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岸田首相は負の遺産の「損切り」が出来るか

岸田首相は負の遺産の「損切り」が出来るか
米豪政権が見せた戦略転換のダイナミズム

菅義偉前首相の退陣による総裁選の結果、新たに岸田文雄首相が就任した。安倍晋三政権の外相を4年半にわたって務めた岸田氏の首相就任は、日本の外交・安全保障政策の安定的な継承に繋がるものとして、同盟国の米国や、アジア・欧州の友好国から歓迎されている。外交・安保はリーダーが代わったからと言ってコロコロ転換するのは望ましくない。問われるのは、前政権の負の遺産を「損切り」出来るかどうかだ。

 バイデン米政権によるアフガニスタンからの米軍撤退はまさしく損切りだ。20年にも及んだ「テロとの戦い」で米国はテロの脅威から解放されたとバイデン大統領は撤退を正当化したが、「パキスタン北部からアフガンにかけての地域が今後、テロの温床になるのは間違いない」(海上自衛隊OB)。撤退後の混乱が予想される中、オバマ民主党政権が撤退を目指したが果たせず、自国第一主義のトランプ共和党政権が道筋を付けた撤退方針に便乗する事でようやく実現したものだ。

米国アフガン撤退と豪州の原潜開発

 米国にとっては「ベトナム戦争以来の屈辱の敗北」とも指摘される。多数のアフガン人協力者が置き去りにされた混乱もあってバイデン大統領の支持率が急落したが、20年前のブッシュ共和党政権から4代にわたって引き継がれてきた負の遺産を損切りするタイミングとしてはあまりにも遅過ぎたとみる事も出来るだろう。

 バイデン民主党政権は、台頭する中国に対してはトランプ前政権の強硬路線を引き継ぎつつ、前政権が軽視した同盟国・友好国との連携を立て直し、米中新冷戦を「民主主義国家陣営」対「権威主義国家陣営」という対立構図に定義付ける事によって米国の正当性を国際社会にアピールしている。政権交代を機にトランプ氏の「アメリカ・ファースト」路線を軌道修正し、同時にアフガンの損切りに踏み切ったというわけだ。

 オーストラリアがフランスと進めていた潜水艦の共同開発計画を一方的に破棄したのも損切りと言えるだろう。モリソン豪首相は、豪政府が仏政府系企業と開発契約を結んだ2016年当時のターンブル前首相と同じ自由党に所属しており、豪州の首相交代が引き金になったわけではない。自由党政権として扱いに苦慮していた潜水艦開発計画の損切りに、同盟重視のバイデン政権誕生を利用したというのが実情のようだ。

 その背景には豪中関係の悪化がある。5年前の豪中関係は蜜月のピーク。当時、潜水艦開発の相手先としては日本が有力視されていたが、東シナ海等で中国と軍事的に緊張関係にある日本との共同開発が豪中関係に悪影響を与えるのをターンブル政権が嫌ったと言われている。

 通常動力の潜水艦技術では世界トップクラスにある日本からの実用的な提案は採用せず、原子力潜水艦の技術を通常動力型にこれから転用しようというフランスのカタログ販売に乗ったのが豪政府。大幅な開発の遅れと、膨らみ続ける開発経費が負の遺産となって引き継がれるうちに豪中関係が悪化し、太平洋への軍事進出を加速させる中国への実用的な対抗策を迫られる事態となった。

 そこに救いの手を差し伸べたのがバイデン政権だ。アングロサクソン系の絆で結ばれた豪州(AU)・英国(UK)・米国(US)の3国で構成する安全保障の新たな枠組み「AUKUS」(オーカス)を創設し、豪州の原子力潜水艦開発を米英が支援する計画を発表した。国内で原子力発電所を運用した事のない豪州にいきなり原潜が扱えるのか等の懸念は残るが、通常動力型の開発を破棄する口実にはなる。中国の脅威が豪州の「非核」意識を変化させたという見方も出来よう。

