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第166回 患者のキモチ医師のココロ 医療ガスライティング防止のススメ

第166回 患者のキモチ医師のココロ 医療ガスライティング防止のススメ

 今回は、「医療ガスライティング」という概念について話してみたい。「ガスライティング」自体、おそらく多くの人ははじめて聴く単語だろう。

 この言葉の元になっているのは、イングリッド・バーグマン主演のサスペンス映画『ガス燈』だ。物語の中、主人公の夫は自らの悪事を隠す目的で屋根裏部屋に忍び込み、ガス燈を使う。そのため家のガスが不足するのだが、あやしむ主人公に夫は「おまえの物忘れや妄想のせいだ」と詰め寄り、心理的に追い込んでいく。「ガスライティング」とはまさしくこの物語の通り、強い立場にある人物が弱い立場の人に一方的に「おかしいのはおまえだ」と言い、そう思わせるというマインドコントロールであり、ハラスメントだ。

 「あなたは妻にそうしているのではないですか、という話か」と思う人もいるかもしれないが、そうではない。このガスライティングは医療現場でとくに起きやすいのではないかと考え、それに「医療ガスライティング」という名前をつけることを提案したい、というのが本稿の趣旨なのだ。

眉の動き1つで威圧感に?

 いちばんわかりやすいのは、医師と患者との間で起きるガスライティングだろう。患者の質問などに対して、「あなたはシロウトなんだから黙ってなさい」とまで言う医師はさすがにいないと思うが、次のようなことはないだろうか。ネットが普及している今、告げられた病名や処方された薬について、患者や家族は一生懸命に検索し、そこからさまざまな情報にアクセスする。その中には、必ずしも正確な情報とは言えないものも多い。外来で「先生、この間いただいた薬、ネットで見たらこんな副作用があると書いてありました。私、怖くなって飲めないのですが」と話す患者に、医師は言う。「もしかして2週間前に出した薬、まったく飲んでないの? 必要だから出したのに。副作用が出るのはほんの一部の人ですよ。ネットなんて無責任な人が大げさに書いてるだけ。こちらは勉強して処方してるのに、どうしてネットの方を信じるの?」

 そう言われた患者は、「たいへんなことを言ってしまった。私は何もわからないのに」と萎縮し、「すみません。私が間違ってました」と謝るかもしれない。そして、「常に正しくないのは私。私には判断はできない」という思い込みが形成される。これもガスライティングと言える。

 そして、医師と患者以上にこの関係が形成されやすいのは、医師と他職種との間だ。看護師や薬剤師、理学療法士などが患者の治療に関して何らかの自己主張をした場合、医師の中にはそれに対して否定的な反応を示しがちな人がいる。「間違ってるよ」といった言葉にしなくても、「え?」と眉をひそめるだけでも相手にとっては十分、威圧的だ。「それ、いったい何の文献にあったの?」とでも言おうものなら、気の弱い看護師や薬剤師なら「すみません」とまず謝ってしまうかもしれない。

 「いや、ウチの患者さんや看護師は言いすぎるくらいなんでも言うから」と思う医師もいるだろう。しかし、そもそも医師は医療現場では「先生」と呼ばれ、指示系統のトップに立つ存在であることは明らかだ。キャラクター的に強権的ではない医師であっても、医療現場では権威の象徴となっている。医療現場には「医師が圧倒的な力を持つ」という「力の不均衡」が内在しているのだ。だから、誰かの発言に対して医師が「え?」とつぶやいただけで、言われた側はそこから「間違っているのはあなただ」という無言のメッセージを受け取りかねない。こういう状況が基本にあると、患者と医師、他職種と医師の間で適切なコミュニケーションなど到底できなくなる。

 いま医療コミュニケーションの本は無数に出ており、それは医学教育でも重視されている。しかし、いくら正しい説明の仕方や言葉の選び方を医学生が学んだとしても、医療の現場には本質的に「力の不均衡」があるという構造を理解していなければ、いくら円滑な会話が交わされているようでも、それは表面的なものにすぎなくなってしまう。

医師側が気をつけるのが得策

 「ガスライティング」という新しい概念についてわかりやすく説明したミシガン大学の社会学者は、こう言う。

 「ガスライティングが有害なのは、社会的不平等から生まれて、不平等をさらに悪化させるだけではなく、孤立した状況の中で内面化され、本人が自己意識を疑うようになるからだ。自分は世界を正しく解釈していないのではないかと疑うようになると、大きなダメージとなる」(P.L.スウィート「ガスライティング 相手の現実認識をゆがめる虐待」、『日経サイエンス』2023年6月号)

 一般的なガスライティングはマジョリティに属する人と女性、有色人種、貧困層など社会的に弱い立場の人との間で生じるが、繰り返してきたように医療現場には「医師とそれ以外の人」という特殊な不平等が常に生じている。たとえ患者が社会的には力のある人物であっても、手術を受けるときは全身麻酔で意識を失い、執刀医に命を預けるしかないのだ。

 では、どうすればこの「医療ガスライティング」は防げるか。一般的には「孤立しないで」「頼れる人とのネットワークを大切に」などと被害を受ける側へのアドバイスが示される。ただ、「医療ガスラティング」の場合は違うと考える。被害者サイドが注意するのではなく、加害者サイドである医師がそれを起こさないように気をつけるしかないのである。

 これは私見なのだが、そのためには医師は患者、他職種と「対等」な関係ではなく、あえて「対等より自分が一段、下」の関係を意識することが大切なのではないかと思う。誤解しないでほしいのだが、これは何も「相手にこびたり、何でも言うことを受け入れたりせよ」ということではない。自分が話すよりも1.5倍くらい多く相手に話させる、相手の話を聴くときはうなずくなどややオーバーアクションぎみにする、相手の話に否定的な言葉を口にしない、それだけではなくて否定的ととられるような表情もなるべく作らないようにする、といったことだ。あとこれも意外に重要なのだが、相手の体格が自分より小柄な場合は、背筋をのばしすぎず見下ろすような視線にならないようにする必要もある。ベッドサイドではどうしても「見下ろす視線」になってしまうが、その場合は少しかがむなどして「見下ろしたくない」という姿勢を示せばよいだろう。

 「そんなことにいちいち気をつかうのはたいへんだ」と思うかもしれないが、これでようやく医師とほかの人たちは対等に近づき、コミュニケーションの土壌が整ったことになる。「どうせ間違っているのは私」という思い込みから患者や他職種を解放することで、医療の質や患者、スタッフの満足度は格段に上がる。医師が独裁的に振る舞い、誰も何も言えない現場は硬直化し、実は医療の質も高まらず、患者は不満を抱えながら他院に移ることもありうる。

 「あなたは決して間違ってない。なんでも思ったことを言ってほしい」と常に口にしまわりを励ます。そんな風に、誤ったガス燈ではなく、正しく明るい光で現場を照らせる医師がひとりでも増えることを願っている。

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