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第50回 厚労省人事ウォッチング 健康局長交代の真相は……

第50回 厚労省人事ウォッチング 健康局長交代の真相は……
定年より1年前倒しして退職した正林督章元健康局長

 今回は厚生労働省の幹部人事の後編として、医系技官人事の狙いを読み解きたい。昨年夏は「サプライズが続いた幹部人事」と本欄で紹介したが、今回も健康局長ポストを始め波乱に満ちた人事となった。新型コロナウイルス感染症へのこれまでの対応を巡り、首相官邸の意向が大きく影響したようだ。

 注目すべき人事はいくつかあるが、先ずは健康局長人事を取り上げたい。健康局長だった正林督章氏(1991年入省)が定年よりも1年前倒しして退職した事は、省内では大きな驚きを持って迎えられた。後任には、正林氏と同期で堅実な仕事振りで知られる佐原康之・大臣官房危機管理・医務技術総括審議官が充てられた。

 正林氏は「感染症対策のエキスパート」(中堅職員)として手腕が期待されたが、わずか1年での退任となった。厚労省のある幹部は「健康局長はだいたい1年で交代するのが通例だったが、コロナ下という事情もあり続投も考えられた。しかし、正林氏が精神的に疲れていた事は事実で、これまでのコロナ対応に納得せず、その説明ぶりも要領を得なかったとして、首相官邸や与党から交代を求める声が多かったのが影響した」と事情を明かす。

 医政局長だった迫井正深氏(92年入省)の内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長への転出も意外な人事と言える。推進室長は新設から2代続けて旧厚生系の事務キャリアのポストだったが、有力候補の一人、濱谷浩樹・保険局長(85年入省)の昇格が首相官邸などで「ノー」を突き付けられたことが大きく影響した。その玉突きで、医系技官ながら医療提供体制を中心にコロナ対策Jに従事してきた迫井氏に白羽の矢が立った。幹部の一人は「コロナがこのまま収束すれば、来年の幹部人事で推進室長から医務技監に昇格するルートになるだろう」と推測する。

 注目の医系技官、大坪寛子・大臣官房審議官(08年入省)は子ども家庭・少子化対策・災害対策担当から、医政・医薬品等産業振興・精神保健医療・災害対策担当に振り替えられた。主担当は医政局だが、引き続き健康局にも席を置く。医療提供体制のみならず、ワクチン接種も差配する「医系技官の審議官としては筆頭ポスト」(中堅職員)に昇り詰めた。迫井氏と同期で花形ポストの医療課長を務めた森光敬子氏(92年入省)は環境省大臣官房審議官のままで、差が付いた格好となった。

 特に首相官邸から厚労省への不信感は根強いものがあり、福島靖正・医務技監(87年入省)の交代も検討段階では俎上に載ったと言う。菅政権で政権中枢にいたある幹部は「局長に指示しても課長が反対するから出来ない、と言う訳の分からない事態がよくあった」と不信感を顕わにする。人事事情に詳しい関係者は「首相官邸から医系技官への評価はすこぶる悪かったが、その筆頭が福島医務技監だった。交代も取り沙汰されたが、後任を務める力量があった迫井氏が推進室長に異動した為、そのまま続投になった」と説明する。

 結果的に医系技官人事は2年連続で激動なものとなった。コロナ対応は時の首相を交代させるだけでなく、厚労官僚の人生を大きく狂わせる結果ともなった。

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