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未来の会

集中OPINION 建築の視点から医療の未来を考える 「病院」を健康を守る「健院」に

集中OPINION 建築の視点から医療の未来を考える 「病院」を健康を守る「健院」に
長澤 泰(ながさわ•やすし)1968年東京大学工学部建築学科卒業。工学博士。厚生省病院管理研究所主任研究官、東京大学工学部教授、工学院大学副学長などを歴任し、医療・福祉の建築の専門家として開発途上国の指導にも携わった。2020年11月から一般財団法人「ハピネスライフ財団」理事長。

新型コロナウイルス感染症対策では、日本の医療体制の脆弱性や感染予防の不備等の課題が浮き彫りとなった。これについて、効率性と経済性を優先した病院設計に問題が有ったと指摘するのが、病院建築計画学の第一人者・長澤泰氏だ。「近代看護教育の母」ナイチンゲールが提唱した病棟を日本にも定着させていれば、「医療崩壊」とも呼ばれた危機的状況を避けられたのではないかと言う。長年の研究の集大成として2019年、『Japan Architectural Review』誌に掲載された論文「Global Hospitals in 2050」が「1番多くダウンロードされた論文トップ10」に入り、Wiley Online Libraryから表彰を受けた長澤氏に、今後あるべき病院や医療の在り方について聞いた。


——いつ頃から建築家を目指されたのですか。

長澤 中学の頃からです。建築が好きで、デザイン力もあると思っていたものですから。いずれ、東京大学に入学して、世界一の建築家になろうと思いました。東大は、2年間教養学部で勉強した後3年生から学科を選択出来るのですが、一生懸命勉強して、工学部の中で一番難しい建築学科に進む事が出来ました。そこで日本の建築計画学の創始者といわれ、後に恩師となる吉武泰水先生と出会いました。建築計画学とは、建築家の知識や経験だけに頼るのではなく、科学的な分析や根拠に基づいて建築を考える学問です。学びながら、少しずつ吉武先生に感化されて行きました。

——東大を卒業して、直ぐに研究の道へ?

長澤 いいえ。卒業後は芦原義信先生の事務所に入りました。ソニービルや東京芸術劇場の設計で有名な方です。5〜6年ほど建築設計を学び、実績を積んでから独立するつもりでした。そんな時に吉武先生に再会して、有名な建築家になって傑作と言われる建築物を世に残すという人生も良いけれど、後世に残る功績ならば研究者でも良いと言われ、建築計画を研究する道に進みました。芦原先生からは「勿体無いな。学者なんか食えないぞ」と言われましたが、今も何とか無事食えています(笑)。

——では、大学に戻られたのですか。

長澤 芦原建築設計研究所退所後、厚生省(当時)の病院管理研究所(現・国立保健医療科学院)の研究員になり、15年後に東大の助教授(当時)になりました。1977年にブリティッシュ・カウンシルの奨学生試験に受かり、2年間、北ロンドン工科大学大学院に留学をしました。英国保健省が、病院建築の研究が重要だという事で、大学に研究部門を作っていたんです。この分野は、既に吉武先生の一門が大きな成果を上げていたのですが、英国では誰にも知られていない事が衝撃的でした。その理由は日本語の論文にありました。どんなに立派な論文も日本語では誰にも読まれない。これからは国際化を進めなければと痛感しました。

——実際、病院の設計・建築という面での日本のレベルはどうなのでしょう。

長澤 日本には世界的に有名な設計事務所はあまり有りませんが、レベルは非常に高く、決して引けを取りません。ただ、日本の大手企業は海外進出に積極的ではない。丹下健三さんや隈研吾さんの様に個人で世界に進出した方は別ですが、中国やシンガポール、インドネシア等、東南アジア位迄ですね。建設工事の面でも、日本のゼネコンの技術は世界トップクラスです。阪神大震災、東日本大震災と2度の大地震を経験していますから、特に耐震・免震の技術は世界最高です。今や新しい病院は全て免震ですよね。

ナイチンゲールの思想から「健院」の発想へ

——イギリス留学の一番の成果は。

長澤 フローレンス・ナイチンゲールの業績を知った事です。ナイチンゲールは看護師として有名ですが、病院建築でも功績が大きい。彼女の著書『病院覚え書』に「病院が備えるべき第一の必要条件は、病人に害を与えない事である」とあります。病院に入院して心が塞ぐ事は無いか、心身共に健康になれるのかという指摘をしています。その面で日本の病院はまだまだですね。

——ナイチンゲールの考えた病院とは。

長澤 「ナイチンゲール病棟」と呼ばれ、病棟の衛生管理を重視するのが特徴です。彼女が戦地での看護を通じて、戦闘による死者よりも、野戦病院の不衛生な環境による死者の方が圧倒的に多い事に気付いたという話は有名ですね。当時は換気設備など無い時代でしたが、ベッドの両側に1・5㍍の間隔を空け十分な空間を確保する事で、咳をしてもウイルスや細菌が隣のベッド迄は届かない様にしました。更に、天井の高さは約5㍍にする事で、汚れた空気は天井付近に溜まり、縦長の窓を開けると自然に換気されました。ナイチンゲールが活躍した時代は、コッホが病原菌を発見する以前ですから、看護の経験の中で換気が衛生管理には重要だと気付いたのだと思われ、彼女の先見性に驚かされます。私達も、実際の病院で看護師の動きや医療機器の配置等を調べ、その研究データを分析し、病院設計に活かして来ました。その結果、非常に"効率的"な病院が出来上がった。しかし、各種の建物の中で最も効率的なものと言えば工場です。ということは、私達は病院という名の「肉体修理工場」を作って来たのではないか。そこで89年頃、「病院という名前が良くない」という論文を書いたんです。その中で、「病の家」では無く、「健康の家」でなくてはならないという意味で「健院」を提唱しました。病気の人が皆、東大病院の様な所に行っても仕方ありません。ドイツのエリート大学であるアーヘン工科大学の大学病院は、外観を見ると設備配管が至る所を通り、正に工場の様です。勿論そこに行けば最高水準の医療を受けられるのですが、皆がそうした病院を目指すという医療の形は、そろそろ見直すべきなのではないかと思います。これからは高度な治療を必要としない軽い病気の人は健院で済ませるとか、病院で一定の治療を終えた人は健院でリハビリ等を受けてから自宅に帰るといった事が必要だと思います。そうした私の発想の出発点は、留学を通じて知ったナイチンゲールの思想にあります。

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