元日に能登半島を中心に大きな地震が起きた。読者の皆様の中にも自身や親族が被災された方がいるのではないか。心からのお見舞いをお伝えしたい。
発災直後からDMAT(災害派遣医療チーム)やAMAT(全日本病院医療支援班)が現地に入っており、メンバーとなった医師がマスコミの取材に答えているが、医療機器や医薬品だけではなく、水も食糧も燃料もないという厳しい現場の状況に胸が痛くなる。
避難所ではノロウイルスや新型コロナウイルスなどの感染症が集団発生し、ガラスが壊れた自宅で過ごして低体温症となり搬送された人たちもいる。地震や津波で直接、命を奪われることは免れても、その後の生活で命を落とす「災害関連死」が増えるのではないか、と心配する声が高まっている。
誰にとっても他人事ではない
多くの人たちは、「どこの町にもコンビニくらいあるだろう。まったく食糧がないなどということがあるのか」「避難所や壊れた家にいないで都市部の親戚宅やホテルにでも身を寄せればいいのに」と思うかもしれない。しかし、いったん大きな災害が起きてしまうと、こういう状況は全国各地で比較的、簡単に起きてしまうのではないか。
たとえば私は現在、北海道のへき地診療所で仕事をしている。周囲の市町村から離れた山間の地区ではあるが、1時間強も車を走らせれば大型スーパーのある中規模の都市に着く。時間はかかるが通信販売で本や衣料品を手に入れることもできる。もちろん診療所や宿舎はネット環境も整っているので、オンラインで遠くの人たちと会議をしたり配信される映画を見たりも可能だ。室内にいる限り、ふだんはほとんど都会との生活のギャップを感じずに暮らせる。
ところが、2018年に起きた北海道胆振東部地震では、震源近くに位置していた穂別は大きな揺れに見舞われ、停電や断水が起き、土砂崩れなどで道路が通行止めとなった。つまり、孤立してしまったのである。幸いにして地元自治会の奮闘や早期に到着した自衛隊の支援により、長い人で約1か月に及んだ避難生活に大きな問題は起きなかったようだ。とはいえ、当時はまだ当地にいなかった私に、患者さんたちは「怖かったんだよ」「スマホも通じなくなって」などとそのときの話をしてくれる。診療所はDMATの支援を受けながらなんとか診療を続行したようだが、都市部の病院への救急搬送が必要な人が出たときは「どのルートで運ぼう」と緊張が走ったという。
いったん孤立すると、大型スーパーにも行けないし、通販も頼めない。もちろん、総合病院にアクセスすることもできない。その地区にある人的、物質的リソースですべてをまかなうしかなくなるのだ。改めて考えれば当然のことだが、ふだんはついそれを忘れてしまう。
能登半島地震では、地元のクリニックの医師がひとりしかいない地区が孤立してしまい、避難所で不眠不休で診療を続けた、という事例もあるようだ。昨年、パレスチナのガザ地区で避難勧告が出たにもかかわらず、「患者を置き去りにはできない」と病院に残った医師たちの話を書いたが、まさにそれと同じようなことが国内で起きたわけだ。
多くの医療従事者は、そういった非常事態になると胸の奥から「自分がやるしかない」という使命感がわき上がってきて、超人的な働きを行う。日ごろは「私はそんな熱意はない」などと言っていた同僚が、東日本大震災やコロナ禍で誰に指示されなくても最前線に立って身を粉にして働く姿を、私もこれまで何度となく見てきた。
東日本大震災では外部から東北に支援業務で入った人たちのストレス状況の調査も行ったが、とくに医療従事者では不眠やうつ状態などの症状を有する人がきわめて少なかった。どの人も使命感に燃えて被災地での医療にあたり、ある程度の達成感を持って地元に帰っていたのである。
「失感情症」状態でがんばるリスク
とはいえ、医療従事者も同じ人間だ。不眠不休で働くことが健康に良いはずはない。心身医学の領域では、つらさや疲労感を感じないようにしてオーバーワークを続ける「アレキシサイミア(失感情症)」は、うつ病などのメンタル疾患だけではなくて、循環器疾患や呼吸器疾患などのリスクにもつながる、と言われている。わかりやすく表現するなら、「『まだまだがんばれる』と力強くがんばり続けている人が、ある日、パタッと倒れて帰らぬ人に」などはその代表的なケースだろう。
では、「自分でも気づかぬうちに心身への負荷が限界を超える」といった悲劇を防ぐには、どうしたらよいのだろう。まず大切なのは、「何時間連続で働いたら、疲労感の有無に関係なく何時間休む」という具合に、機械的・強制的に休息を取ることだ。「まだがんばれる」という本人の声を信じることなく、同僚などが「時間だから交代しよう」と声をかける。避難所などでひとり体制であっても、避難所のリーダーが「夜10時から朝7時までは緊急事態以外は診療しない」などとはっきり時間を決め、住民と離れてプライバシーが確保される空間で休憩を取れるようにすべきだ。
そして、さらに大切なのは、被災地のスーパードクターやスーパーナースたちも、「しんどくなってきた」「これが続くのがつらい」と感情を吐露できる仕組みを作ることである。LINE、電話などでもいい。「ここに連絡すれば遠慮なく話せる、聴いてもらえる」という窓口があるとないとでは、感じる負担が大きく違う。
何度も繰り返すが、能登地震で起きていることは決して他人事ではない。日本には小さな自治体、集落などが無数にあり、いまは「まさかウチが孤立するなんて」と思っていても、自然災害に伴う停電や交通の障害などでわりと簡単に「どこにも行けない、誰とも連絡がつかない」という状態に陥ることはあるのだ。「この避難所で医者は自分ひとり」となったとき、自分にできることは何か、またできないことは何か、とシミュレーションしておくのも良いかもしれない。
多くの医療機関で医師たちは目の前のことで手いっぱいの状況で仕事をしており、簡単には被災地に応援に行けない。だからこそ、現地で踏ん張っている地元の医療機関や医師たち、また外部から支援に駆けつけた医師たちに、心からのエールを送りたい。また同時に、医師同士だからこそ言えること、「ちゃんと休んだ方がいいよ」「自分を過信して無理をしすぎないようにね」といったメッセージも送りたいものだ。
「医学部時代の同期がたしか石川県にいるはず」などと思い出している人も多いだろう。いつか被災地の状況が落ち着く日が来たら、休日などを利用して現地を訪れ、「おつかれさん」とねぎらいながら酒を酌み交わすのもよいかもしれない。「キミがこんなにがんばるとは思わなかったよ。すごいな」という同期からの賞賛ほど、その人の心身の疲れをほぐすものはないに違いない。
奮闘する仲間を励まし、自分の心の備えも行う。また患者さんたちの不安が和らぐよう、日常臨床でも少し多めに声をかける。被災地にいなくても、医師にしかできないことがある。ぜひ実践してもらいたい。私自身も、5年前に起きた北海道胆振東部地震を思い出して、動揺している当地の患者さんに励ましの声をかけたいと思っている。被災地にいなくてもできることはあるのだ。
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