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未来の会

第106回 うつ病患者も大満足の治療法「TMS」

第106回 うつ病患者も大満足の治療法「TMS」
「自殺者数の削減をしなければ、一流国家として恥ずかしい」

 2006年、G8サンクトペテルブルク・サミットに参加していた小泉純一郎首相は、初議長のプーチン・ロシア大統領との雑談の中で日本の自殺者数の多さについて質問されショックを受けたという。帰国後、直ちに自殺者の削減に向け、厚生労働省に檄を飛ばした。それから時は経ち、形を変え、安倍晋三政権の掲げる「働き方改革」はその延長線にあるともいえる。

 檄を受けた厚労省は自殺者削減策を重要課題に掲げた。2011年7月、厚労省は精神疾患をそれまでの4疾病(癌・脳卒中・急性心筋梗塞・糖尿病)に加え、5疾病とすることを決定した。我が国には医療法に基づく医療計画制度があるが、各都道府県の医療機関がその疾病情報を連携する医療体制を構築している。

 この疾病を決める際には、患者数が多く、死亡率が高いなど緊急性の高さが主要な条件となっていた。

看過出来ない精神疾患の社会的損失

 精神疾患は直接死に至るわけではないと考えられていたが、近年の患者数の増大、自殺や就学・勤労困難など社会的な機能の低下を引き起こしているとの理由付けをし、急きょ、医療計画の対象となった。現在の精神医療の水準は、診断・治療の両面において患者の満足を得るものとは言い難い。

 その後にも、精神疾患の推移を見ていく中で大きな問題があることが判明した。それは他の4疾病に比較して精神疾患の治療薬に対する患者満足度が極めて低いことだ。

 11年に改正された障害者基本法には、発達障害に関して「医療の質を上げる。不必要な投薬を避ける。適切な支援を提供する」とある。これらは発達障害に対する適切な支援が行われていない現状を反映したものだ。

 12年8月に改定された自殺総合対策大綱には、自殺者の多くが精神疾患に羅患しているとし、精神疾患の病態の解明や診療・治療技術の開発が必要だと書かれている。

 09年に発表された世界保健機関(WHO)の統計によれば、日本における疾病による社会負担の大きさを表わす指数であるDALY(disability−adjusted life year:障害調整生命年)が、がん患者を抜いて精神神経疾患がトップであるとも報告されている。
 そもそも日本の精神疾患の研究は、その対策が大きく停滞をしていた。それは、当時の精神医療界は「うつ病は心の風邪」として原因を外部環境に求め、疾患とは認めないという見解を有していたからだ。

 精神疾患の中で、うつ病などの気分障害は95万人が治療を受けているが、実数はその数倍はいると推定され、成人の休職の主な原因となっている。うつ病の場合、抗うつ薬を使用しても効果の発現までに数週間も掛かったり、数種類の投薬をしても効果が不十分であったりして、長期の休職を余儀なくされることもある。

 11年3月に厚労省の障害者総合福祉推進事業費補助金を受け、慶應義塾大学から「精神疾患の社会的コスト(損失)の推計」という報告書が発表された。この中で、「統合失調症は約2兆7700億円、うつ病性障害は約3兆900億円、不安障害は約2兆3900億円の社会的コスト(損失)とあり、非就業費用が大きな割合を占めているとある。

 これらの疾病の考察として、①有効な治療法が確立されていない②患者が治療を受けていない③患者が有効な治療を受けていない─と指摘されている。①について、有効な治療法が確立されていないのであれば、根本的な治療法の開発により医療資源を投入するべきであり、もし有効な治療法が確立されているのであれば、患者を啓発し、医療機関へのアクセス率を上げることに傾注するべきだとある。すなわち、精神疾患の有効な治療法が未だに確立出来ていないことが分かる。「これが精神疾患の治療の現実だ」とある。

 合計約8兆2500億円にもなる精神疾患における社会的コスト(損失)は大きな数字で、とても看過出来るものではない。

TMSをいち早く日本に導入した翔友会

 12年2月放送のNHKスペシャル「ここまで来た! うつ病治療」の中で、TMS(Transcranial Magnetic Stimulation:経頭蓋磁気刺激)による治療法が紹介された。TMSは磁気によって大脳を刺激して、大脳の神経活動性を変化させる装置のこと。番組ナレーションは「紹介するほとんどが米国だけで行われている治療法で、残念ながら日本では受診出来ない。しかし、この治療が日本でも受けられるようになるのはそう遠い未来ではない」と語っていた。

 日本には無い新しい治療法が紹介され、うつ病患者などから大きな反響があった。その後、同じタイトルで書籍も出版されている。その後、このTMSをいち早く日本に導入したのが、医療法人社団翔友会の理事長だ。綿引理事長は「新しい治療法の導入でうつ病患者を救いたいとの一念だった」と話す。この先見の明が多くの精神疾患の患者を救うことになる。
 このTMSは既に米国のFDA(米国食品医薬品局)の認可を取り、精神疾患の最新の治療法として話題を呼んでいる。この治療法が人気を得ているのは、薬の服用と並行して受診出来ることと副作用が無いことだという。米国はうつ病大国で、治療法の研究にも熱が入る。その先端にある治療法がTMSだ。

