「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」を掲げるトランプ政権が、米製薬企業の意向を踏まえ、日本政府に新薬の大幅な薬価引き下げを見送るよう圧力を掛ける構えをちらつかせている。来年度の次期診療報酬改定で薬価制度の抜本改革を目指す日本政府は反発しているものの、薬価の大幅削減に異を唱える日本国内の改革慎重派は米国による「外圧」を歓迎している向きもあり、安倍晋三政権は対応に苦慮しそうだ。
ロス商務長官が薬価制度改革を牽制
4月18日朝、日米の初の経済対話に臨むため来日したウィルバー・ロス米商務長官は、東京都内であった金融関係の会合で同席した塩崎恭久厚生労働相と旧交を温めた。2人の話題は投資やイノベーションの重要性に移り、塩崎氏は「医薬品産業のイノベーション推進と国民皆保険の堅持は我が国の基本的立場だ」と説明した。これにロス氏は頷きながらも、日本国産の高額のがん免疫治療薬「オプジーボ」の価格が半額に引き下げられた経緯を踏まえた上で「新薬の価格が大きく下がらない仕組みが望ましい」と、薬価の大幅引き下げに繋がる抜本改革を検討している日本政府の姿勢を牽制した。
ロス氏の来日目的は、今年2月の日米首脳会談で合意した両国の経済対話の初会合だった。メーンはマイク・ペンス米副大統領と麻生太郎副総理兼財務相、ロス氏と世耕弘成経済産業相との閣僚協議。これら公式の閣僚協議の場では自動車や農業の市場開放に向けた議論が中心となり、薬価制度の話は出なかったとされる。
しかし、米通商代表部(USTR)が3月にまとめた外国貿易障壁報告書では、2016年の日本のオプジーボの緊急薬価引き下げなどへの懸念を示し、米国側が日本側に意見を伝える機会を与えるよう求めていた。政府関係者は「経済対話の事前交渉の際、米側が特に強く要求してきたのが製薬分野だった」と明かす。
日本では昨年秋、患者1人分の1カ月の薬代が300万円を超すオプジーボの登場を機に、薬剤費の膨張による「亡国論」が声高に語られた。15年度の医療費は41・5兆円。高齢化や医療技術の進歩に伴って、毎年着々と伸びている。医療費のうち薬剤費は約2割を占め、財政を圧迫している。薬価の高騰を懸念した政府は、オプジーボを半額とする緊急値下げを打ち出す傍ら、昨年末には関係4閣僚による合意「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」を取りまとめた。診療報酬改定に合わせて原則2年に1度となっている薬価改定に関し、全ての薬の市場価格を調べた上で、毎年実施に切り替えるというのが概要だ。売り上げが拡大した薬については、17年度から年4回見直す機会を設け、薬価をより市場価格に近づけるために引き下げる。薬の値段が効果に見合っているかどうかを分析し、費用対効果が低ければ公定価格を引き下げる制度も18年度から取り入れる。
市場価格と薬価の差がどのくらい開いた薬を改定の対象にするか、といった基準の見直し、費用対効果の分析結果をどう薬価に反映させるのかといった具体的なルール作りは、厚労相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)に委ねられた。
だが、1月から始まった中医協の議論は難航気味。製薬業界は、薬価引き下げによって新薬開発に回す費用が圧迫されることへの懸念を示し、大幅な値下げに強く反発している。また、市場価格と公定価格がどれだけ開いた薬を改定対象にするかについては、「具体的な基準を定めると、値下げを避けるための価格調整による高値維持の動きが出かねない」との慎重論も出ている。製薬業界は、想定より売れた薬であっても、競合品のシェアを奪い、薬価全体に大きな変化が無い分野の薬に関しては「引き下げの対象外としてほしい」とも要求している。
米国の薬価引き下げ分を日本が負担
薬価制度の抜本改革に関する議論が深まらない中に飛び込んできたのが、「トランプ政権は日本の薬価引き下げ阻止に向けて動く」との情報だ。日本の製薬企業幹部は、米国政府の意向について「我々への追い風となる」と歓迎の意を隠さない。この幹部は「トランプ政権なら、従来よりも強硬に出てくるのではないか」と漏らし、薬価の大幅引き下げが実現しないことに期待を繋ぐ。
環太平洋連携協定(TPP)の交渉時、バラク・オバマ政権下の米国は自国の製薬企業を有利にするため、新薬のデータ保護期間を長引かせるようぎりぎりまで粘って交渉を紛糾させた。ドナルド・トランプ大統領はTPP協定からの離脱を打ち出し、2国間FTA(自由貿易協定)締結を推進すると表明している。米国が2国間協定に持ち込んで薬価制度見直しなどを主張しようとしているのは明らか。4月10日、米国研究製薬工業協会(PhRMA)の新会長に就任したホアキン・デュアト氏は首相官邸に安倍晋三首相を訪ね、「技術革新のための施策を続けてほしい」と求めた。薬価の大幅引き下げに反対する姿勢を示唆した格好だ。
トランプ大統領は米国内の薬価高騰を問題視して米国内での薬価引き下げを主張しており、日本に対する姿勢と矛盾している、との指摘もある。しかし、厚労省幹部は「『米国第一』の観点からみると、自国で引き下げた分を日本に負担させるという考えは、トランプ氏にすれば矛盾していないのだろう」と言う。
一方、自民党内などには「18年度は大きく薬価を下げなくてもいい」(厚生族議員)との声もある。政府は16〜18年度の社会保障費の伸びを計1・5兆円に抑える意向で、最終の18年度は「1100億円程度のカット」が政府の目標だ。しかし、18年度に関しては、オプジーボの薬価引き下げや給料が高い人の介護保険料アップなどで既に700億円弱分の削減を達成している、との見方もある。
この他、大手新薬企業の関係者も「米政府の後押しが無くとも、影響は小さい。日本政府の薬価見直しの基本方針自体が緩いからだ」と明かす。2年に1度の通常改定期以外の薬価引き下げ対象には、薬価が加算されている画期的な新薬や基礎的医薬品は含まれておらず、対象は大手新薬企業には縁の薄い後発医薬品や、後発薬が出ている長期収載品が中心となる。その上、基本方針が謳う薬価引き下げの対象は、「想定より一定規模以上売れた薬」や「市場価格との差が大きな品目」に限られている。オプジーボのような想定より大幅に売れた薬は「随時引き下げ」の対象ともなるが、製薬企業関係者は「オプジーボのような薬がそうたびたび開発されることはないと話す。
それでも、日本政府にとって、今後も公定薬価引き下げを社会保障費抑制策の主軸に据え続けなければならないことに変わりはない。トランプ政権の意向に沿って薬価を高止まりさせるとすれば、社会保障制度を揺るがせ、財政破綻の引き金をも引きかねない。米政府の要求をどうかわし、社会保障の持続性をどう高めていくのか。トランプ大統領との蜜月関係を自負し、外交安全保障面では順調な日米関係を築いている安倍首相だが、貿易、農政とともに社会保障という内政面を巡って、いずれ正念場を迎えることになる。
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