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未来の会

医療界におけるジェンダー問題

医療界におけるジェンダー問題
 第④回 ジェンダーステレオタイプ脅威はパフォーマンスを下げる

前号ではステレオタイプの露呈が炎上の原因になったり、マイクロアグレッションで相手を不快にさせたり、帰属意識を低下させたりする可能性を紹介し、ステレオタイプから脱却すべきであると述べた。今回は、ステレオタイプの偏見に晒される事に依ってパフォーマンスが下がってしまうリスクについて述べる。

女性は本当に数学が苦手なのか?

 「ステレオタイプ脅威」とは、周囲からステレオタイプに基づく目で見られる事を恐れ、その恐れに気を取られるうちに本当にパフォーマンスが低下してしまい、恐れていたステレオタイプを示してしまう現象の事である。自分はダメなのかもしれないという不安にかられ、そのストレスが脳のワーキングメモリ機能(情報を一時的に保ちながら操作する為の認知機能)を低下させ、実力が発揮出来なくなるからだと言う。

 例えば、「女性は数学が苦手である」というステレオタイプはよく知られている。女子学生は、数学の試験を受ける時に「女性であるが故に自分の数学の能力は高くない」とみなされるリスクを負い、プレッシャーを感じ、数学の成績が振るわなくなるのだと言う。

 心理学者のスペンサーらは、米国の女子大学生を対象に「数学能力に男女差が在るかどうかは議論が続いている」と述べ、続いて「これから行う数学のテストはこれまで性差が見られたものである」或いは「これから行う数学のテストはこれまで性差が見られなかったものである」と説明してから数学のテストを実施した。その結果、性差が無いという説明をした場合には男女でテスト成績に違いは無かったが、性差があると説明した場合には有意な性差が見られ、更に、女性の得点は性差無しと説明した場合よりも低かった。

 そもそもステレオタイプとは、「女性は数学が苦手である」「女性はリーダーシップ力に欠ける」「女性には看護師や保育士が向いている」「男性は理系、女性は文系」等、人をある種のカテゴリーで見てしまう固定観念の事である。ジェンダーに関してのみならず、人種等の属性についてもステレオタイプは存在するが、本稿のテーマから逸れるので此処では扱わない。勿論、数学の点数の男女差が全てステレオタイプ脅威で説明出来る訳では無いだろう。しかし、様々な固定概念が人間の行動に強力な影響を与える事は注目に値する。数学は医療とは直接関係無いと思われるかもしれないが、数学の試験の点数は医学部進学への過程に大きく影響する。どこの医学部でも数学の配点は大きい。「女性は数学が苦手である」というステレオタイプ脅威は女子学生の数学の点数を下げ、進学を不利にする可能性が有る。

「女性なのに凄いね」は誉め言葉ではない

 特定の場面で不安を抱かせるサインが蓄積されると、ステレオタイプ脅威を感じる可能性が高まる。逆にこうしたサインが乏しいか、不安を抱かせるものでない場合、ステレオタイプ脅威は感じられないか、その感覚は低下する。

 不安を抱かせる第一の要因に、疎外感が挙げられる。疎外感を感じる場面としては、自分と同じアイデンティティを持つ人の数が少ない場合が挙げられる。例えばオーケストラでは、女性楽団員の割合が10%程度だと、女性はプレッシャーを感じ、40%に達すると「ステレオタイプ」が消え、男女ともに満足度の高い経験を報告するようになるという。

 クリティカル・マスという言葉を聞いた事は無いだろうか。集団の中で存在を無視出来ないグループになる為の分岐点が有り、それを超えたグループをクリティカル・マスと呼ぶ。一般的に、30%が最低ラインと言われている。「202030」という、社会のあらゆる分野に於いて、2020年迄に指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標があった事をご存じだろう(残念ながら達成できず、先送りになったが)。仮にある女性が重要な決定を行う会議に出席したとしても、女性が他に殆ど居なければその女性は疎外感を感じて委縮し、本来のパフォーマンスを発揮出来ない可能性が有る。ステレオタイプ脅威がもたらすリスクは、パフォーマンスの低下だけ留まらない。女性のその分野への帰属意識、その分野での成功を追求する意欲や願望を損なう可能性も有る。従来女性の少ない分野・部署に女性を増やす事の意義は此処に在る。女性のメンターやロールモデルも重要な働きを持つ。

 この様なステレオタイプ脅威の実験がある。「数学のテストで男性は女性より5%良い成績を修めるが、それは小学校の時に教師がバイアスの掛かった期待を持っていた為である」「男女に数学能力に違いが無い」という研究結果をエッセイで読み、数学のテストを受けた女子学生は、「数学能力の性差は遺伝に依る」「芸術に於ける女性の身体」等というエッセイを読んでテストを受けた女子学生よりも良い成績を示した。成績は努力で変えられるというメッセージを与え続ける事は重要である。

 又、褒め方にも注意が必要である。女子中高生に対して、数学の試験で良い点を取った後で数学の教師から「女の子なのに凄いね」と褒められると、数学の学習意欲が低下する事も明らかになっている。「女の子なのに凄いね」という言葉に依って逆に「女性は数学が苦手」というステレオタイプを喚起されてしまい、数学に対するネガティブな態度を持つ様になるのである。褒めているつもりが逆効果だ。

生存者バイアスにも注意

一方、外科のトレーニングに関して次の様な研究が在る。外科研修医を対象に、ステレオタイプの脅威が手術パフォーマンスとワーキングメモリに及ぼす影響を検討したものだ。102人の研修医を、ステレオタイプ脅威有りのグループと脅威無しのグループに無作為に割り付け、研修医のメンタルローテーション(思い浮かべたイメージを実際に実物を回転させるのと類似した操作で頭の中で回転させる過程)とワーキングメモリをそれぞれ評価した。メンタルローテーションは、手術スキルを評価する代用として測定されたものである。その結果、メンタルローテーションでは男性が女性を上回り、ワーキングメモリでは女性が男性を上回った。

 しかし、研究者たちの予想と反して、ステレオタイプ脅威に依るメンタルローテーションやワーキングメモリの成績への影響は見られなかったという。女性外科研修医は、性別に関する否定的なステレオタイプが存在する環境の中でも成功し、本来男性が優位のキャリアパスを歩んで来た。従って1)ステレオタイプの脅威の影響を受けない様に適応した、2)男性優位の分野でこのレベルの成功に達する事が出来た女性は、ステレオタイプの脅威に対して本質的に回復力が有る、3)両方の組み合わせが生じた、等の可能性が有る。この研究の結果は、能力が高く、ステレオタイプ脅威に耐性の有る女性が外科医を目指そうと研修を始めた、という生存者バイアスを示しているのかもしれない。

 又、この研究は米国で実施されているが、米国では日本より女性外科医の割合が高い。より疎外感を感じ易い日本の女性外科医がステレオタイプ脅威に耐性が有るかどうかは不明である。

 世界経済フォーラムのGlobal Gender Gap Report 2021に於いて156カ国中120位の順位にある日本では、特に経済や政治分野での評価が低く、意思決定の場に女性が少ない。ステレオタイプ脅威は、小中学生や幼稚園児にすら生じる事が分かっている。日本の悲惨な順位は、子供の頃からステレオタイプ脅威を受け続けた結果なのかもしれない。あらゆる領域に於いてネガティブなジェンダーステレオタイプのメッセージを発する事は厳に慎まなければならない。

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