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未来の会

第156回 患者のキモチ医師のココロ 「怒り」が表層化した「痛み」への対応

第156回 患者のキモチ医師のココロ 「怒り」が表層化した「痛み」への対応

 今回は、医師であれば誰もが一度は悩んだことがあるはずの「痛み」の問題について考えてみたい。

 精神科医を長く続けてきた私が、「痛み」は「怒り」の表現そのものだと気づいたのは40代になってからである。いや、その前から「痛み」で精神科を訪れる人の多くが怒っていることには気づいていた。しかし、その意味をうまく解釈できずにいたのだ。

「痛み」の正体

 多くの人は、たとえば次のように怒っていた。

 「あのね、私はここに来たくて来たんじゃないの。首が痛くてずっと診てもらってる整形外科の先生が、精神科にかかれって言うから、仕方なく来ただけ。そんな必要なんてないのにバカにしてますよ」。

 私は長いあいだ、この怒りは精神科受診を指示されたことへの怒りだと思っていた。ところがその後、1997年に刊行された1冊の本を読み、「痛みそのものが怒りの表現ではないか」ということに気づいたのだ。

 その本とは、『Wの悲劇』などのヒット作で知られる作家・夏樹静子氏の『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』(文藝春秋:現在は新潮文庫)である。本作の中で夏樹氏は、作家としては致命傷ともいえる激しい腰痛に襲われ、整形外科など各医療機関での検査や治療、民間療法の施術などを受けたが、症状はどんどん悪化する一方……という恐ろしい体験を述べる。結局、夏樹氏はひとりの心療内科医と出会い、これまで抑え込んできた怒りをはじめとするさまざまな感情が腰痛の原因になっていたことに気づいていく。「ミステリーの女王」と呼ばれた夏樹氏は、出版社や読者の期待に沿うべく、自らの感情や欲求を押し殺して執筆を続けてきたのだ。後に主治医は取材にこたえ、「(夏樹さんは)意識の表層では仕事が全く嫌ではないと思いながらも、心は悲鳴をあげていた。それが痛みで現れた」と語っている。原因不明の痛みは、まさに「心の悲鳴」そのものなのだ。

 とはいえ、最初から「その痛みは器質性のものではなく、あなたの心の奥の怒りであり悲鳴なのです」と医師が言ってみたところで、「そうなんですね」と患者が納得し、洞察に導かれることはないだろう。患者は痛みに加えて、「なぜ治らない」「なぜちゃんと診てくれない」さらには「なぜ精神科に行けと言うのか」と二重三重の怒りでバリアを張っている。そこで医師が「それは本当の痛みではなく心因性で」などと言おうものなら、怒りがさらに増強するだけだ。

 夏樹氏自身、先の著書の中で「ごく初期の心因反応は①心因→②心因に対する反応→③症状発現という図式をとりますが、これが長期化してくると①②の部分が吹っ飛んでしまって、症状のみが出現しているように見えてきます」「自分の意思とか感情とかを無視したところで、勝手に症状のみが出現するわけです」と非常に客観的かつ明解に痛みの構造を分析している。「何か思いあたるストレスはありますか」ときいたところでその人がすでに「①②が吹っ飛んで③」の段階になっていれば、「ストレスは関係ないですね」という答えしか返ってこないだろう。

 では、どうすればよいのか。

「痛み」の訴えを軽んじない

 まずは、器質性か機能性か、はたまた心因性か原因不明かを考えずに、とにかくその「痛み」にスポットライトをあてて話をきいたり身体診察を行ったりすることだ。言うまでもないことだが、痛みの性情、強さ、増強や減弱の様子などについて質問し、「痛いのはこのへんですか? こうやって圧すと痛みますか?」と基本の診察を行う。自分が感じている苦痛を「気のせい」ではなく「痛み」としてきちんと扱ってもらえるだけでも、患者はホッとするだろう。そして同時に自覚的あるいは無自覚的に抱えている「怒り」などの感情がしずまり、「痛み」そのものにも効果的な影響をもたらす場合もある。

 「痛みについてあれこれ問診する時間などない」という人は、強さや性質、日常生活への指標を評価するためのさまざまなスケールが開発されているので、それを利用するのもよいだろう。「最悪に痛いときを10として、今日の痛みはどれくらいですか?」と尋ねる数値評価スケールは多くの人が使っていると思われるが、ほかにも強さだけでも視覚的アナログスケール、表情尺度スケールなどさまざまなものがあり、日本ペインクリニック学会のホームページでくわしく紹介されている(https://www.jspc.gr.jp/igakusei/igakusei_hyouka.html)。

 整形外科医から「ウチじゃどうにもならない。精神科に行って」と言われて不満げに私の診察室にやって来た女性は、私がこれらのスケールで痛みの評価を始め、「ほかにもいくつかききたいことがあるので、もう一度、待合室でこの質問紙に記入していただけますか。また後ほどお呼びしますので」と言うと意外そうな顔をした。

 「精神科に来たら、どうせ“ストレスや悩みがあるんでしょう”などと言われると思ってました。それなのに『ぴーんと走る痛みかずーんと響く痛みか』とか、痛みの話を細かくきかれるとは。整形外科でもここまで質問されませんでした」

 いくつかの質問紙に時間をかけて答えを記入し、自分の痛みに客観的に向き合っているうちに、最初は不満げだった彼女の表情はどんどんやわらいできた。そして、次に診察室に呼び入れたときは、すっかり痛みの自己分析までできていたのである。

 「この質問紙の項目を見ていてわかったのですけど、私の場合、ここにある“気分が悪くなるような”とか“恐ろしい”という表現がピッタリなんです。痛みそのものより、それが出てくると一気に気が滅入るという方が問題なのかもしれませんね」

 そこから、「とても大切なことに気づかれましたね。『気が滅入る』とすべてがネガティブに見えてきますよね。痛み以外に頭に浮かぶネガティブなことはありますか」と心理的な問題に焦点をあてて話を進めていくことができた。

 もちろん、いつもこのようにうまくいくとは限らない。丁寧に痛みに寄り添い、客観的な評価を行ったあとでも、「だから最初から言ってるでしょう。こんな質問にいまさら答える必要がないくらい痛いんですよ。精神科なんかじゃなくて麻酔科とか優秀な整形外科とか、早く紹介してくださいよ」と怒り続ける人もいる。

 そのときは方針を変えて、「痛みに伴う二次性のメンタル科的な問題の解決」をゴールとして治療することを提案する。

 「わかりました。ただ痛みが強くて眠れない、仕事などが思うようにできないというのは、それだけでストレスになって生活の質をますます落としてしまいます。私は痛みについては専門家ではありませんが、それを少しでも解決するお手伝いはできるかもしれません」

 「痛み」の訴えを軽んじない。「痛み」には多かれ少なかれ心理的問題が関係していることが多いが、最初から「心の問題」と片づけない。たとえ心因性疼痛であってもそれが基本なのである。

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