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未来の会

患者の為の大学医学部改革

患者の為の大学医学部改革

論文偏重を改め患者本位の評価軸へ

大学病院は日本の医学・医療の最高峰である——。我々は長く、それを当然と考えてきた。高度な医療機器を備え、難しい病気を診断し、先端的な治療を行い、医学研究を進め、次代を担う医師を育てる。その役割は大きい。しかし、本当に大学病院は、患者にとっても「最高峰」と呼べる存在なのだろうか。研究論文の数や研究費の獲得額、手術件数、学会に於ける地位だけで、医学・医療の最高峰を名乗る事が出来るのか。大学医学部の真価は、研究実績だけでなく、附属病院に於ける診療、医師の育成、地域医療への貢献を含めて評価されなけれKばならない。その存在価値を、改めて患者の側から問い直す時期に来ている。

大学病院には、臨床、教育、研究という3つの役割が課されている。更に日本では、大学の医局が地域の病院へ医師を派遣し、各地域医療を支えてきた。大学病院や医局から医師が派遣されなければ、診療科を維持出来ない地域病院も少なくない。医局制度には閉鎖性や人事権の集中等の問題が指摘されてきたが、医師を育て、専門性を高め、必要とされる病院へ送り出す機能まで否定する事は出来ない。しかし、臨床、教育、研究、更に地域への医師派遣という4つの責任を、現在の大学病院が一体となって担い続ける事には限界が有る。医師の働き方改革が導入され、勤務時間の管理が厳しく求められる様になった。一方で、診療を必要とする患者は減らず、医学教育の質も落とせず、研究成果も求められる。これら全てを1人の医師に背負わせたまま、労働時間だけを短縮しようとしても無理が有る。時間が足りなければ、何処かが犠牲になる。それが患者との対話や若手医師への教育であってはならない。

そもそも、臨床、教育、研究は、それぞれ異なる資質を必要とする仕事である。優れた研究者が、必ずしも優れた臨床医であるとは限らない。反対に、患者から厚い信頼を寄せられ、多くの患者を救ってきた臨床医が、優れた論文を数多く書けるとも限らない。研究者には、仮説を立て検証を重ねる力、臨床医には、患者の状態を見極め、的確に判断・説明する力、教育者には、若手の個性を見抜き、倫理や責任を伝える力が求められる。3つの能力を備えた医師もいるが、それを全ての大学病院医師の標準とする制度には無理が有る。

説明不足が招く信頼関係の崩壊

今、患者との関係が一層難しい時代になっている。多くの患者がインターネットや人工知能を使って病気や治療法を調べ、一定の知識を持って診察室を訪れる。医師の説明に疑問が有れば、別の情報と比較し、納得出来なければ不信を抱く。医師に過失が無くても、説明不足や不用意な一言から患者との信頼関係が崩れ、苦情や紛争、訴訟へ発展する事も有る。これからの臨床医には、知識や技術に加え、患者の不安や怒りの背景を理解し、病状と治療の選択肢を平易な言葉で説明する対話力が必要となる。対話力は愛想の良さではない。正しい診断を導き、患者の理解を得て、医療事故や紛争を防ぐ為の重要な臨床能力である。

医療コミュニケーション学の新設を

そこで筆者は、医学部に「医療コミュニケーション学」という新しい専門分野を設け、医療コミュニケーションを専門とする教授が必要だと考える。患者の話をどう聞き、厳しい診断をどう伝えるのか。治療法が複数ある場合、患者の人生観や家族事情を踏まえ共に選択し、思わしい結果が得られなかった時、どう向き合えば良いのか。これらを個々の医師の性格や経験だけに任せず、医学として体系的に教育するのである。

医療コミュニケーション学の教授は、論文だけで選ぶ必要は無い。臨床経験、患者からの評価、苦情への対応、若手医師への指導実績等を総合して選考する。医学部の学生には、模擬患者との対話だけでなく、患者相談窓口、介護施設、在宅医療、救急搬送の現場等を経験させる。時には白衣を脱ぎ、医師という肩書を外して、説明を受ける患者の不安を体感する研修が有っても良い。医師国家試験にも、知識を問う問題だけでなく、患者への説明や対話能力を評価する仕組みを本格的に取り入れる必要が有る。