 健康人は、認知や意欲、判断を行う領域であるDLPFC(dorsolateral prefrontal cortex:背外側前頭前野)の機能が十分で、DLPFCが恐怖や不安を引き起こす扁桃体を制御する働きをすることで、平和な精神状態を保てるが、うつ病患者の場合、このDLPFCの機能低下によって扁桃体を制御出来ず、憂うつや悲しみ、不安、焦燥感といったうつ病特有の症状が出現する。TMSは磁気でDLPFCに40分ほど刺激を与えることで機能を復活させる。

 米国のNeuroStar社、イスラエルのBrain-way Deep TMS社、英国のMagstim社、デンマークのMagventure社などのメーカーがFDAの認可を取得している。そして、TMSの研究も日進月歩を遂げている。

米国で注目される川口佑医師の治療症例数

 今春、『集中』編集部に米国精神医学会の下部組織、米国臨床TMS学会から取材の許可が届き、学会が開かれている米国カリフォルニア州サンディエゴに出向いた。TMS学会は米国精神医学会の本会に先立って5月18日〜20日の3日間、開催され、大盛況だった。弊誌取材班が追い掛けたのは、TMS学会の主役の一人と言われる日本人医師、川口氏(筑波大学医学専門学群卒)だ。

 会場の一つでは、ブースを構えた各国からの医療機器メーカーのデモストレーションが行われ、世界各地から来場した精神科医でごった返していた。4階テラスでは、学会から指名された精神科医のポスターセッションが行われており、このポスターセッションでも川口はひと際注目を浴びていた。
 米国が最初に導入したTMSを綿引理事長が早い段階から日本に取り入れた新宿ストレスクリニックの院長として、川口は今日では世界で最も多くの治療症例数を持つ医師としてTMS学会では有名だ。ポスターセッションでも川口が提供した資料に関し、多くの精神科医から質問が相次いだ。

 翌日、川口が講師を務める本会議場での講演も満席だった。5000を超えるTMSの治療数に基づく講演内容に、会場は熱気で溢れていた。DLPFCへ刺激を与える照射の場所を効率良く探し出す方法なども披露されたが、これも膨大な症例があってこその発表といえる。

 米国の医師でさえ最高症例数が数百単位という中、群を抜く症例数を持つ川口に、多くの米国メディアも講演を映像に収めていた。1時間の講演後も質問者の長蛇の列が出来、川口が解放されたのは講演終了からさらに1時間後だった。
 ロサンゼルスで唯一、日本人医師として開業し、多数の人気著書もある精神科医の医師(広島大学医学部・イエール大学医学部精神神経科卒)も駆け付け、講演内容を評価していた。また、川口の講演を聞いた米国精神医学会の幹部も「ドクター川口は米国が産んだTMS治療の第一人者に躍り出た」と話していた。
 講演の中で川口は、これまで使っていたTMSをライバルメーカーの機器に変えたところ、1日当たりの治療患者数が以前より増え、短期間に治療効果も出るようになったと発表。TMSの改善に取り組む医療機器メーカーを喜ばせた。

 川口の講演内容は、治療とビジネスが共存出来る医療を示したともいえる。医療機器メーカーがTMSを改良し、効果が上がるようにすれば、患者満足度が上がり、患者の受診回数が増え、病院経営にも貢献するという。講演は経営を重視する米国医療界を意識した内容でもあった点が、高い評価を受けた理由の一つだ。

薬のいらないTMS治療法

 帰国後、直ぐに川口を新宿ストレスクリニックに訪ね取材した。新宿ストレスクリニックで行うTMS治療は保険適用のない自由診療だが、治療費は開設当初に比較して半分ほどになったため、ストレスやうつ病で悩む患者が多く来院しているという。特に、労働環境の悪化による高ストレス者も多数見受けられるようだ。

 電通の女性社員の過労自殺が、社長を辞任に追い込んだ。これは世論が企業に厳しい目を向けている証でもある。企業主導による社員の健康管理が進まない中、厚生労働省が「ストレスチェック制度」を企業に義務付けたことは大ホームランといえる。

 政府は企業に対し、「職場におけるメンタルヘルス対策」が十分機能するように強い姿勢で臨んだ。これにより、企業内うつ病予備軍、自殺予備軍を事前で救うことになり、自殺者削減が期待出来る。このストレスチェックで自分が高ストレス者だと知り、新宿ストレスクリニックに受診に来たうつ病予備軍が急増しているという。
 これまでの日本の精神疾患治療は「心の風邪」「不適切な投薬」と言われてきた。精神科医でも、うつ病の診断は難しい。加えて、近年「新型うつ病」も出現し、より診断が難しくなってきている。

 精神科の診察は問診だけであり、採血やレントゲンなどの判断材料が無いことから、安易に薬が処方され、その結果、再発率が高く慢性疾患になる可能性も高い。新しい治療法TMSは薬剤抵抗性や慢性うつ病にも大変効果的だ。これからの精神疾患の治療には必須の治療法といえるだろう。やっと日本も、米国に追い付いた。(敬称略)

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