
「働かせて、働かせて、働かせて」とならないか
「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が昨年の新語・流行語大賞に選ばれた高市早苗首相は、多くの労働者が適用される労働基準法等、労働法制の見直しに向けて意欲を見せている。首相は2月20日の施政方針演説で、裁量労働制の拡大に向けて検討に舵を切ると表明した。首相が突然表明した背景事情を探る。
先ずは厚生労働省に於ける労基法改正の検討状況を振り返りたい。2019年に施行された働き方改革関連法の実施状況を踏まえた総点検の意味合いで、有識者による「労働基準関係法制研究会」が見直しを検討し、議論の叩き台として25年1月に報告書を取り纏めた。この報告書の公表を受け、厚労大臣の諮問機関・労働政策審議会で、26年の通常国会への法案提出に向け、具体的な作業に取り掛かっていた。
労政審段階では、①14日以上の連続勤務を禁止する上限規制、②原則11時間の勤務間インターバル制度の義務化、③休日に業務用メール等に応じなくてよい「つながらない権利」に関するガイドライン作成、④副業・兼業の割り増し賃金算定ルールの見直し、⑤有給休暇の賃金算定方式の統一等が議論されていた。この段階では裁量労働制の拡大は盛り込まれておらず、寧ろ労働者の心身の健康維持や柔軟な働き方を認める様な内容ばかりだった。
働き方改革への風向き変化
風向きが変わったのは、高市首相が自民党総裁選に勝ち抜き、首相の座に就いてからだ。首相は就任直後、上野賢一郎厚労大臣に対し、閣僚指示書という形で「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討を行う」と命じた。この時点では、裁量労働制の拡大ではなく、働き方改革で新たに設けられた残業時間の上限規制を緩和出来るかを主な検討課題としていた。厚労省幹部は当時、「首相の問題意識が何処に在って、何を変えようとしているのかよく分からなかった。そもそも首相は労働法制には詳しくない様だ」と訝しんでいた。
そうした厚労省幹部の苦悩を表す様に、首相は昨年11月5日の参院本会議の代表質問で、労働時間規制の緩和に関連し、「残業代が減る事によって、生活費を稼ぐ為に無理をして副業する事で健康を損ねてしまう方が出る事を心配している」と述べていた。厚労省内からは、首相の狙いが分かり難いとの声が噴出していた。
一方、労働時間規制を巡っては、18年の働き方改革で新たに残業時間の規制が導入され、現場で浸透しつつある。具体的には、原則的に月45時間、年360時間を上限とし、36協定を結んだ場合なら月最大100時間、年720時間迄の残業が可能だ。医師の残業時間の上限は原則年960時間で、地域医療確保の為に止むを得ない場合は年1860時間迄の特例が設けられている。只、この規制は導入されて間も無い為、「見直す俎上には載っていない」(厚労省幹部)という。
そこで持ち上がったのが、裁量労働制の拡大だ。首相官邸サイドに働き掛けが有り、残業時間規制の見直しではなく、裁量労働制の拡大へとシフトした。そもそも裁量労働制とは、労使で予め定めた時間を働いたと見なして賃金を支払う制度。労働者が自らの裁量で働く時間を決められる為、生産性を高められ、自由で効率的な働き方が出来ると期待されている。
裁量労働制の拡大適用業種
しかし、全ての業種に適用するのではなく、研究や開発、設計等専門性の高い職種に限定しており、医師は含まれていない。具体的には、システムエンジニアやゲームクリエイター、デザイナー、研究開発者、建築士、税理士等20業種の専門業務型と、経営企画や営業企画等の企画業務型の2つだ。日本経済団体連合会は裁量労働制の拡大を求めており、小路明善経団連副会長は1月21日の講演で、「自律的に仕事を遂行し、時に集中して働く事で、能力の最大発揮と成長意欲の一層の喚起を促す裁量労働制の拡充を通じて、労働の高度化による持続的な成長を目指す」と宣言している。経済界を中心に以前から見直しを求める声は強かった。
只、裁量労働制の拡大は18年の第2次安倍晋三政権下でも拡大が検討されていたが、連合等労働者側から強い反発を受けた。更には、裁量労働制が適用される労働者に関する厚労省の統計を巡り、労働時間が短くなる様な不適切なデータが盛り込まれていた為、裁量労働制の拡大には至らなかった経緯が有る「曰く付きの案件」でもある。
首相表明に労働界を中心に反対論
2月20日の施政方針演説で首相は、「働き方改革の総点検に於いてお聞きした働く方々のお声を踏まえ、裁量労働制の見直し、副業・兼業に当たっての健康確保措置の導入、テレワーク等の柔軟な働き方の拡大に向けた検討を進めます」と表明している。その後、「とにかく成長のスイッチを押して、押して、押して、押して、押しまくってまいります」とのフレーズを読み上げている。
予想通りというか、この表明に労働界を中心に反対論が湧き上がっている。連合の芳野友子会長は記者会見で「厳格且つ適正な運用が確保されなければ長時間労働を招き兼ねない。反対の立場だ」と明らかにし、「運用が難しいという声が上がっている」とも述べた。同じく前会長の神津里季生氏も「百害有って一利無しだ」と切り捨て、「裁量は本来、労働者の裁量だ。しかし、世の中全体では、経営者の裁量で決まるものだと誤解されている。本当に働く人の裁量で決まるなら、労働者側から拡大の要望が出てもおかしくないが、実際は経団連が求めている」と指摘した。
労働・雇用問題専門の鈴木悠太弁護士は「賃金を上げるのではなく、裁量労働制で定額働かせ放題にすることで、労働者の側に『圧倒的成長』を求めるということでしょう」とX(旧ツイッター)に投稿した。野党からも「働かせて、働かせて、働かせてとならないか。賃金を上げる方が先だ」との批判も上がっている。
過去には総裁選敗北の鬼門に
労働法制の見直しは鬼門になり兼ねない。24年の自民党総裁選でも、有力とされた小泉進次郎衆議院安全保障委員長(当時)が成長産業への労働移動を促したいとの意向で解雇規制の緩和を打ち出し、争点化させようとした。しかし、世論を中心に猛反発を招き、小泉氏本人の説明も十分ではなかった為、尻すぼみになった結果、小泉氏は敗北した。
経済界は予てから、解雇規制の緩和、労働時間規制の見直し、裁量労働制拡大を求めており、自民党政権下では労働政策の見直しは浮上し易い。只、自民党内では労働政策に詳しい議員は田村憲久政調会長代行や加藤勝信元官房長官、後藤茂之元厚労大臣等に限られており、打ち出し方によっては世論から反発を招き、労使で紛糾し兼ねないという構造的なジレンマを抱えている。
残量時間規制の緩和から紆余曲折し、今後の焦点となるのが裁量労働制の適用範囲を何処まで拡大するかだ。18年に頓挫した営業職の追加等が復活するのかが注目される。高い支持率を誇る高市首相だが、予算審議等で強引な手法が目立ちつつある。世論を背景に押し切れるのかどうか。
厚労省幹部は「当初、首相が言い出した残業時間規制の見直しは沈静化した。裁量労働制の拡大については、首相官邸サイドを説得しつつ、労使で協議して上手い落とし所を見出したい」と明かす等、様子を見ながら時間を掛けて検討する姿勢を崩していない。




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