
家族や地域社会の繋がりが希薄化し、社会の「個人化」が加速する現代の日本。嘗ての総中流社会は姿を消し、富裕層と貧困層の二極化が進む中、社会的な孤立を抱える人々は、潜在的には3000万人規模に上るとも言われる。こうした社会的分断に対し、弱者救済を掲げる「恩賜財団済生会」は、どの様な哲学で立ち向かうのか。社会の「最終防衛ライン」を守り抜くべく、ソーシャルインクルージョンに基づく共生社会の実現を牽引する炭谷茂理事長に、行動の原動力となる信念と、変革期を生き抜く戦略を聞いた。
——済生会の運営に当たり、炭谷理事長が常に立ち返る原点についてお聞かせ下さい。
炭谷 私は学生時代から一貫して、日雇い労働者、精神や発達に障害を抱える方、在日コリアン、元受刑者、中国残留孤児、被差別部落の方々など社会的に弱者と呼ばれる人々に関心を持ち続けてきました。彼らへの抜本的な対策を講じる為には、「福祉国家」という国の枠組み自体を創る必要が有る。そう考え、東京大学法学部を卒業後、旧厚生省に入省しました。国立病院局長、社会・援護局長、環境省では環境事務次官等を経て、行政の内側で出来る事の限界も感じましたが、思いは変わる事は有りませんでした。そして、現在理事長を務める済生会は、正に弱者支援を理念として掲げる組織です。私の思いと組織の使命が合致し、2008年にお招き頂きました。これが私の原点であり、今も変わらぬ信念です。
——社会環境が変化する中で、済生会が掲げる「施薬救療」の理念は、現在どの様に具体化されているのでしょうか。
炭谷 済生会は1911年、貧困層への医療を案じられた明治天皇の「済生勅語」により、救済の資金として150万円を下賜され、創立されました。この「施薬救療」の精神、即ち経済的に困窮している方々に無料又は低額で診療を行う事こそが、私達の礎です。初代会長に桂太郎、役員に渋沢栄一や山縣有朋、医務主管に北里柴三郎が名を連ねた歴史有る組織で、関東大震災でも巡回看護班等を編成して被災者支援に当たりました。しかし、私が就任する前の済生会は、高齢者の為の特別養護老人ホームを建設する等、他の公立病院や社会福祉法人と何ら変わらない事業が中心でした。嘗て総裁を務められた高松宮妃殿下も、生前「本当に施薬救療の精神に基づく活動をどれだけやっているのでしょうか」と繰り返し指摘されていましたが、私も全く同感でした。61年に国民皆保険制度が導入された事で当会の役割は終わったという見方も有りましたが、社会全体が豊かになった様に見えても、制度の谷間で支援を受ける事の出来ない生活困窮者は今も存在しています。特に近年は高齢化が進み、生活の立て直しが難しい人の割合が増加する等、社会の歪みは広がるばかりです。課題が複雑化する現代に於いて、私達が果たすべき役割は、単に病気を治すだけでなく、病気の背景に在る貧困や社会的孤立に直接介入していく事です。その様な人々に具体的な行動で手を差し伸べなければ、私達が社会福祉法人の看板を掲げる意味は有りません。だからこそ、理事長就任直後から「済生会の原点に立ち返ろう。創設の趣旨を体現しよう」と内部に繰り返し訴え続けてきました。
——生活困窮者や元受刑者等、既存の制度から零れがちな人々の支援策についてお教え下さい。
炭谷 済生会が本来の役割を果たす為には何が必要か。それを突き詰め、2009年、大阪・釜ヶ崎で無料検診を始めました。現在同地区の8つの病院が協力し、採血や血圧測定を行っており、治療を要する人も多く見つかります。横浜の寿町在住者や各地のホームレスの方々への健診も、同様に続けています。こうした実践を体系的に進める為、翌10年には、当会のシンボルマークを冠した「なでしこプラン」を策定しました。元受刑者、ホームレス、DV被害者、障害者、高齢者等、既存の制度では手が届き難い方々を対象に、巡回健診や健康相談等を行う事業です。中でも手応えが有ったのが、刑務所出所者への支援活動です。出所者の多くが何らかの病気を抱えていますが、十分な受け皿が有りませんでした。当会が支援を始めたところ、法務省から「これ迄引き受けてくれる団体が無かった」と大変歓迎されました。なでしこプランの延べ支援対象者は25年時点で年間24万人に上り、その内元受刑者は毎年2万人程です。15年からは、私自身も赴いた山口刑務所等で、受刑者に於ける介護職員初任者研修の資格取得を支援しています。但し、資格を取得しても雇用に結び付かない事も多い為、当会では、条件が合えば雇い続けると伝えています。実際に働いている方もいます。「人権を尊重する」と口で言うだけでなく、具体的な活動の姿で見せる事が私の考えです。
ソーシャルインクルージョンの実践
——社会的孤立も深刻化しています。誰もが地域で役割を持ち、共に生きる社会の為に必要なものとは。
炭谷 私が学生だった60年前と比べ、日本の社会は大きく変わりました。家族や親族、地域といった繋がりも希薄化しています。近年はSNSの影響もあって社会の「個人化」が進み、他者への思いやりも希薄になっています。又、嘗ての「一億総中流社会」から、富裕層と貧困層がはっきりと分離する時代になりました。社会的に孤立し取り残されている人は、国や研究機関による推計が有りますが、私は潜在的には3000万人規模に上ると見ています。こうした状況下で必要なのは、新しい社会福祉の考え方です。孤立した人々を放置すれば、やがて社会から排除された状態に陥り兼ねません。そうなる前に、社会の一員として共に生活出来る様にする「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」という考え方こそが、これからの日本に必要だと考えています。私は00年1月に英国政府に招かれ渡英し、当時のブレア政権がこの理念で国家的な政策を進めている事に大いに感銘を受けました。日本でもこの理念を導入しようと長年訴え続け、20年に済生会として「ソーシャルインクルージョン推進計画」を策定しました。これは、全施設が地域毎の取り組みを自ら宣言し実行するもので、現在では多世代交流や買い物支援等、総計1600件以上の事業が動いています。この様な組織を挙げての取り組みは日本初で、21年にはSDGsアワードの官房長官賞を頂きました。誰もが地域で役割を持ち、排除されないまちづくりを進める事。これこそが、激変する社会の中で私達が目指すべき新たな共生社会の姿です。
——病院、介護、福祉、子育てや障害者支援まで幅広く展開する済生会が、医療と福祉を一体で担う理由は何でしょうか。
炭谷 私達は医療機関だけでなく、介護施設、福祉施設等を網羅しており、その両方を途切れる事無く支え続ける事が出来ます。急性期の病院で命を救う事は勿論重要ですが、退院後の生活基盤が整っていなければ、治療の効果も長くは続きません。医療と福祉が分断されていては、複雑な背景を持つ困窮者を真に救う事は出来ないのです。だからこそ私達は、病院という空間を開かれたものにし、地域住民の生活全般を幅広く受け止める拠点にしたいと考えています。例えば、東京都港区の済生会中央病院では、22年にはユニクロとして初となる病院内店舗を誘致しました。又、今年の4月には、ソーシャルインクルージョンの起点として、病院の2階に一般の方も入れる交流サロンを開設しました。元受刑者や発達障害の方々が集い、自ら作った製品を販売する場です。病気を治療するアプローチのみに留まらず、退院支援から就労や住まいの確保、そして社会との接点を生み出す事迄を包括的にサポート出来る連続性。これこそが、医療と福祉を一体で担う済生会ならではの、最大の強みだと考えています。



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