
障害者雇用は、今や経営に於いて向き合わざるを得ない人権経営の指針となる課題である。従業員数40人以上の事業主には雇用義務があり、民間企業の法定雇用率は2026年7月に2.7%に引き上げられる。これを単なる“制度対応”として現場に丸投げすれば、職場の混乱や早期離職、更には管理職の疲弊を招き兼ねない。問われているのは、「如何に雇用率を達成するか」ではなく、「どう戦力化し、どうトラブルを防ぐか」。本連載では、現場で実際に起きるトラブルを手掛かりに、経営者・管理職が知っておくべきノウハウを解説する。
障害者雇用を巡る話題では、「理解を深めよう」「優しく受け入れよう」といった言葉が前面に出る事が多い。勿論、それ自体は大切な考え方である。だが、実際に日々の仕事を回さなければならない職場では、その“建前”だけでは上手くいかない現実が有る。理想と現実のズレが放置されると、障害者は職場への不信を深め、周囲の健常者は「何故そこまで配慮しなければならないのか」という疲労感や被害感情を募らせていく。やがて問題は、個別の行き違いや不満ではなく、「障害者vs健常者」という対立の構図へと変わっていく。
トラブルは、何故「突然」始まるのか
障害者の多くは、職場の空気に敏感で、「自分は嫌われているのではないか」という強い不安を抱えながら働いている。しかも、障害が有る以上、何処かで周囲の支えを必要とする場面が毎日のように有る。一方で、支える側の健常者にも事情が有る。忙しい日も有れば、体調や機嫌が優れない日も有る。駅で困っている人を一度助けるのとは違い、職場では来る日も来る日も、何年にも亘って配慮と支援を続ける事が求められる。その負担感が、口に出されないまま蓄積していく事も少なくない。その為、少し強い口調になった一言や、忙しさから出たそっけない態度が、障害者には「やはり嫌われていた」と受け取られる事が有る。しかも本人は、「雇ってもらっているだけありがたい」「文句を言えば居辛くなる」と考え、言えないまま我慢を重ねる事が多い。
その結果、長く積もった不満は、有る日突然爆発する。「いつもバカにされていた」「自分だけ冷たくされた」「職場ぐるみで差別されている」といった強い言葉になって表面化し、職場の側は驚く。「そんなつもりは無かった」「そこまで言われる筋合いは無い」と反発したくもなるだろう。
しかし、周囲にとっては“突然”でも、本人にとっては“ずっと続いていた事”。この時間差こそが、障害者雇用のトラブルを見えにくくし、こじれさせる大きな原因になっている。
「コップ洗い」が差別問題に変わる迄
その構造をよく示しているのが、或る身体障害の有る女性社員の事例である。彼女は「職場で差別され、いじめられている」と強く訴えた。話を聞いても、「障害者だから」といった言葉が先に立ち、最初は何が起きているのかはっきりしない。ところが、丁寧に掘り下げていくと、彼女が最も不公平だと感じていたのは、職場の皆のコップを自分1人で洗っている事だった。
しかし、この「コップ洗い」は、最初から誰かに命じられた訳ではない。彼女自身が、「障害者だから、このくらいやらなければ」と考え、自発的に始めたのだ。ところが、それを続けるうちに、誰も感謝しない事が気になり始める。やがて、「このくらいやらなければ」は「自分ばかりやらされている」に変わり、「障害者だから押し付けられている」という感覚へと変質していく。更に、ゴミ捨てや挨拶、同僚や上司の態度等、あらゆる事が「障害者だからこうなっている」と結び付き、遂には「職場ぐるみで差別されている」という認識へと広がっていった。
健常者であれば、途中で「自分のコップは自分で洗って下さいね」と言えたかも知れない。だが、障害者は「障害が有るのだから我慢しなければならない」と思い込んでしまいがちである。そうして我慢だけが積み上がり、限界を超えた時、「もう許せない」という感情になる。その時点で周囲が「それならその時言ってくれれば良かったのに」と返せば、本人には「全く分かってもらえない」と聞こえる。そこから不信は一気に深まり、単なる役割の偏りだった問題が、一気に差別問題へと膨らんでしまう。
トラブルの出発点が、必ずしも露骨な悪意や差別ではない。小さな遠慮、自発的な我慢、感謝されない役割、誰も声を掛けない職場の空気。そうした些細な事が、障害者にとっては「自分の尊厳が軽く扱われている」という感覚に繋がるのだ。
会社にこそノウハウが必要だ
こうしたトラブルが深刻化する背景には、会社や職場の対応にも課題が有る。「そんな大げさな話ではない」と受け流す職場も有れば、「障害者だからといって何でも許されるのか」「これ以上振り回されたくない」と感情的になる職場も有る。前者は見て見ぬふりであり、後者は敵意である。どちらも、問題の解決からは遠ざかる。
更に、現場には実践的なノウハウが乏しい。対応は担当者個人の経験に委ねられ、異動が有れば引き継がれない事も多い。会社としてのマニュアルも無く、個人の善意と場当たり的な対応で乗り切ろうとしてしまう。一方、障害者本人は、自分の尊厳や生活そのものが掛かった大問題として職場と向き合っている。両者の切迫感には大きな差が有る。加えて、障害者側は、法律や権利への理解も深い。職場側に知識と実務的なノウハウが無ければ、太刀打ち出来ない。だからといって、配慮を無条件に広げると職場は機能せず長続きもしない。職場はあくまで労働の場であり、障害者も健常者も公平でなければならないからである。
だからこそ必要なのは、問題が大きくなってから正しさを争う事ではなく、その前の段階で違和感を拾う事である。誰かが一歩下がって雑務を引き受け続けていないか。本人が何に不公平感を抱いているのかを具体的に聞けているか。曖昧な指示や説明不足で混乱を招いていないか。何より、その人を「障害者」と一括りにせず、「何の障害者か」を知り、その障害の特徴や起こり易いトラブルの傾向を理解しているか。
そうしたノウハウが増えれば、「この場面では注意が必要だ」「この言い方ではまずいかも知れない」と、一手先を読んだ対応が出来る様になる。トラブルは避け難い運命ではない。小さな違和感を見逃さず、初期の内に手を打てば、防ぐ事が出来るのだ。
〈次回予告〉肢体不自由の有る人への理解と効果的な支え方
出典 『本書を読まずに障害者を雇用してはいけません!』(久保修一 労働新聞社)
久保修一氏「ココだけの」補足の一言
久保 修一(くぼ・しゅういち):1965年東京都生まれ。慶應義塾志木高校、慶應義塾大学法学部政治学科中退。日本初の障害者の為の労働組合「ソーシャルハートフルユニオン」前書記長。NHK 福祉情報番組『ハートネット TV』の「障害者雇用」レギュラーコメンテーターを始め、テレビ・ラジオ・WEB サイト・定期刊行物など様々なメディアで、障害者雇用に関する提言を発信。日本財団「就労支援フォーラムNIPPON」、千葉県障害者雇用サポート事業「障害者雇用セミナー」、東京都社会保険労務士会がん患者・障がい者等就労支援特別委員会、東京都労働相談情報センター等で講演多数。著書に『本書を読まずに障害者を雇用してはいけません!』(労働新聞社)、『職場にいるメンタル疾患者・発達障害者と上手に付き合う方法』(日本法令)等が有る。


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