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未来の会

第68回 医師が患者になって見えた事 神経難病でも甲状腺専門医として復活を期す

第68回 医師が患者になって見えた事 神経難病でも甲状腺専門医として復活を期す

キョーワメディカルケア株式会社
あかり訪問看護ステーション
みんなの保健室 医師•健康アドバイザー
小田 瞳/㊦

小田 瞳(おだ•ひとみ)1981宮崎県生まれ。2005年早稲田大学人間科学部卒。09年愛媛大学医学部卒業、同医学部附属病院、済生会今治病院での研修を経て、14年医療法人神甲会隈病院入職(18年退職)。21年から現職。

2019年4月、首から下が全く動かせなくなった小田は、国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)で、多発性硬化症に重症筋無力症を併発しているとの診断を受けた。5月に同院に転院して、本格的な治療を開始した。いずれも自己免疫疾患であり、急性増悪には、血液浄化療法(血漿交換)で、血液中の自己抗体やサイトカインなどの炎症に関わる物質を除去する。加えて、免疫グロブリン大量静注療法も行った。

家族とともに在宅療養できる道を探る

これらの治療は幸い小田に有効だったが、根治に至るものでなく、入院生活は長引いた。9月には、重症筋無力症による嚥下障害や呼吸機能障害が悪化。食事は、経鼻経管栄養に依らざるを得なくなった。自発呼吸はあったが、マスクを装着し、非侵襲的陽圧換気(NPVV)療法を始めた。

一生治療を受けながら、緩やかに進行していく神経難病と付き合っていかなければならない。夫は遠方で仕事を続け、2歳の息子も夫の実家で暮らしていたが、何とか家族との生活を取り戻したかった。隣の病床の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の仲間が、「大丈夫よ」と背中を押してくれ、在宅療養の道を探った。やはり患者仲間から、自立生活センターという団体の紹介を受けた。英語名は「Center for Independent Living(CIL)」という通り、1970年代に米国で生まれた、障害者が自立生活をするための拠点で、当事者(障害者)主体で運営されている。日本でも各地にCILが設立され、自ら介助者を派遣するなどしている。

CIL小平の理事である竹島圭子は、自身も筋ジストロフィーの当事者で、ソーシャルワーカーや行政の窓口と連絡を取ってくれた。小田は夫と話し合い、夫には単身赴任をしてもらい、自分で息子を育てていこうと決めた。そのためには、24時間ヘルパーの介助が必要で、体調が優れない中で、申請のため数十枚に及ぶ書類と格闘した。車椅子も、電動で座位を保てるなど高性能のものが必要だ。その申請にも、嘆願書や申請書などを何度も準備し、市役所に日参して思いを叶えた。

12月に退院の日を迎え、通院に便利な場所に、息子と暮らす新居を構えた。「CILは、障害者の世界を変えた人たち。自分の味方に付いてくれることは、本当に心強い」。

息子は、近隣のキリスト教の幼稚園に入れようと思った。患者仲間を介して入院中に知り合った園長から、「神様は見ていてくれるから」と激励され、どん底にあった気持ちが上向いた。地域で暮らす手はずが整う中、コロナ禍が襲った。2020年春から念願の母子2人暮らしをスタートさせたが、結局、息子と時々しか会えない生活が1年以上続いた。

一時は経管栄養のみで筋肉が衰え、体重は40kgを切った。ステロイド薬の副作用で骨が脆くなり、圧迫骨折を繰り返した。4回目は猛烈な痛みで救急搬送されたが、入院してもコルセットで安静を保つだけと悟り、早々に退院した。住居もそれまでの2階から1階に引っ越し、ヘルパーも2人体制にして、十分な体位交換を行ってもらうようにした。

自宅での小田は、ほとんどベッドの上で過ごし、息子は、ヘルパーのいる生活に自然となじんでいった。夫や小田の両親は、定期的に上京してくれる。一方で、介護は専門家に任せることで、家族の生活が制限されずに済んでいることを、小田は喜ばしく思っている。

体調には波があった。顔と手の筋肉は動かせ、会話はできるし、タブレット端末を操りながら、意思疎通を図れる。しかし、麻痺が激しかったり、言葉を発しにくかったりする日もあるため、ヘルパーの存在が命綱となる。もはや介助者を超えて、家族同然の気の置けない関係を築いている。

嚥下障害があっても、食欲を抑えられず、入院中から菓子などを口に含んでは、吐き出すことを繰り返していた。地元で、摂食嚥下障害に熱心に取り組む歯科医が、小田の願いを受け止めてくれた。まず、経管でおいしく食べられるものはないかと試すうちに、血漿交換などの治療の甲斐あって、ある日、口から飲み込めるようになった。そこからミキサー食、さらに普通食にステップアップした。餅とコンニャク以外は何でも食べられるようになり、息子と同じ食事をとれる。2021年のクリスマスは、待望のフライドチキンを食べた。

横たわった状態の小田に、息子が抱きついてくる。もし、甲状腺外科医として第一線で働き続けていれば、むしろ子育てに割ける時間は限られていたはずだ。今は育児休暇中のようなつもりで、共に本を読み、存分に語らいながら、息子の興味や関心を伸ばしてやれる。至福の時間だ。

分身ロボットを操り健康相談に応じる

小田の世界はさらに広がっていった。訪問看護ステーションを運営するキョーワメディカルケアが、大阪府吹田市のステーション内に、立ち寄って健康相談ができる「みんなの保健室」を併設するという。そこに分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を用いて、健康相談に応じる医療者を探していた。患者仲間の紹介で、ダメ元で応募したところ、採用された。

2021年2月から週に2回、毎回2時間ほど、タブレットでオリヒメを操り、健康アドバイザーとして、様々な心身の悩みや相談に助言を行っている。まるで、その場にいるかのように、小田の分身である「オリヒメ母さん」は、うなずいたり、拍手したり、時には「なんでやねん」と突っ込み返す。

大きなやり甲斐を得ているが、残念なことに、堂々と医師であると名乗れない。多くの自治体では、就労中に重度訪問介護を利用することを認めていない。このため、雇用関係を結ばず、趣味としての活動にとどまっている。新たな夢にも挑戦した。公認心理師の資格取得に向けて勉強を始め、2022年7月に受験し、合格の朗報を待っている。

人間の欲求は段階的により高次なものに向かい、人は成長していく。小田にも、最も上位の「自己実現の欲求」が芽生えてきた。専門とする甲状腺疾患は、長期に渡りフォローアップする症例が多い。また、専門の医師が少なく、説明や相談に時間を割けない。自分がオリヒメを用いれば、遠隔相談に乗ることもできるかもしれない。「治療方針は主治医に立ててもらい、患者と医療や福祉をつなぐ架け橋になりたい」。医師や心理師の資格、バセドウ病を患った体験、介護を受けている体験も生かせるだろう。それを、かつての勤務先である隈病院(神戸市)で実現できれば、本望だ。2022年に日本甲状腺学会の認定専門医資格を更新した。更新には症例報告が必要で、次の5年間に、甲状腺専門医として復帰することが最大の目標だ。

息子は小学校入学を控えており、来年からは、少し自分の時間が持てそうだ。「人生を楽しみ、絶えず夢を持って実現し続けたい」。最愛の家族と共に、互いの夢に向けて歩み続ける。(敬称略)


〈聞き手•構成〉 ジャーナリスト:塚嵜 朝子 

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