキューくらいしか有名な物が無く、ひたすら仕事をしていましたね。

——「世界の間野」と言われる研究開発はどのように?

 自治医大で自分の講座を持った当時、たくさんの分子標的薬が開発され臨床試験に入っていましたが、予想外にも、単独で予後を改善出来るものはほとんど無かったのです。ただBCR-ABL陽性慢性骨髄性白血病に対する分子標的薬グリベックだけは奇跡のような有効性をもたらしました。私は、グリベックと他の分子標的薬との違いは何なんだろうと考えてみました。おそらく全てのがんは、初期の低酸素状態を乗り越えるためにゲノムの不安定性を獲得し、次々とランダムな変異を起こし続けているのだろう。そのようなヘテロな細胞集団を単一の薬剤で殺すためには、がん発生初期に生じていて、全てのがん細胞が共通に持っている「がんの直接的な原因となっている増殖誘導タンパク」を標的にするのが最も有効なはずです。グリベックだけがあれほどの有効性を獲得しているのは、その標的BCR-ABLこそが慢性骨髄性白血病の直接的な原因タンパクだからだと思いました。そこで、増殖誘導タンパクを探し出す新しい遺伝子スクリーニング法を作って肺がんの検体を解析したところ、「EML4-ALK融合遺伝子」が見つかったのです。当時の常識では、融合型がん遺伝子は白血病のような造血器腫瘍にはあるが、固形腫瘍には無いだろうと言われていたので大変驚いた事を覚えています。論文発表は世界中のがんの研究者に衝撃を与えました。

 しかし、翌年にはALK阻害剤を用いた治験が既にアメリカ・韓国・オーストラリアで始まっていたのです。私たちは日本のEML4-ALK肺がん患者を救うべく、全国のEML4-ALK陽性患者を診断して韓国の治験に送り出すボランティア活動を行いました。その後、日本でも治験が始まって大成功となり、アメリカのFDAは第Ⅲ相治験を不要として極めて短期間に承認しました。画期的な判断が出来るアメリカは強いです。日本の研究者はアメリカの物量の前に戦う事は困難ですので、固有の武器で挑まなければなりません。近い将来には、がんの分野でも中国にも抜かれてしまう事を危惧しています。若い研究者にはどんどんと挑戦をして欲しいですね。

——自身の健康法は?

 医師として患者を診ていて、脚力・財力・夫婦仲が長生きの秘訣な気がします(順番は諸説あるでしょうが)。自分の力で歩けなくなったときと食べられなくなったときに人は生きる活力を奪われがちです。私自身はできるだけスポーツジムに行くようにしていましたが、新型コロナ禍ではそれもままならず、何とかウォーキングを続けるよう頑張っています。

——今後の夢ですが……

 ALK阻害剤は素晴らしい治療効果をもたらしますが、有効な分子標的薬があるがん患者は全体では2〜3割でしょう。残りのがん患者に有効な治療薬をもたらすべく、また日本の国力を上げるべく、国家事業としてのがん全ゲノム解析プロジェクトに貢献したいと考えています。

インタビューを終えて

日本のゲノム研究を牽引する最高責任者としてその責任は重いが、幼稚園児から科学に興味津々の男としては最高のポジションに違いない。情報発信力も会話力も素晴らしく楽しい会食となった。研究者であり医師である事が、開発に大変有利に働くとの説明は納得する。1人のゲノム研究者の開発で、今後多くのがん患者が救われる事は、医者・研究者冥利に尽きる。(OJ)


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