同時に、大学病院の組織そのものを、臨床、教育、研究、地域医療支援の4部門に明確に分ける事を提案したい。臨床を担う医師は、論文数ではなく、診療実績、治療成績、医療安全、患者への説明力によって評価する。教育を担う医師は、学生や研修医をどれだけ育てたか、倫理観や臨床能力をどの様に身に付けさせたかによって評価する。研究医には研究に専念出来る時間と環境を保障し、国際的に評価される成果を求める。臨床、教育、研究、地域医療支援の各分野で、教授や部門責任者を目指す事が出来る様にし、臨床医が研究論文を書かなければ評価されない制度を改める。

地域病院への医師派遣についても、大学医局の使命として残しながら、その方法を改める必要が有る。医師派遣を教授の人事権や大学の事情だけに委ねれば、教授の交代や大学との関係悪化によって、地域から突然医師が引き揚げられる危険が有る。地域住民の命を支える医師配置が、1つの医局の都合に左右されて良い筈が無い。国、都道府県、大学病院、地域の医療機関が共同で「地域医療人材機構」を設け、診療科毎の医師不足、人口構成、高齢化率、救急医療の必要性等に基づいて、医師を公平に配置する制度への移行を検討してはどうか。

勿論、地方勤務を医師に強制するだけでは制度は長く続かない。医師不足地域で勤務した期間をポイント化し、専門医資格の取得や更新、大学での昇進、研究費の配分等に反映させる。給与や生活面を支援し、勤務後には希望する大学病院や研究機関で学べる機会を保障する。「地方へ派遣されると将来が遅れる」のではなく、「地方医療を経験した医師こそ高く評価される」仕組みに変えるのだ。医師不足地域での勤務は、罰でも犠牲でもない。幅広い患者と向き合い、医師として成長する為の重要な経験である。

国にも同時に改革が求められる

改革を実現するには、大学病院に対する国の評価方法も変えなければならない。論文数、外部資金、手術件数、病床稼働率だけを重視すれば、大学病院は研究成果と収益を追い、時間の掛かる患者への説明や若手医師の教育を後回しにする。国から大学病院へ交付される資金の一部を、患者満足度、説明に対する納得度、医療安全への取り組み、若手医師の育成、地域医療への貢献度に応じて配分する制度を設けてはどうか。患者の声をアンケートで終わらせず、大学病院の評価と経営に反映させる。

教授の選び方も変える必要が有る。論文数や学会内の評価が重視され過ぎれば、臨床能力や教育能力、組織を率いる力が十分に評価されない可能性が有る。臨床部門の教授選考には、医師だけでなく、看護師、薬剤師、若手医師、患者代表を参加させても良い。患者代表は、患者に向き合う責任者として相応しい人物かを判断する。又、教授を一度選べば定年迄その地位を事実上保障するのではなく、一定期間毎に臨床、教育、研究、組織運営を検証する。教授職を、患者と若い医師に一層責任を負う立場へと転換する必要が有る。

大学病院を一律に「日本医学の最高峰」と呼ぶ時代は終わらせても良い。研究、教育、高度医療、患者との信頼の各分野で、高みを目指せば良い。大学病院改革とは、看板を掛け替えたり、医師の勤務時間を記録したりする事ではない。医師1人ひとりの能力を見極め、臨床、教育、研究、地域医療支援の各分野に適切に配置する事である。

医学も医療も、最終的には患者の為に存在する。研究成果も、医師の教育も、地域への医師派遣も、その先にいる患者を救う為に行われる。日本の患者だけではない。新しい治療法や医薬品を待ち望む世界中の患者が、日本の医学に期待している。大学医学部と大学病院が権威の頂点ではなく、患者の命と希望を守る制度改革の先頭に立った時、初めて日本医学の最高峰と呼ぶに相応しい存在になるのではないだろうか。

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