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安倍氏急逝で問われる岸田首相「脱安倍」の覚悟

安倍氏急逝で問われる岸田首相「脱安倍」の覚悟
日米同盟の質的強化へ「負の遺産」の見直し急務

参院選の投開票を2日後に控えた7月8日、安倍晋三・元首相が遊説中に銃殺された。日本の民主政治を揺るがす大惨事だが、参院選後の「脱安倍」を睨んでいた岸田文雄・首相にとっては期せずして重石が取れる形となった。

 岸田政権が6月17日に発表した防衛次官人事が脱安倍の布石だった。防衛省の島田和久・前事務次官は安倍政権下で6年半に亘り首相秘書官を務めた「安倍側近官僚」の1人。安倍元首相が旗を振って来た敵基地攻撃能力の保有や防衛予算の大幅増が決まる年末に向けて続投が既定路線と見られていた。発表前日には安倍元首相が岸田首相を事務所に呼び付けて翻意を迫る場面もあった。

 注目されたのは参院選直前という発表のタイミングだ。中央省庁の夏の幹部人事は通常国会閉会後に行われる事が多いが、あえて参院選前に波風を立てる必要は無く、7月末や8月にずらす事も出来た。参院選後の政治日程には内閣改造・自民党役員人事が織り込まれ、安倍元首相に近い高市早苗・党政調会長の交代が取り沙汰される中で、安倍側近次官の交代人事が様々な憶測を呼ぶ事を岸田首相が計算に入れていなかった筈が無い。

「質より量」で歪められた防衛装備体系

 後任次官に就任した鈴木敦夫・前防衛装備庁長官と島田前次官は1985年防衛庁入庁の同期。中央省庁の次官を同期が引き継ぐのは珍しく、この点にも岸田首相の強い意思が滲む。鈴木次官は昨年7月に次官級の防衛装備庁長官に起用された時点で「次は上がり」と目されていた。だが、米国防大学への留学経験を持つ知米派で、防衛政策課長や米軍再編調整官等を歴任した鈴木次官が次官コースから外された「安倍人事」の歪みを指摘する声も有っただけに、鈴木次官の横滑り人事は尚更岸田首相の脱安倍志向を印象付けた。

 衆院議員の残る任期は3年余。参院選を乗り切った岸田首相の眼前には、大きな国政選挙に政権の体力を削がれる事の無い「黄金の3年」が広がる。ただし、岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月迄。安倍派が「反岸田」に舵を切れば、岸田首相は最大派閥の安倍派を敵に回して2年後の総裁選に臨まなければならなくなる。首相がここで脱安倍を鮮明にするという事は、その覚悟を固めた事を意味する。裏を返せば、そのまま安倍元首相の影響下で政権運営を続けるデメリットの方が大きいと判断した事になる。

 では、なぜ岸田首相は脱安倍の布石に防衛次官人事を選んだのか。米国の軍事・情報筋とパイプを持つ政府関係者は、知米派で防衛装備にも詳しい鈴木氏の次官起用が「日米同盟の質的強化へ向けた強いメッセージになる」と期待する。

 歴代最長の在任期間を誇った安倍政権のレガシー(政治遺産)を挙げるとすれば、集団的自衛権の行使を可能とした安全保障関連法の制定に象徴される「日米同盟の強化」であろう。しかし、声高に叫んだ防衛費の量的拡大の裏で進んだのが防衛装備体系の歪みだった。先述の政府関係者は特に「負の遺産3点セット」の問題を指摘し、その解決を鈴木次官に期待する。

 負の遺産3点セットとは ①陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」 ②敵ミサイルの射程圏外から敵の艦船等を攻撃するスタンドオフミサイルの国産開発 ③18(平成30)年度から建造の始まった新型護衛艦(30FFM)——の迷走を指す。いずれも安倍元首相の肝煎りであるが故に、戦略的合理性に反する方向に政策が歪められ、その軌道修正が出来ないまま、防衛費の大幅増だけが独り歩きしている。日米の外交・軍事筋の間では、これを放置すれば岸田政権の命取りになりかねないと懸念されている。

