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大学病院が手術を断る理由?

大学病院が手術を断る理由?
大学病院が手術を断る理由?

腰が痛い。長く歩けない——。

東京都下の有名大学病院の整形外科を訪れた70代の男性は、診察の結果「脊柱管狭窄症」と診断された。若手の担当医から示された治療方針は、ブロック注射による保存療法。所謂“取り敢えず様子を見る”という治療法だ。

男性は定期的に通院し、その度に注射を打つ。一時的に症状が和らぐも根本的な改善には程遠い。日に日に歩行距離は短くなり、日常生活にも支障を来す迄になった。遂に男性は「手術を受けたい」と伝えたが、医師の治療方針は変わらなかったと言う。或る日、治療方針への不満をぶちまけると医師は言った。「私、外科手術の経験が無いのでやりません」

耳を疑う様な話だが、大学病院の現場を知る医師達は「有り得ない話ではない」と口を揃える。大学病院では、本来、指導医の監督下で若手医師が経験を積みながら執刀していく。しかし“誰がどれだけ経験を積んでいる医師なのか”を患者側が知る機会は極めて少ない。インフォームドコンセントでは、術式や合併症のリスクは説明される。だが「術者の技量」や「経験症例数」等が開示される事は殆ど無い。患者側も「大学病院だから安心だろう」と思い込み、深く踏み込まないケースが多い。結局、男性は知人の紹介を頼りに別の病院に転院した。紹介状は作ってくれなかった。

転院先では直ぐに手術方針が決定。手術は問題無く終了し、男性は80代となった現在も自力で歩いている。あの医師が言っていた「温存で十分」は大学病院の判断ではなく、担当医の一存だったに違いない。

若手医師の育成は、大学病院にとって重要な使命である筈だ。しかし、その教育が不十分である事の皺寄せを患者が受けるという構図が許されて良いのだろうか。医師を育てる為の医療なのか、患者を救う為の医療なのか——。大学病院が抱える根深い問題点が表面化する迄には、時間を要さないだろう。

「名医の偏在」が生む、もう1つの医療格差

この様に、世の中には“手術をしない病院”が在るかと思えば、“患者が殺到し過ぎて医師に辿り着けない”話も有る。

医療格差と言うと、地方と都会の違い、或いは所得格差ばかりが語られる。しかし実際には、「腕の良い医師」に患者が極端に集中する事で発生する、“名医格差”とも呼ぶべき現象が起きている。

神奈川県北部に住む60代の女性は、長年、足腰の痺れに苦しんでいた。歩く度に走る鈍い痛み。日常生活にも影響が出始め、家族はインターネットで情報を探し始めた。そこで目に飛び込んできたのが、「脊椎治療の名医」という評判だった。低侵襲手術で知られる或るクリニック。家族は藁にも縋る思いで電話を掛けた。電話の向こうからは「最短で、10年後になりますが、その頃には担当医師が引退している可能性もございますので、確約は致し兼ねます」。 その言葉に家族は絶句したものの、この「名医」に懸け、10年待ちを受け入れた。患者心理とは切実だ。

そして数年後——。

女性の元に、件のクリニックから予定よりかなり早い連絡が入った。順番が早まったのかも知れないと期待したが、告げられたのは、「担当医師が引退する為、予約は後任医師へ引き継ぎます」。

懸念は、現実となった。

日本は「フリーアクセス」の国だと言われる。保険証一枚で、患者は自由に医療機関を選べる。世界に冠たる制度だ。だが、「選べる事」と「診て貰える事」は同義ではなかった。そこに病院が存在していても、診察迄10年待ちなら、それは実質的に“閉じている扉”である。

都内の開業医は「ネットで“名医”と呼ばれ始めた瞬間、その医師の外来は崩壊します」と真顔で話す。しかも「名医」の定義は実に曖昧だ。手術件数なのか、学会での肩書きなのか、メディア露出なのか、それとも患者満足度なのか。基準は極めて不透明である。“医師の偏在”は長年叫ばれてきた。しかし今、静かに進行しているのは“名医の偏在”なのである。

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