SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

本流の後継者」として日医の改革に取り組む

本流の後継者」として日医の改革に取り組む

〜執行部14年、副会長10年の経験を活かして〜

中川 俊男(なかがわ・としお)1951年北海道旭川市生まれ。77年札幌医科大学医学部卒業。88年新さっぽろ脳神経外科病院開設、院長。92年日本脳ドック学会設立。94年医学博士号。97年北海道医師会常任理事。98年日本医師会未来医師会ビジョン委員会委員。2000年札幌医科大学医学部脳神経外科臨床教授。05年日医代議員。06年同常任理事。07年厚生労働省社会保障審議会(医療部会)委員。中央社会保険医療協議会委員。08年札幌医科大学大学院医学研究科臨床教授。10年日医副会長。20年6月より日医会長。

6月27日に行われた日本医師会(日医)の会長選挙で、5期目を目指す横倉義武氏との激戦に勝利し、第20代会長に就任した中川俊男氏。「本流の後継者」としてこれまでの日医を継承しつつも、若手の頃から改革に取り組み続けてきただけに、組織に新風を吹き込む意気込みだ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で難しい時代を迎えている中、新会長としての抱負を聞いた(7月9日に行われた共同取材を基に構成)。

——会長選挙を振り返って今の思いを。

中川 あまり振り返りたくないというのが本音です。ただ、最終的には代議員の皆様が本当にしっかり考えて、決断をして、投票してくださった。その結果だと考えています。勝因についてはいろいろな分析があると思いますが、選挙が終わればノーサイドですから、これからはオールジャパンでやっていく必要があります。オールジャパンの体制を作るために、時間がかかる部分もあるかと思いますが、最終的にはしっかり1つになってくれるのだろうと思っています。私自身の気持ちも、まさにノーサイドの状態ですし、そういう気持ちで仕事をしていきたいと思っています。

——会長に就任して周囲の反応はどうですか。

中川 皆さん応援してくれています。一緒に頑張ろう、応援します、と言ってくれる人が多くて驚いています。新執行部には選挙の時、両方のキャビネットに入っていた方もいますが、選挙で決まればしっかり中川会長の下で頑張ると言ってくれていますし、実際、頑張って仕事を始めてくれています。本当に良かったと思っています。

3人の会長から多くを学んだ

——これまでの体制を踏襲するのでしょうか、改革していくのでしょうか。

中川 会長に立候補するに当たって、私は「本流の後継者」であると言い続けてきました。これまで14年間も執行部にいたわけですし、筆頭副会長として横倉前会長を支えてきたわけです。「横倉執行部のやり方は間違っていた。けしからん」と言って立候補したわけではありません。後継者として、これからは「リニューアル」「ブラッシュアップ」「パワーアップ」という3つの視点でやっていきたいと思っています。

——横倉前会長を名誉会長に推薦したのは?

中川 名誉会長の件はずっと以前から考えていました。一緒に仕事をしてきた方ですので、これからもご指導いただきたいし、相談したい時もあるだろうと思います。いろいろな場面で繋がりを持っている事が大事だと思いましたし、これが日本医師会の姿勢であるという事を見せたいという思いもあって提案しました。横倉前会長も了解してくださっています。

——全日本病院協会(全日病)の猪口雄二会長を副会長として執行部に迎えた狙いを教えてください。

中川 病院団体との関係は、どうしても日本医師会対病院団体という構図になります。日本医師会側からはそんな思いはないのですが、病院団体から見ると「対日医」というスタンスになります。それを払拭するために、ぜひ猪口先生に入っていただきたいとお願いしたわけです。払拭するための突破口になっていただければと思っています。猪口先生には大変ご苦労をおかけしました。副会長候補となる事に、数日で返事をくれというような無理なお願いをしたのですが、手伝うと言っていただいて本当に感謝しています。全日病の内部でいろいろなご意見があったと聞いていますが、そこはさすがに猪口先生のお人柄というか人徳で、体制はそのままで頑張るという事になったのだろうと思います。

——10年間の副会長経験は、会長としての仕事にどのように活かされるとお考えですか。

中川 結論から言うと、これからの私の仕事ぶりを見ていただくしかないと思います。ただ、これまで3人の会長の下で仕事をしてきて、多くの事を教えていただいたと思っています。唐澤祥人会長(第17代)はお人柄が素晴らしく、この人こそ真のかかりつけ医だなと思わせる方で、心酔しました。原中勝征会長(第18代)からは、日本医師会会長に必要な器について学びました。執行部への苦言も批判も自分が真正面から受け止められて、俺は部下を信じているという姿勢を崩さなかった。本当に素晴らしいと思いました。横倉義武会長(第19代)は、政・官へのきめ細やかな気配りを見せ、卓越した交渉術を発揮する方で、そういう部分を教えていただいたと思っています。こうした会長方と仕事をしてきた経験を活かし、本流の後継者として仕事をしていきますが、全て今まで通りでは私が会長になった意味がありません。もちろん、私なりの思いを表していきたいとは思っていますが、こう見えて私はあまり激変を好みません。皆の納得を得ながら、少しずつ変えていければいいなと思っています。常に冷静にやっていきます。

医師会改革に取り組んできた

——若い頃から日本医師会で改革に取り組んできたのですね。

中川 私は36歳で開業して、すぐに札幌市医師会に入会しましたが、その時、「自分が改革してやろう」と非常に生意気な事を考えていました。入会してみて、先輩方がとても真面目で、素晴らしい活動をしている事には気付いたのですが、納得出来ない部分もありました。地域医師会の役員は選挙で選ばれる事になっているのに、根回しで決まってしまう。それが私の目には不透明だと映ったのです。しかし、一般会員だと発言権がないし、発言する場もありません。それで、札幌市医師会の役員選挙があった時、私が所属していた厚別支部からは理事が1人しか出せなかったのですが、支部長が「誰か出たい人はいるか」と言うので、「はい」と手を挙げたわけです。こうして厚別支部から2人の理事候補が出る事になり、札幌市医師会では何十年ぶりかの選挙になりました。

——それで当選した?

中川 1票差の次点で私が落選しました。しかし、落選はしたが心意気が目に付いたという事で、その当時の北海道医師会の飯塚弘志副会長が、一本釣りと言うのでしょうか、札幌市医師会を飛び越えて、私を北海道医師会の常任理事にしてくださったのです。後にいろいろな方から、「お前、あの時、落選して良かったな」と言われました。そうやって北海道医師会の常任理事になった時、日本医師会の坪井栄孝会長(第15代)が「未来医師会ビジョン委員会」を立ち上げるに当たって、各ブロックから50歳未満の元気のいい若手を集める事になり、私もそこに加わる事になりました。

続きを読むには購読が必要です。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top