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病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

医療界におけるジェンダー問題

医療界におけるジェンダー問題

 ③回 ステレオタイプから脱却し、炎上を避けるには

近年、企業のCMや自治体のPR動画の炎上が増えている。昔はテレビ以外に動画を見る機会は殆ど無かったのに、今ではインターネット上の動画がSNS等を通じてどんどん拡散される。SNSではCMやPR動画に対する不快感や嫌悪感が表明され易く、拡散されて増幅されてしまう。折角お金を掛けてCMやPR動画を作成しているのに、企業や自治体のイメージを毀損し兼ねないダメージを受ける事もある。

CMやPR動画は何故炎上するのか

 CMやPR動画の炎上の要因の1つに、「現状の追認に依るメッセージの古さ」が有る。例えば、家事や育児に関わろうとしない男性を「応援」してしまう、女性のワンオペ育児を「礼賛」する、等である。既存の固定観念をあたかも肯定しているかの様なメッセージになってしまうからだ。作り手が意図したものとは違うメッセージが拡散してしまい、炎上するのだ。古い例では、1975年に女性が「私作る人」、男性が「僕食べる人」というインスタントラーメンのCMが猛抗議を受け、1カ月程で放送中止になった。現実社会で女性が料理を作り男性がそれを食べる事が多いとしても、それを改めて見せつけると男女の性別分業を追認していると取られても仕方がない。そして、半世紀近く経っても、状況は余り変わっていないのだ。

 学会のコンセプトビデオがプチ炎上した例もある。2020年日本外科学会定期学術集会がその1例だ。前半は外科医の生活のストーリー仕立て、後半は定期学術集会を担当する大学のPR動画となっていた。問題となったのは前半部分。夜、夫婦が子供の誕生日を祝っている最中に、病院から電話が掛かって来る。緊急手術に呼ばれて出掛ける夫(男性外科医)とそれを見送る妻と子というストーリーだった。20年日本外科学会定期学術集会のHPで公開されたが、現在はHPからは削除され、YouTubeの限定公開でのみ見る事が出来る(3月24日現在)。公開当時、Twitterでは「時代錯誤である」「このような働き方を肯定するから外科医が減るのだ」「プライベートを犠牲にして働く事を肯定するのは良くない」「専業主婦に家を任せて仕事第一で頑張って来た男性外科医が外科を支えて来たのは事実だが、コンセプトビデオにするのは時代に逆行している」等という意見が飛び交った。ツイートの多くは医師と思われるアカウントによるものであった。

 病院から緊急手術に呼ばれて出掛ける男性外科医とそれを見送る妻と子の姿、というのは実際によくある風景なのだろう。実際、擁護する声も有った。しかし、ステレオタイプの外科医の姿を追認してしまうと、価値観の古さが露呈するのは避けられないのかもしれない。医師の働き方改革を考慮していない点、仕事を優先する男性外科医と、それを見送り子と留守を守る妻という性別分業を肯定してしまった点が「現状の追認」という事になるだろう。女性医師、特に外科医から見ると疎外感を感じたとしてもやむを得ない内容であった。

 一方、この動画の主たる視聴対象者の外科学会会員達の感想はどうだったのかは不明だ。問題視されたのか、されなかったのか。それでも、SNSでこの動画が拡散され、様々な診療科の医師や非医師が見て反応し連鎖した。つまり、従来であれば見る事のなかった層に迄メッセージが拡散し、問題視する声が拡散した事は興味深い。

マイクロアグレッション

 マイクロアグレッションとは、日常のちょっとした言動や状況の中で、特定の人や集団を標的として、人種、ジェンダー、性的嗜好、宗教を軽視したり侮辱したりする、敵意ある否定的な表現の事である。発言した本人が意図していようと、いまいと関係無い。実際の所、加害者は、自分が相手を貶めるような事を言ってしまった事に気付いていない事が多い。

