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未来の会

第157回 患者のキモチ医師のココロ 隠れた不調の原因は「晩発性PTSD」?

第157回 患者のキモチ医師のココロ 隠れた不調の原因は「晩発性PTSD」?

 この春からへき地診療所に勤務しているので、高齢の患者さんを診る機会が増えた。というより、外来受診者の8割は80代以上という日も少なくない。その人たちの中には、高血圧や心不全などがあっても「なんとか元気にやってます」とパークゴルフや野菜作りに励んでいる人もいれば、血液検査などで医療的に関与すべき問題点はないにもかかわらず、「からだがだるくてだるくて」と訴える人もいる。

 年齢や疾病だけでは説明がつかない、この高齢者の「元気度」の違い。そこにはもちろん、「心の元気」が関係している。脳血管障害後の麻痺が残り、シニアカーにつかまりながらようやく歩行している90代が「地面を這いながら家族が食べる分の野菜を作ってるんですよ」と笑顔で話してくれたこともあり、「何がこの人の“元気のもと”なのか」を記録している。

長い年月を超えて発症する晩発性PTSD

 そんなことを考えていたら、同じような環境の診療所で長年働く総合診療医が、SNSにたいへん興味深いことを書き込んでいた。不定愁訴の高齢者の話をじっくり聞いたところ、共通して「若い頃からの厳しい生活歴」が認められたのだという。さらにその医師は、その不定愁訴は精神科医・蟻塚亮二氏らが言うところの「晩発性PTSD」なのではないか、という見解も述べていた。

 晩発性PTSD。精神科出身の私がそれを忘れていたことを恥ずかしく思った。 

 晩発性PTSDとは、「戦争体験により何らかのトラウマを受けた人が、高齢化してから発症するPTSD」のことを指す。正式な精神医学的診断名ではないが、アメリカでもベトナム戦争から50年以上がたってから従軍兵士にPTSDが発症したケースの報告もされており、経験的にその存在を認める精神科医は多い。蟻塚医師は沖縄での精神科臨床を始めてから、高齢者施設などで原因不明の不調を訴えたり、突然、強い恐怖におびえたりするケースを多く診た。そして、その人たちの多くが若い頃や子どもの頃、太平洋戦争での沖縄地上戦で恐ろしい経験をしたことを突き止めたのである。

 とくに認知症になった人の場合、最近の記憶が薄れるので、よけいに過去の記憶が鮮明に想起されるようになる。仕事や育児など、目の前のできごとでマスキングされることがなくなると、幼児期の記憶、とくにつらい記憶がイヤでも思い起こされるというのは、誰にでもすぐ想像がつくであろう。それによりあたかもトラウマを2度、経験したかのようになって、「晩発性PTSD」が発症する。だいたいそういうメカニズムのようだ。

 考えてみれば、いま80代後半より上の人たちは、わずかであっても戦争の記憶が残っている。それは決して楽しい記憶などではないのだから、高齢になるにつけ繰り返しよみがえり、心の傷が深まってもおかしくはない。またとくにへき地と呼ばれる場所には、いろいろないきさつでそこにたどり着いた人も多くいる。その際のつらい経験もトラウマを修飾しているかもしれない。

 実際にへき地診療所に来て、ある患者さんが「東京から来た」という私にこんな話をしてくれた。プライバシーに抵触しないように若干の変更を加えて紹介したい。

 「先生は東京からですか。実は私も東京生まれです。両親は東京で呉服屋を営み、かなり繁盛していました。でも、東京大空襲で焼け出され、疎開先の親戚も地方にいなかった両親は、まだ学校に入る前の私を連れてこの場所に行くよう、国から命じられたそうです。

 何もわからずに来てみると、荒地を与えられ、そこを農地に開墾するようにとのことでした。東京で商売をやっていた両親には農作業も冬の寒さもつらかったようです。私は小さすぎてよくわからなかったのですが、両親が夜に泣いていたのはよく覚えています。結局、父親はからだを壊して早くに亡くなり、母とふたりで苦労しました。最近、その頃の夢をよく見るんですよ……」

 その患者さんも高齢を迎えた最近になってから、不眠やからだのあちこちの痛みに苦しむようになり、家に引きこもりがちになっている。もしかするとこの人の症状も「晩発性PTSD」として説明できるのかもしれない。

 では、もし高齢者が熾烈な過去を経験してきたとわかったとして、私たち臨床医には何ができるのだろう。いや、何かをする必要はなく、大切なのはその話に耳を傾け、その年齢までその人が精いっぱい生きてきたことに賞賛の声をかけることだ。私は先の高齢者にこう言った。

 「そうですか。私は最近ここに来ましたが、あなたはたいへんな思いをしてここにいてくださったのですね。でもだからこうしてお目にかかれたわけで、ずっとこの地にいてくださったことに感謝していますよ」

たった2分でも良い。過去に耳を傾ける

 また、高齢の患者さんの中には、「私は高血圧の治療をしてもらいにここに来ているのだから、それ以外の話を先生に聞いてもらうのは失礼にあたる」と思い込んでいる人もいる。先の高齢者も、ひと通りの話をしたあと、「忙しいのにこんな関係ない話をしてしまってごめんなさい」と言っていた。もちろん、多くの外来受診者が来るクリニックでいちいちその人の生い立ちや昔話を聞く時間はないだろうが、もし少しでも余裕があるときは、「〇〇さんはもともとこのあたりの方でしたっけ」というように、ちょっとその人の過去にも話を振ってあげてほしいと思う。そしてもし「いえ、もともとは四国の人間です。父親が事業に失敗しまして」などと昔のことを語り出したら、ほんの2分でいいから「なるほど」と相づちを打ちながら話していただく。たとえ2分でも、それまで誰にも言えなかったような苦労話を診察室で話せれば、その人の心は相当軽くなり、場合によっては不定愁訴も改善することがある。

 多くの高齢者の“昔語り”は、たいてい「これでよかったんですよね」という肯定的な結末にたどり着く。どんなに過酷な経験をしていても、実際には80代、90代まで長生きできた。その事実は厳然としてそこにあるからだ。いまは子どもや孫もおり、友だちもいて趣味もあれば、さらに「いろいろあったが満足のいく人生だ」という思いも強い。ひと通り、言葉に置き換えることができたら、心にたまっていたストレスも心身の不調も軽くなる。自分を物語にしながら話すのは、まさに「語る漢方薬」のようなものだと思う。

 「いや、人の話を聴くのは苦手で」という医師もいるだろうが、高齢者の語る戦争時代の話や若い頃の苦労話は、まるで映画かドラマを見るように興味深いことが多い。「こんなことは医療とは関係ない」と医師自身が思ってしまうとただの“時間のムダ”に感じられるが、これも立派な治療行為なのだと思ってみてはどうだろうか。

 そしてもうひとつ言いたいのは、子ども時代や若いときに苦労をした医師は、いつかこの「晩発性PTSD」になる危険性があるということ。「これは誰にも言えない」と思っているような話があれば、配偶者や親友、場合によってはカウンセラーに打ち明ける機会を持つようにおすすめしたい。

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