 ①のイージス・アショアは「アメリカファースト」を掲げたトランプ米大統領(当時)から武器爆買いを迫られ、北朝鮮の核・ミサイルに対抗する名目で拙速に導入が進められた曰く付きの案件だ。安倍政権は配備先の選定等を巡る混乱を理由に導入を断念したが、契約済みだったロッキード・マーチン社の新レーダーシステム「SPY−7」は解約せず、海上配備のイージス搭載艦に転用する方針を決めたのは菅義偉政権だ。

 米海軍はレイセオン・テクノロジーズ社の新レーダー「SPY−6」導入を着々と進めている。米海軍との一体運用を前提とする海上自衛隊もイージス護衛艦へのSPY−6導入を急ぎたいのが本音なのに、安倍政権の誤った判断の尻拭いを押し付けられた形だ。そもそもSPY−7は大陸間弾道ミサイルを探知する長距離レーダー「LRDR」を元に開発中という。北朝鮮から飛来する中距離ミサイルの探知に適しているのかどうかを実機で検証する事無く、カタログ商品のSPY−7に防衛省が飛び付いた背景に「第2のロッキード事件」を勘ぐる見方まで囁かれる。

三菱重工への「安倍系」天下りが落とす影

②のスタンドオフミサイルは、敵基地攻撃能力の主力装備とすべく、国産開発が進められて来た。ところが、川崎重工業が研究試作を受注した新型巡航ミサイル(新SSM)が開発段階に格上げされず、代わって開発が進められる事になったのが、陸上自衛隊に12年度に導入された12式地対艦誘導弾(12SSM)の能力向上型だ。艦船の垂直発射装置(VLS)から発射可能で、目標を正確に自動探知する画像センサーや、敵の攻撃を回避するターボファンエンジンを備える新SSMこそ、国産スタンドオフミサイルの本命と目されて来た経緯がひっくり返されたのである。

 12SSMの製造元は防衛装備最大手の三菱重工業だ。安倍元首相の懐刀として政務秘書官兼補佐官を務めた今井尚哉氏が三菱重工の顧問に迎えられたのは昨年春の事。今井氏は防衛産業やエネルギー政策を所管する経済産業省の出身で、原発メーカー大手でもある三菱重工が原発の再稼働・新設・増設をにらんだ動きとの見方がもっぱらだったが、米国からの武器爆買いで国内防衛産業が細る中、三菱重工が国産ミサイル開発の主導権確保を狙った周到な天下り人事とも指摘される。

 ③の新型護衛艦は、機動性と低廉性を前面に押し出したコンパクト艦で、通称のFFMは多機能フリゲート艦を意味する。従来艦の半分以下になる乗員約90人が交代で乗り組むクルー制を採用し、人員不足に悩む海自の編成を効率化する目的で導入された。6年後には護衛艦54隻の4割に当たる22隻を30FFMとする計画だが、その建造を主に請け負うのも三菱重工、それを主導したのは安倍政権下の防衛省内局だった。

 中国の急速な海洋進出に対抗する為「質より量」の艦船増強を迫られた結果とは言え、三菱重工の提案を採用した船体規格は海自関係者が「商社仕様」と揶揄する程、装甲等が簡素化された。尖閣諸島周辺の警戒監視等が主任務であればそれでも良かったのであろうが、ロシアのウクライナ侵攻はインド太平洋地域の安全保障環境も一変させた。中国の台湾侵攻も視野に日米同盟の質的強化を図らなければならなくなった今、低烈度の戦闘に備える30FFMの大量建造計画は防衛力整備の足枷になりつつある。

 安倍元首相の急逝は参院選の自民圧勝を決定付けたのみならず、岸田政権の脱安倍路線をも後押しする事になる。早晩、岸田首相が問われるのは「脱アベノミクス」の覚悟だろう。

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