
超高齢社会の進展と社会保障財政の逼迫、「医師の働き方改革」の本格運用——。日本の医療供給体制は今、未曾有の構造的転換点に立たされている。2025年4月に順天堂大学医学部附属順天堂医院の院長に就任した山路健氏は、1838年の創設以来受け継がれる「仁」の精神の下、データサイエンスを武器に「経営の可視化」と「温もりのある医療」を同時に追求する。膠原病・リウマチ内科の権威として難病治療の最前線に立ちながら、病院経営の要職を歴任してきた山路氏に、次世代の病院経営を見据えた改革の信念と展望を聞く。
——院長就任から1年、掲げられた目標の進捗と経営の現状についてお聞かせ下さい。
山路 特定機能病院として、患者さんを中心とした質の高い安全な医療を提供する事は大前提であり、当然の義務です。院長就任以来、私が職員に繰り返し伝えているのは、「温もりを感じる、信頼出来る病院」という言葉に集約される姿勢です。患者さんが医療を評価する際、客観的な技術や安全性は元より、医師や看護師、コメディカルスタッフが醸し出す雰囲気や優しさ、丁寧さといった要素が、医療評価に於ける非常に重要な評価軸になる事が調査でも分かってきました。高度な医療を追求するあまり、こうした人間的な視点が抜け落ちてはなりません。又、経営の現状に目を向けると、昨今の物価高騰や光熱費、医療資材の値上がり、更には医師の働き方改革への対応等、医療を取り巻く環境は非常に厳しい状況にあります。高度急性期医療を維持し、適切な設備投資や優秀な人材の確保・増員を継続的に行う為には、病院としての持続可能な財務基盤が有って然るべきであり、最善の医療を提供し続ける為の原資として不可欠なものです。全体のバランスを最適化し、無駄を徹底して省きながら効率良く医療に取り組む事で、次世代の医療を支える持続可能な体制を構築して参ります。
——「真心」や「思いやり」という抽象的な概念を、組織に浸透させるのは容易ではありませんね。
山路 その通りです。だからこそ、目に見える「形」をしっかりと整える事が肝要と考えています。例えば、ドラマ等では医師が白衣をはだけて歩く姿が一部に見られますが、当院ではそれを慎むよう、指導を徹底しています。髪型を整え、きちんとした言葉遣いをする。プロフェッショナルとしての節度の有る態度や美しい身だしなみを守る事が、順天堂の学是である「仁」——即ち「他を思いやり、慈しむ心」を体現する為の確固たる土台となるのです。医療は決して1人で行うものではありません。常にチームとしての意識を持ち、患者さんやそのご家族、そして共に働く同僚やコメディカルスタッフ等、周囲の方々を深く思いやりながら日々の医療に取り組む必要が有る。そして、こうした強固な精神的基盤が組織全体に根付いていれば、互いのコミュニケーションが円滑になり、結果として医療の成果や患者さんからの評価も自ずと良くなるのではないかと考えています。日々の些細な「形」を整える地道な積み重ねが、来院された全ての方が安心して診療を受けられる、真に信頼に足る病院の実現へと繋がると確信しています。
——一方で、高度医療の維持には、経営基盤の安定という現実的な課題が立ちはだかります。
山路 これ迄、現場の「一生懸命」という精神論で何とか維持してきましたが、それでは立ち行かない厳しい現状が有ります。健全な体制で医療に取り組むには、先程も触れた通り、持続可能な収益基盤が不可欠です。本学理事長・小川秀興の言葉を借りれば、「財の独立無くして学の独立無し」です。その為に、私はこの1年、当院で何が起こり、どの様に運営されているのかの「可視化」に全力で取り組みました。病院全体の収支は勿論の事、外来・入院別の収支、各診療科の収支、各医師、手術や処置の収支に至る迄がリアルタイムで把握可能となる独自の経営管理システムを、院内の情報基盤センターとIBMとの産学連携で構築したのです。このシステムにより、何処が収益を生み、何処が赤字を招いているかが一目瞭然となりました。例えばロボット手術では、医療材料費の比重が特に高い事が判明しています。高度な手術・治療ほど材料費や機器コストが嵩み、懸命に診療しながらも赤字になりやすい構造も浮き彫りになりました。又、同じ診療科内でも担当医師によって材料の使用量が異なり、経費率に差が生じているという実態も明らかになりました。このデータを基に各科の教授・先任准教授らとのランチミーティングを定期開催し、「赤字になっている診療をどうすれば少しでもプラスに出来るか」を共に議論しています。加えて、仕入れ業者の見直しや材料使用の適正化等を推進した結果、昨年度は診療報酬収入から薬剤・材料費等を差し引いた実質的な収益に於いて、飛躍的な増収を達成しました。
テクノロジーが「温もり」を生む
——患者さんの「入り口から出口迄」、一貫して医療DXを活用されているそうですね。
山路 個別のシステムや機器の導入ではなく、真に効率化と医療の質向上に繋がるものを見極め、患者さんの通院体験のあらゆるフェーズにデジタルを組み込んでいます。具体的には、大きく3つの柱で展開しています。第1に、病院の「入り口」に於ける「AIコンシェルジュ」の活用です。院内に設置したディスプレイ型の端末が、バーチャル映像による院内の案内を担います。スマートフォンで検査結果や診察待ちの順番を確認出来る「通院支援アプリ(マイホスピタル)」とも連動させており、患者さんが院内で長時間待機するストレスから解放される様配慮しています。尚、ホームページ上にあるAIコンシェルジュは、「初診事前受付」に対応しており、6月末には予定した全ての診療科に対象を拡充しました。自宅等から操作して頂く事で、初診登録から診察券発行迄の手続きの時間を短縮出来ます。第2に、院内での診療や検査を円滑にする「メディカル・コンシェルジュ」の強化です。医師が電子カルテの「DXチャート」に検査内容等を入力するだけで、医事クラークが複数の診療科に亘る複雑な日程調整を一手に引き受けます。複数の診療科に掛かる患者さんが各科の検査をバラバラに入れられ何度も来院せざるを得ない問題を解消し、待ち時間・在院時間・来院回数の大幅な短縮を実現しました。第3が、病院の「出口」を支える「PFM(Patient Flow Management)AIマッチングシステム」です。これも本学とIBMが産学連携で共同開発を行ったもので、電子カルテから抽出した患者さんの医療情報や住所、キーパーソンとなるご家族の居住地等と、現在1万件を超える転院先・退院先医療機関のデータをAIで解析し、マッチングします。希望条件を入力するだけで最適な転院先・退院先を瞬時に絞り込む事が出来るのは、結婚相手を探すマッチングアプリがヒントとなり閃きました。急性期から回復期、そして在宅へと繋ぐ地域の医療機関の役割分担にも大きく寄与しています。



LEAVE A REPLY