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第169回 患者のキモチ医師のココロ 札幌の事件から考える“医者の家族”の問題

第169回 患者のキモチ医師のココロ 札幌の事件から考える“医者の家族”の問題

 北海道・札幌市で起きた殺人事件で、死体遺棄や損壊などの容疑で家族3人が逮捕された。そのうちのひとり、父親が総合病院に勤務する50代の精神科医だったことから、医療従事者にも大きな衝撃が走った。同じ病院に勤務する知人の医師によれば、その精神科医は性格円満、いつも親身になって患者のことを考えて真摯に治療にあたっており、同僚たちはいまだに「殺人事件への関与など信じられない」と言っているそうだ。

 この事件に関してはまだわからない点が多く、ここでこれ以上、立ち入るのはやめておこう。ただ、「医師とその家族」という観点から、ある程度、一般化して語れることがあると思うのだ。

 「Pastor's family」という言葉を知っているだろうか。直訳すると「牧師の家族」となるが、ときにこれは「牧師家庭ならではのメンタル的な問題」を指すことがある。では、その問題とは何か。キリスト教系の出版社が出している雑誌に掲載された「牧師家族のメンタル・ケア」から、「牧師家族が置かれている特殊な状況」の箇所を引用させてもらおう。

(丸屋真也、「牧師のメンタルヘルス2 牧師家族のメンタル・ケア」、『月刊いのちのことば』2010年7月号)

①牧師職ほど家庭生活と一体となる職業は他に は余りありません。それが祝福となっている反面、牧師家族のストレスの原因にもなるのです。つまり、牧会の働きと家庭生活が互いに影響し合い、家族はどうしても緊張を強いられるのです。

②牧師家族は教会では目立ちやすいため無意識的に教会員の期待に応えようとして、子どもたちに知らずに高い基準を強いてしまうようになるのです。そのことが子どもたちの心の成長にマイナスに働くこともあり、思春期の問題の原因にもなるのです。

③牧師職は不規則なスケジュールや緊急な出来事も多くあって家族のための時間が十分に取れないだけでなく、約束した予定が守れないことも少なくないのです。家族は主の働きのためだからという思いが強いため、その不満をどこにもぶつけられずフラストレーションがたまってしまうのです。

私自身「医者の家族」のストレスを感じていた

 どうだろう。ここに記されていることの多くは、「Doctor's family」つまり「医師の家族」にも通じるのではないだろうか。

 自分自身のことで恐縮だが、私の父親は地方の小都市で病床つきクリニックを開業していた。職員はもちろん、近所の人たちも、私や弟が「あの先生の子ども」であることを知っている。幸いにして私の父親は理想的な人格者とはいえなかったが、それでも「お父さんは人の命を救ってえらいね」「なんでも知ってるけど家でも読書ばかりなの?」などと言われる。「そうでもないよ」「家ではテレビを見て笑ってるよ」と答えると相手の期待に背いてしまうのでは、と子どもながらに思い、「そうですね」などとあいまいに返答することも多かった。

 また、学校でも「お父さんは勉強ができたんでしょう?」と教師から高い水準を要求されるのが負担だった。父と自分は別の人間なのに「こんな点数ではお父さんに恥ずかしいよ」などと言われ、弟などはずいぶん反発して教師を手こずらせていたようだ。

 さらに、父は産婦人科医だったので、分娩などがあると家族での食事や行楽などの予定が飛んでしまうのは日常茶飯事。それに対してブツブツ言うと、母親が「お父さんには大切なお仕事があるんだからがまんしなさい」とたしなめる。父は気さくな人だったので「ごめんごめん。かわりにマンガを買ってあげよう。私も読みたいし」などとうまくかわしていたが、いま思うと自分自身も相当、フラストレーションがたまっていたのではないだろうか。

 それでも父の場合、ジョークが好きで、まわりからは「立派すぎる先生」というよりは「おもしろい先生」と思われていたので、私たちもまだ気楽だった。もし、これが「非の打ちどころのない先生」というイメージであったら、それを家の外でも中でもキープするため、本人も家族も相当、しんどかったと思う。

 都会のマンションなどに住んでいれば、必ずしも「あそこの父親は医者だ」と周囲に知れ渡っているわけではないかもしれない。本人も家族も匿名のまま、電車に乗ったりスーパーマーケットで買い物したりもできるだろう。しかし、子どもたちは学校ではそうはいかない。担任の教師も同級生も「あの子の父親は医者」と知っており、良くも悪くも一目置かれることになる。

 今回の事件の中心人物である一家の娘は、小学校、中学校とも不登校ぎみだったと報じられている。学校で「医者の子」として見られることもその原因だったかどうかはわからないが、無関係ではないのではないか。また、自分の子どもが登校したがらなくなったとき、精神科医である父親やその妻である母親はどうだっただろう。

「医者の子ども」だって問題を起こすことがある

 私の知人の精神科医には、わが子が家庭内暴力を振るっていたとき、「親が精神科医なのに?」と思われたくないため、その事実を周囲に隠そうとしていた人もいた。妻にも「あまり話すな」と指示していたため、友人などに相談したり実家でグチをこぼしたりもできない。事情を知らない人に「理想的なご一家ですね」と言われ、夫婦で笑顔で応じている姿はなんとも痛々しく思えたものだ。医者の子どもだって問題を起こすことはあるのに、自他ともにそれを認められないのだ。

 このように、「医者の家族」はいまだにその職業ならではの問題を抱えることが多く、とりわけ子どもにそのストレスが集中しやすい。もちろん、中には家族全員が優秀で人格的にも円満、子どもたちは「親のように医者になりたい」という夢を持って勉強やスポーツに打ち込んでいる、というケースもある。私の診療所に地域研修のため派遣されてくる研修医の中にも、「親は医者、きょうだいはみな現役で医学部に進学して卒業」といういわゆるエリート一家もいる。仕事柄、「なぜそういう一家もいれば、「医者の家族」のストレスから家族が心身を病む一家もいるのだろう」と考えていろいろ話をきいてみるのだが、これといった理由はわからない。

 ただ、「家族がみな医者」という一家の場合、親が周囲を気にしすぎたり、子どもに過剰な期待をかけたりはしていないことが多いように思う。いずれにしも、家族の中で不自然な力が発生すると、あっという間に圧力が高くなり、さまざまなひずみが生じるのはたしかだろう。

 あなたは外に向けて無理をしすぎてませんか。そのストレスを家族に向けていませんか。また、「医者の家族」として配偶者や子どもたちがさまざまなプレッシャーにさらされ、ときにはがまんを強いられていることを、あなたは知っていますか。このあまりにも衝撃的な事件をきっかけに、自分や家族の問題についてもう一度、見直してほしいと思う。

 「病める人」を助けるのが昔もいまも医者の

役割である原則は変わりないが、そのいちばん

近くにいる人たちを「病める家族」にしてはいけない。これもまた、医者が守るべきひとつの原則なのではないのではないか。

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