
時代に取り残された日本の教育をどう立て直すのか
日本の教育現場が非常事態に直面している。2024年度の小・中学校に於ける不登校児童生徒数は35万人を超過し、12年連続で増加している。児童生徒1000人当たりでは38人を超え、最早、どの学校にも必ずいる水準となった。これは現行の学校制度が多くの子供にとって機能しなくなっている事を示す、極めて重要な統計である。
特に深刻なのは中学校段階だ。学年が上がる程、不登校は増加し、中学3年生では8万人を超える。義務教育の最終段階で、これ程多くの生徒が学校に居場所を見出せていない事実は、日本社会の将来に直結する問題と言える。不登校児童生徒数の増加を、子供の心や家庭環境の問題に矮小化する議論は未だに根強い。しかし、これ程大規模且つ長期的な増加が続いている以上、原因は個人ではなく教育制度そのものの側に有ると考えるのが妥当である。
学ぶ量は増え、立ち止まる時間は消えた
第1の問題は、学習内容と授業時間の致命的な不均衡である。文部科学省の調査によると、約50年前と現在の学習内容を教科書のページ数で比較した場合、小学校では約3倍、中学校でも約1・5倍に増加している。扱う知識量が大幅に増えた一方、子供が理解を深める時間には余裕が無くなっている。教育現場では、教科書の内容をこなすだけの授業が常態化している。理解を確認し、躓きを修正し、学び直す時間は削られ、それでも授業は前へと進んでいく。その結果、「授業の内容が難しすぎる」と感じる児童生徒は約3割に達し、「上手な勉強の仕方が分からない」と悩む児童生徒も7割近くに上るという調査結果も出ている。
努力以前に、どう努力すれば良いのか分からない状態に置かれている子供が多数存在しているのである。これは教育の失敗であって、子供の怠慢ではない。
第2の問題は、学び方の多様性を前提としていない教育設計である。オーディオブック会社のオトバンクは、調査結果から約7割の人に耳からのインプットが向いているとしている。それにも拘らず、日本の学校教育は依然として文字中心、教科書中心、板書中心で構成されている。
一見すると、全員に同じ教育を提供する平等な構造に見える。しかし、実際には特定の認知特性を持つ子供だけが適応し易く、合わない子供は静かに排除されていく。形式的な平等が、結果として深刻な不平等を生んできた事は否めない。個々の認知特性に即した個別最適化が図られるべきである。
第3の問題は、日本の教育を支えてきた従来の価値観そのものが限界を迎えているという事である。日本の教育は長年、良い高校、良い大学、良い会社に入るという外発的動機付けによって成立してきた。しかし、少子化が進み、大学の定員割れが常態化し、就職も比較的容易になった現在、このモデルは最早機能していない。受験と就職に過度に依存した教育の行き詰まりが指摘される中、目標を失った学習は子供にとって苦行になる。その結果、進学しても目的意識を持てずに中退する若者が増え、社会に出た後も、自ら課題を見出し、判断する力を発揮出来ない人が量産され兼ねない。
これは個人の資質の問題ではなく、教育が「何故学ぶのか」を示せていない事の帰結である。こうした行き詰まりを打破する方向性として、「探究」を中心に据えた学びへの転換が進められている。答えを覚える教育から自ら問いを立て、調べ、考え、表現する教育への転換である。興味や関心から出発し、必要な知識を後から獲得する学びは、変化の激しい社会に於いて不可欠だ。
併せて、入試で求める能力も、暗記から思考力、判断力、表現力へと変換する必要が有る。既に国立大学の9割が、能力や適性、学習に対する目的意識等を面接等で総合的に評価する総合型選抜を採用している。
更に、学習スタイルの転換を支える現実的な手段としてAIの活用が有る。AIは教師に代わる存在ではなく、子供の理解度や認知特性に応じて学びを支える伴走者として活用すべきである。AIによって音声、文字、映像を柔軟に使い分け、学習を支援する事で、教師は本来の役割である対話や関係作り、探究の支援に時間を割ける様になる。
子供中心の学校作りに転換する時が来た
只、教育現場での対応は、不登校の児童生徒を学校に戻す事が目的とされがちである。不登校対策が登校率の改善や出席日数の回復に矮小化され、本来問われるべき「何故学校が合わなくなったのか」という根本的な原因の究明は後回しにされてきた。
学校は、全ての子供が自分なりのペースと方法で学び、成長する事を支える公共財である筈だ。しかし、現実には、一定のスピード、一定の理解様式、一定の行動規範に適応出来る子供を「標準」とし、それ以外を「例外」として扱ってきた。この構造そのものが、今限界に達しているのだ。
同じ年齢の子供に、同じ内容を同じ進度で学ばせるという前提を見直さなければならない。個々の発達や関心の違いが可視化され、AI等の技術によって柔軟な学習設計が可能になった現在、画一的な一斉教育に固執する合理性は乏しい。
とは言え、制度改革が進まない背景には、公平性への過度な拘りと、前例踏襲を是とする行政の硬直性が有る。加えて、教師が長時間労働と業務過多の中で、個々の子供に丁寧に向き合う余裕を失っている事も問題である。AIや外部人材の活用、業務の大胆な削減と再設計を進めなければ、制度改革は空転するだろう。不登校児童生徒数の増加を子供の側の問題として語るだけでは、教育の制度改革は前に進まないのは明白だ。
こうした改革を、現場の努力や善意のみに委ねる事は出来ない。26年度の文科省の予算額は、25年度から約3700億円増の5兆8809億円となった。国民民主党は、教育改革等の為に年5兆円の教育国債の発行を求めている。教育は市場にも家庭にも丸投げ出来ない公共財であり、国と自治体が責任を持って支えるべき分野だ。省庁を超えた予算配分や格差是正等、政治の役割は重要である。
政府は現状に対する措置として、不登校の児童生徒に対する支援推進事業を行う都道府県や政令指定都市に、国から補助金を支給する取り組みを行っている。併せて、文科省とこども家庭庁が連携して「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)と称する不登校児童生徒への支援事業も行っている。
不登校によって学びにアクセス出来ない児童生徒をゼロにする事を目標に、実行可能な取り組みから着手するという行政の意思は明確であるものの、推進体制には不安も残る。
行政側の司令塔はこども家庭庁とされているが、「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策推進本部」は文科省内に設置され、本部長は文科大臣とされている。文科省からすれば、こども家庭庁は参画を得ている一機関という位置付けなのかも知れない。これについて、省庁間の主導権争いや二重行政の弊害が生じないか、若干の危惧を覚える。
不登校の児童生徒がこれ程多いという現実は、日本社会に迫る急務の課題である。子供を学校に無理に合わせ続けるのか。それとも、学校の側を子供に合わせて作り替えるのか。知識を詰め込む場から、自ら問いを立て、調べ、考え、表現する場へ。教育の転換をこれ以上先送りすべきではない。
又、この問題は既に社会全体の持続性に関わる問題へと発展している。学校から離れた子供の多くは、その後も学びの機会を十分に得られず、進学、就労、社会参加の何れに於いても困難を抱え易い。これは本人の不幸にとどまらず、将来の労働力不足や社会保障費の増大として必ず社会全体に跳ね返ってくる。
不登校児童生徒数35万人超。この恐ろしい程の数字は、失敗の記録であると同時に、転換の可能性を示す数字でもある。子供を中心に据えて学校を作り替える時期に、今直面している。



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