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第55回「医師が患者になって見えた事」/ 56歳で希少腫瘍の腹膜偽粘液腫と向き合う

第55回「医師が患者になって見えた事」/ 56歳で希少腫瘍の腹膜偽粘液腫と向き合う

医療法人悠志会 岸本内科医院(鳥取県八頭郡八頭町)院長
腹膜偽粘液腫患者支援の会 サポート医
岸本 昌宏/㊤

岸本 昌宏(きしもと・ まさひろ)1961年鳥取県生まれ。87年鳥取大学医学部を卒業後、同脳神経内科に入局。同助手を経て、97年に岸本内科医院を開業した。地域医療に打ち込む中、56歳で自らの希少腫瘍を偶然発見した。日本人では年間100万人に約1.5人が発症する腹膜偽粘液腫だ。この疾患と向き合った経験から患者の支援にも力を注ぐ。

 人なつっこい性格で、地域医療は天職だ。1961年鳥取県八頭町で生まれ、県立八頭高校から1浪して鳥取大学医学部に入学した。実は子ども時代に海外暮らしの経験がある。小学校の教員だった父が、西ドイツで日本人学校を開く任を負い、一家で移り住んだ。岸本は小学校4年から6年生まで現地校に通ったが、すぐに友達とも打ち解けた。しかし帰国後、中学生になると文章読解が苦手で、代わりに理系科目に力を注いだ。将来は組織の歯車になるのでなく自律的に働きたいと、後の開業を視野に医師を志した。3人兄弟の長男で、上の弟が教員、下の弟は歯科医になった。

 医学部を出た87年頃、日本は高齢大国へと突き進んでおり、脳卒中に倒れる患者が急増していた。急性期を脱しても、そこからが麻痺や後遺症との闘いだ。そんな患者を地域で支えたいと、神経内科を専門に据えた。市中の病院を転々とし、開業に必要な幅広い知識を蓄えた。97年、36歳で母校の助手の職を辞し、待望の開業の日を迎えた。都市部でなければ、少し広めの土地や機器に投資でき、念願のCTも導入した。昔からの友人に加え、父、さらには町長を務めた祖父の縁もあり、患者は順調に増えた。地域の求めに応じて、2001年にデイサービスも立ち上げた。

自分で撮ったCTに腹水が映って動転

 17年は卒後30年の節目の年だ。前年に55歳の坂を越え、少し健康にも気を配ろうと考えた。長男は母校の医学部に進んだが、下にまだ高校生と中学生、さらに小学生の子が2人いた。定期的な血液検査などはしていたが、春から画像診断も積極的に受けてみることにした。

 6月1日は患者の超音波検査の予約が入っていた。開院前に機器の調整を兼ね、岸本は自分の腹部にプローブを当ててみた。すると、肝臓の周りに黒々と不気味に光る領域があった。「腹水じゃないか、嘘だろう」。頭の中が真っ白になった。

 日中の外来に加え、夕方から訪問診療に向かうなど毎日多忙だったが、精力的に仕事をこなし、食欲もあった。大学時代の合気道を最後に取り立てて運動はしていなかったが、体力の衰えを強く感じることはなかった。たばこは吸わず、酒も飲まない。強いて言えば便秘気味で下腹部が少し出てきたようだが年相応だ。両親とも他界していたが、母が膵臓がんだったことは唯一のリスクかもしれない。

 自分の目で見た画像の印象が消えないまま、午前中はいつも通り診療に集中した。昼は15分ほど車を走らせ自宅に戻る。昼食を用意していた妻に、「お腹に異変がありそうだからCTを撮ろうと思う。手伝ってくれないか」と告げた。まだ半信半疑で、妻に余計な心配を抱かせたくなかった。会話は少なく、なるべく平静を装うとしたが、普段のようには食べられなかった。

 午後の診療を終えてスタッフが帰宅後、妻の前でCTの寝台に横たわり、自分でスイッチを押した。5分が1時間にも感じられた。写し出された画像はさらに衝撃的だった。脾臓は原型をとどめず、全体に腹水が貯留していた。五分五分だろうとの疑念は、がんに傾きつつあったが、なお否定したかった。腹水が貯まる理由には、結核性の腹膜炎などもあり得た。

 翌朝は胃カメラを撮った。妻が見守る中、モニターをにらみつつ慎重にファイバーを挿入した。幸い胃は正常だった。しかし、午後に届いた前日の採血結果では、腫瘍マーカーのCEAやCA19-9の値が高かった。大腸がんの可能性があった。

 妻の知らせで、医学部5年生の長男が米子から駆けつけていた。妻と長男に画像を見せながら、「あと半年か1年の命かも知れない……」と切り出した。妻は脅えるばかりだったが、長男は治療と向き合うよう説得してくれた。帰宅途中で、妻はがんの食事療法の本を購入していた。

 下部内視鏡は自分では入れられないため、翌日鳥取赤十字病院で検査してもらったが、こちらも異常がなかった。原発巣はどこなのか——それから3日間、診療以外の時間は腹水の原因を考え続けた。がんを疑う患者を少なからず病院に紹介していたが、どの所見とも違って見えた。文献検索の末に辿り着いたのが、「粘膜偽粘液腫」だった。原因不明の希少疾患は、教科書や医師国家試験で見かけるぐらいで、患者に遭遇したことはなかった。主に虫垂や卵巣にできた腫瘍が破裂し、腫瘍細胞が作り出すゼリー状の粘液が腹腔内を満たす。先駆的に治療に取り組んでいる病院に、草津総合病院(滋賀県草津市)や岸和田徳洲会病院(大阪府岸和田市)があった。早速、草津総合病院に電話をかけて予約を取った。

腹膜切除術の第一人者に診療を仰ぐ

 超音波検査の翌日、テレビで金沢赤十字病院の外科医である西村元一が『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』という著作を出したことが紹介されていた。そのタイトルはストレートに響き、妻に購入を頼んでいた。中に、西村が大学医局で世話になった先輩医師として米村豊の名が記されていた。米村は後輩に慕われる医師で、腹膜切除手術の第一人者でもある。岸本はいてもたってもいられず、改めて電話で相談をすると、岸和田徳洲会のほうが米村の手術を早く受けられる可能性があるという。幸い6月8日の予約が取れた。

 大阪までは車を飛ばしても3時間はかかる。診察室で向き合った米村は、穏やかで頼もしく思えた。岸本が医師だと承知しており、「自分で診断したの、よく分かったね。びっくりしただろう」と笑みをたたえた。確定診断は腹水を採取した細胞診の結果を待たなくてはならないが、予想通り「腹膜偽粘液腫」と診断され、岸本は少し安堵した。次に「1年はもたないと思っただろう。5年は大丈夫だから」と言われ、苦笑いした。実際に5年生存率は50%ほどだ。米村は、治療法の説明を続けた。医師相手ということで、説明は専門的で手短だった。腹膜を切除して腫瘍を完全に取り除くことを目指す。残った微小な腫瘍に対して、術中に局所に温めた抗がん剤を注入する温熱化学療法を併用するという。

 腹膜切除術はリスクが高く修得に時間がかかるアグレッシブな手技だが、米村は豊富な手術経験を持ち、世界的にも名が通っている。ただし、半年から1年間待機しなくてはならなかった。手術までの間、消化器がんで縮小効果が認められているゼローダの内服を勧められた。7月に再診、9月に3回目の受診をすると、10月に手術時間が取れそうだという。「患者さんを待たせずに済みそうだ、ありがたい」と素直に喜んだ。             (敬称略)

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