
新宿駅に隣接し115年の歴史を誇るJR東京総合病院。旧国鉄時代にその基礎を築いた同病院は今、大きな転換期に在る。2023年に就任した宮入剛院長は、病院を「急性期一般病院」と再定義し、高度医療の推進と抜本的な経営改革を断行してきた。心臓外科医として26時間に及ぶ超長時間手術を完遂した強靭な精神を持つ氏。掲げる理想は、確かな治療(Cure)と真摯な心配り(Care)の高度な融合だ。医療機関が集積する新宿の地で、伝統を守りつつ進化を続ける為の戦略を聞いた。
——病院長として組織を率いる上で、大切にされている「意思決定の軸」は何でしょうか。
宮入 私が常に自分に問い続けているのは、非常にシンプルな2つの事です。それは「患者さんの為になるか」「医療者としての良心に照らして正しいか」。複雑な問題に直面した時こそ、この原点に立ち返り、判断の真ん中に置く様にしています。その背景には、心臓血管外科医として生死に関わる極限の現場で患者さんと向き合ってきた経験が有ります。例えば、26時間にも及ぶ超長時間の大動脈解離の手術を執刀した事が有りました。これ程の修羅場を乗り切るには、緻密な手技、強靭な体力、そして何より患者さんの命を最後まで背負い切る覚悟が求められます。そうした現場経験から、病院経営に於いても、個別の診療科の事情に囚われる「部分最適」ではなく、病院全体としてどう有るべきかという「全体最適」の視点を常に重視しています。勿論、収益や人的資源の配置といった現実的な経営課題も避けては通れませんが、経営数値だけに囚われ医療の本質を見失えば、組織は進むべき道を見失ってしまいます。判断に迷いが生じる時こそ、この原点に立ち返る事が重要だと考えています。
——先生が提唱されている「CureとCareの両立」について、詳しくお聞かせ下さい。
宮入 私は「Cure」と「Care」こそが、病院の良心そのものだと考えています。先ずCureは言う迄もなく医療の質を指しますが、それは単に高度な手技を備えている事だけを意味しません。確かなスキルをどの様な場面で、誰の為に、どこ迄使うべきかを見極める「良心に基づく判断」こそが不可欠なのです。外科では難度の高い手術に目が向きがちですが、患者さんにとって重要なのは、必要な治療が無理なく安全に、且つ適切に行われる事です。派手な手技よりも、如何に安全を担保するか。その誠実さの積み重ねこそが、高度なCureを支えるのです。嘗て地域の開業医の先生から、「先生方に患者さんを紹介するのは、神業の手術をして貰いたいからじゃない。患者さんが元気になって帰ってきてくれる事を願うからだ」と言われ、はっとした事が有ります。もし自分や家族が治療を受けるとしたら、高度な技術は勿論の事、最終的に良心的に判断してくれる医師にお願いしたいと思うでしょう。病院全体もそういう存在で在るべきだと、改めて思い知らされました。一方でCareは、単なる接遇を超えた患者さんへの向き合い方です。病に直面した時、患者さんは大きな不安の中で、どうしても弱い立場に置かれます。医療者との間には避けられない情報の「非対称性」が有るからこそ、私達は常に奉仕の気持ちと寛容さを持たなければなりません。以前、米国の外科医から「手術を受けるなら、きめ細かな気配りが行き届いた日本で受けたい」と聞いた事が有ります。この日本人ならではの繊細さと思いやりは、世界に誇るべき価値です。高度なCureと、温かなCare。その両方が高い次元で揃って初めて、病院は信頼に足る存在となり、患者さんは安心して再び前を向く事が出来るのだと確信しています。こうした理念は、当院の歴史の中でも脈々と受け継がれてきました。
115年の歴史を都市型医療に最適化
——鉄道病院として培ってきた歴史や役割を、現代の都市型医療へとどの様に適応させてこられましたか。
宮入 当院は1911年の創設以来、115年の歴史を持ち、鉄道病院として歩んできました。整形外科やリハビリテーションに強みを築き、多くの患者さんに寄り添ってきました。新宿という街の発展と共に、職域病院としてだけでなく、地域の健康を守る拠点として歩んできた自負が有ります。その年月で培われてきた「患者さんに優しい病院」という文化や接遇面での信頼は、私達にとって何物にも代えがたい財産です。JR東日本の根幹に在る「安全」への真摯な姿勢が、医療現場に於ける「誠実さ」として結実しているのだと感じます。一方で、病院を取り巻く環境は激変しました。地域住民の皆さんの急性期ニーズに応える「地域に開かれた拠点」として、機能を「急性期一般病院」へ明確に舵を切り、利便性や機動性、診療の「独自性」を際立たせる改革を急ピッチで進めています。未だ当院をJR関係者向けの職域病院と受け止めている方も少なくありませんが、当院は地域の皆さんに広く開かれた病院です。歴史有る病院だからこそ、最新の医療ニーズに応じて変化し続ける事が必要なのです。
——再整備で進められた「診療を止めない移転」について、具体的なエピソードをお聞かせ下さい。
宮入 2021年から段階的に進めてきた再整備の集大成とも言える25年3月の新病院移転は、正に当院の組織力が試されるプロジェクトでした。幸いにも移転先が直ぐ隣でしたので、診療の縮小は最小限で済みましたが、人工呼吸器を装着した重症者を含む150名もの入院患者さんを、安全を最優先に一斉に移動させるのは、極めて難度の高いミッションでした。そこで私達が策定したのが、患者さんの生活リズム、特に「食事のタイミング」から逆算した緻密な搬送スケジュールです。朝食を旧病院で済ませ、昼食は清々しい新病院で召し上がって頂く。この1分1秒を争う移動計画は、正にJR東日本が長年培ってきた「運行管理」のノウハウを医療現場に転用したものでした。グループの物流会社にも全面的に支援を頂きながら、当日はベッド毎に医師、看護師、医療技師、事務職らが専用チームを編成し、1人1人のバイタルを秒刻みで確認しながら、ダイヤをなぞる様に整然と搬送を進めました。新病院の清潔なキッチンで作られた温かい昼食が、予定通りに患者さんの手元に届いた時、私はこの移転の成功を確信すると同時に、チーム全員の底力を誇らしく思いました。
——新病院の環境作りでは何を意識されましたか。
宮入 東京・多摩産の木材を用いた木目調のデザインを取り入れ、安らぎを感じられる空間を整えました。職員に対しても、ゆったりと寛げる休憩スペースや、分散していた執務スペースを集約してコミュニケーションを取り易い環境を整備しました。コロナ禍の経験を踏まえ、新興感染症にも対応出来る仕様にした事も重視したポイントの1つです。今回の再整備は、病院の役割や機能を改めて捉え直し、これからの医療環境に対応した病院の在り方を再構築する機会でもありました。



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