 5年前、三菱重工が通常動力型の開発を受注していたら、豪州が原潜開発に踏み出すような無理をする必要はなかっただろうし、日本の防衛産業にとっては大きな飛躍の機会となっていただろう。そう思うと口惜しさも募るが、米中対立がこれほど急速に激化する事を豪州も想定していなかったのだから、今さら言っても仕方がない。

 原潜への転換は仏政府には寝耳に水だったようで、マクロン大統領は猛反発したが、実体のないカタログ販売で稼ごうとした仏側にも後ろめたさが付きまとう。ただ、米国がアングロサクソン系の結束で中国に対抗する枠組みを前面に押し出せば、フランスだけでなく、ドイツ等他の同盟国やアジアの友好国に不信感を抱かせる事になりかねない。自由と民主主義等の普遍的な価値観を前提とする国際秩序を守ろうというのは建前で、米国の既得権を守りたいだけではないか、と。

岸田外交が問われる「覚悟」

 そこで日本の出番である。バイデン大統領は9月にニューヨークで開かれた国連総会に合わせて退任間近の菅首相をホワイトハウスに招き、モリソン豪首相、モディ・印首相との日米豪印(クアッド)首脳会談を開催した。AUKUSによる狭い枠組みの印象を薄め、インド太平洋の民主主義諸国で中国を包囲する米国の基本戦略を改めて世界にアピールする狙いがあったのは明らかだ。それは同時に「自由で開かれたインド太平洋」構想を唱えた安倍元首相と、それを継承した菅前首相の外交成果を確認する機会にもなった。

 アフガンの損切りを実行に移し、豪州の潜水艦開発問題の損切りも支援したバイデン政権は、米国の持つ外交・軍事資源を中国との戦略競争に集中させようとしている。米中新冷戦の最前線に置かれた日本の岸田政権の役割としては、バイデン政権と歩調を合わせて中国に対抗するため、安倍‐菅政権から引き継いだ「正の遺産」をいかに生かしていくかが問われている。

 岸田首相は9月の自民党総裁選で外交・安全保障政策の公約として「3つの覚悟」(▽民主主義を守り抜く覚悟▽我が国の平和と安定を守り抜く覚悟▽人類・未来へ貢献し国際社会を主導する覚悟)を掲げた。中国の新疆ウイグル自治区などに対する人権弾圧を念頭に人権問題担当の首相補佐官ポストを新設するとともに、中国の海洋進出に対抗する島嶼防衛等での日米同盟強化を打ち出している。これまでの道筋に沿いながら、人権問題等前政権の取り組みの足らざる点を補っていく方向性は岸田外交の安定感を印象付ける。

 問題は損切りの覚悟が見えない事だ。自民党総裁の交代による政治空白を突くかのように北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、従来の弾道ミサイル防衛(BMD)システムでは迎撃出来ないレベルまでミサイル技術の高度化を進めている模様だ。しかし、日本政府は安倍政権時代に導入を断念した陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」に絡む負の遺産を引きずっている。

 そう言えば、イージス・アショアも米ロッキード・マーチン(LM)社が試作機すらないレーダーを日本に売り込んだ「カタログ販売」だった。米海軍が既に導入を決めていたレイセオン社製を選ばなかった不透明な経緯が「第2のロッキード事件か」と噂されたが、菅前政権はLM社との契約破棄に踏み切れず、陸上配備を想定していたレーダーを海上配備に転用する計画を決定。そうこうしているうちに、このシステムでは対応出来ないとみられる極超音速ミサイルの開発を北朝鮮が進めるところまで事態は悪化している。

 岸田政権はこうした負の遺産を損切りし、安全保障環境の変化に応じたミサイル防衛を確立出来るのか。菅前政権の末期にはアフガンへの自衛隊機派遣が遅れて現地協力者の救出に失敗するという危機管理上の大失態もあった。過去の政権対応の検証と損切りを期待したいところではある。

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