 現在、あからさまなセクシュアルハラスメントや差別的な雇用習慣は減少している様に見えるが、微妙な性差別や偏見は存在している。女性に差別はしないと思っている男性が、そうとは意識せずに行ってしまうのである。ジェンダーに関するマイクロアグレッションとは、女性の貢献を軽んじたり、性的な対象として扱ったり、業績を正当に評価しなかったり、女性が社会・教育・職場・専門的な環境に於いて重要な役割を果たす事を制限したりする事等を指す。

 言語的、或いはジェスチャーや口調など非言語的なマイクロアグレッションも勿論重大な問題だが、ここでは特に環境に埋め込まれたマイクロアグレッションについて述べたい。環境に埋め込まれたマイクロアグレッションは、時として言語的・非言語的なものよりも有害になり得る。

 企業の管理職の上層部や経営陣が男性ばかりである場合、「この組織で自分は上手くやっていける」という女性の期待は奪われてしまう。男性だけの歴代CEOや指導者の肖像画が飾ってある会議室に女性が入る時、女性に指導的立場に立って上手くやる事は出来ないと「ガラスの天井」を強く印象付けてしまう可能性がある。男性の同僚が成人男子向けの雑誌をデスクに積んでいるのを見ると、女性は自分が歓迎されていないと感じるかもしれない。これは性別のみならず、人種等でも同様で、白人ばかりの組織の中で、有色人種の人々は自分も上手くやっていけるとは考えにくいのではなかろうか。

ステレオタイプから脱却出来るのか

近年、自分自身のアンコンシャス・バイアスを正す目的の研修が日本や海外の企業で行われるようになった。前号で「アンコンシャス・バイアスに先ず気付く事、知ろうとする事が大事である」と述べたが、先ず個人の中のバイアスを知ってそれを取り除く事は極めて重要である。しかし、バイアスは個人の中にのみ有る訳ではない。

 差別には、個人的差別、制度的・構造的差別、文化的差別の3種類が存在する。制度的・構造的差別には企業のポリシーや育児休業の男女不平等、昇進プロセスの不平等等が有る。これらの構造的な問題についても教育する必要が有るし、組織上の問題を改善しない限りは個人のバイアスを取り除いても差別は持続してしまう。

 又、環境という意味では、視覚的なデザインの効果も意外に重要である。ワシントン大学で、「学生がコンピュータサイエンス入門コースに登録したいと希望するかどうか」、及び「期待される成績」に関して調査した研究がある。オンライン上のバーチャル教室のデザインが学生にどの様な心理的影響を与えるか、男女で比較・検証したものだ。バーチャル教室に、いかにもコンピュータ好きの男性をイメージさせる様なSF本、コンピュータ部品、電子機器、ソフトウェア、技術雑誌、ビデオゲーム、コンピュータ本等を配置した場合、女子学生は男子学生程セミナーに登録したいと感じる事が無く、予想される成績も低かった。しかし、その様なステレオタイプを排除してニュートラルなデザインにしたバーチャル教室環境(コンピュータサイエンスに関連しないアイテム、水筒、コーヒーメーカー、アート写真、自然写真、ランプ、ペン、一般雑誌、植物等を配置)では、女子学生は男子学生と同じ位が登録したいという意向を示し、予想される成績も同じレベル迄上昇していた。単純なデザインを変化させる事によって女性の帰属意識を増し、コースに参加したいという気持ちを高める効果をもたらしたのである。

 ステレオタイプなデザインは、その分野に入る事を躊躇させ、そこで上手くやっていけない気持ちにさせる可能性が有る。短時間であっても帰属意識の欠如を感じる環境に触れると、個人の能力や才能とは別に、教育の選択、興味、期待に影響を与える。個人の問題のみならず、環境、制度、文化等、多角的にステレオタイプを解決していくべきである。この点に於いて、管理職・指導者のリーダーシップは特に重要だ。

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