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防衛副大臣の「炎上」で露呈した〝日米の弱点〟

防衛副大臣の「炎上」で露呈した〝日米の弱点〟

「共通の価値観」外交は対中国の方便か

「私達の心はイスラエルと共にあります」。パレスチナ情勢が悪化していた5月中旬、中山泰秀・防衛副大臣がツイッターにこう書き込んで「炎上」した。

 イスラエルとパレスチナの対立には歴史的な根深い経緯があることは言うまでもない。どちらかの正義を肯定すれば、もう一方の正義を否定する事になる。

 日本政府はイスラエルとパレスチナの「2国家共存」による平和的な解決を主張し、国際機関等を通じてパレスチナ自治区の民生・経済支援を継続的に行ってきた。中山氏の投稿は政府の公式見解とは明らかに異なる。

 今回の戦闘は、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエル側にロケット弾を打ち込み、イスラエル軍が反撃する形で激化した。中山氏は「イスラエルにはテロリストから自国を守る権利があります」とも書き込んだが、これもイスラエルがガザ地区を封鎖して住民を経済的困窮に追い込んできた経緯を無視し、ハマスを上回る戦力で多数の住民を殺傷する非対称の戦闘を正当化する暴言と言わざるを得ない。

 中山氏は第1次安倍晋三政権で外務政務官、第2次安倍政権で外務副大臣を歴任した外交・安全保障のスペシャリストだ。勉強不足の若手議員による失言の類とはわけが違う。野党等から批判を浴びた中山氏は「迷惑をかけた」との理由で投稿を削除したが、書き込んだ内容を撤回したわけではない。

「忖度政治」と「権威主義」の親和性

  加藤勝信・官房長官は記者会見で「個人のツイッターでの発信であり、その意図を承知していないのでコメントは差し控えたい」と述べるにとどめた。現職の防衛副大臣が国際紛争に関する政府見解を逸脱した主張を発信したのであれば、政府として否定しなければならないはずだ。

 中山氏の投稿前日、外務省は「最近のイスラエル・パレスチナ情勢について」と題した外務報道官談話を発表している。その中で「ガザ地区からのロケット弾発射」を明示して「暴力行為を強く非難」したものの、イスラエル軍によるガザ地区への空爆に触れなかったのはなぜか。イスラエル寄りの姿勢をとる米国に配慮する雰囲気が日本政府内にあり、米国ですら公言出来ない「本音」を同盟国から発信する意図が中山氏にはあったのかもしれない。仮にそうだったとしても、とんだ勇み足となってしまった。

 イスラエルは善、ハマスは悪と決め付け、イスラエル軍の空爆で犠牲となったパレスチナの人々に思いを致さない振る舞いは、いかにもトランプ前米大統領的だ。日本政府高官のそうした発信が、人権重視を掲げるバイデン米政権に対して何らの援護射撃にならないだけではない。パレスチナ情勢についてその程度の浅い見識しか持たない人物が「安倍系」右派として重用されてきた自民党の現実を露呈する形にもなった。

 日米は現在、基本的人権の尊重等共通の価値観を有する民主主義諸国と連携して中国に対抗する「新冷戦」の真っ最中だ。香港の民主化運動や新疆ウイグル自治区等の少数民族に対する中国の人権弾圧は批判するのに、パレスチナ自治区に対するイスラエルの人権弾圧は容認するというのではダブルスタンダード(二重基準)に他ならない。

 イスラエルとハマスの戦闘は11日間で停戦となったが、ガザ地区の犠牲者には多数の子どもが含まれていた事が明らかになっている。米国を中心とする民主主義陣営がパレスチナ問題から目を逸らすなら、新冷戦で中国に対抗する道義的基盤となっている「共通の価値観」なるものの正当性が揺らぎかねない。

 強者が弱者を抑圧する権威主義に対し、民主主義の正当性は、一人一人の人権が尊重され、多数派が少数派の意見にも耳を傾ける政策決定のプロセスによって担保される。権威主義国家の台頭を許せば、いずれは自分達も権威主義に抑圧される弱者の側に置かれるかもしれない。そう考える私達の想像力が民主主義陣営を支える基盤となる。その想像力を働かせられない反知性主義の広がりが民主主義体制を蝕む。

 イスラエルは民主主義体制ではあるが、強大な軍事力によってパレスチナ人を抑圧する権威主義国家でもある。ためらいもなく「イスラエルと共にある」と言い放った防衛副大臣の投稿は、首相官邸という権威への忖度がはびこる日本政治の「反知性化」を物語ってはいないか。

戦後国際秩序と共にある覚悟を

 第2次世界大戦後、米国を中心に構築されてきた自由と民主主義、基本的人権、市場経済、法の支配を共通の価値観とする国際秩序が揺らいでいる。ミャンマーの軍事クーデターしかり。「欧州最後の独裁者」と呼ばれるベラルーシのルカシェンコ大統領は領空を通過中の民間航空機を強制的に着陸させる「国家によるハイジャック」によって反政権派のジャーナリストを拘束した。

 ミャンマーの軍事政権は中国を、ベラルーシの独裁政権はロシアを後ろ盾に権威主義の刀剣を国民に振りかざしている。権威主義の挑戦から戦後国際秩序を守る戦いが新冷戦であり、単なる覇権争いを超えた正当性を民主主義陣営に与えている。

 パレスチナ情勢へのダブルスタンダードは米国の大きな弱点と言える。日本がそれに同調する事は、戦後国際秩序の中で日本が培ってきたアラブ諸国との信頼関係を壊す恐れを生じさせるだけではない。共通の価値観を掲げて民主主義陣営の前線に立つのは、米国という超大国におもねり、中国の圧力から守ってもらうための方便と言われかねない。

 複雑な国際情勢は価値観や理念といった綺麗事だけで語れるものではないと反論する事も出来よう。台頭する中国と対峙する日本に、他国の紛争に関わっている余裕はないと主張する向きもあるだろう。

 しかし、中国共産党政権による香港民主化や少数民族への弾圧を、その中国を後ろ盾としたミャンマーの軍事クーデターを、ロシアの支援を受けたベラルーシの独裁政権を、国際社会が見過ごすのであれば、権威主義の魔の手は次の獲物を探すだろう。実際、中国は台湾や尖閣諸島への野心を隠さない。

 明日は我が身と考える想像力が問われている。日本の安倍—菅政権は、中国の軍事的な台頭には米国の軍事力を頼みに対抗し、中国の経済的な台頭は自国経済の成長戦略に取り込もうとしてきた。中国に隣接する海洋小国としては地政学の観点から当然の処世術ではあったろう。

 だが、もはや限界だ。民主主義対権威主義という新冷戦の構図が明確になった今、軍事と経済を分けて中国と付き合う未来予想図は容易に描けない。中国を頂点とする権威主義に東アジアや東南アジアがのみ込まれても良いと考えるのなら話は別だが、そうならないための防波堤が安倍—菅政権の打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」構想だ。

 戦争は何としても避けなければならない。だとすれば、中国に戦後国際秩序への挑戦を諦めさせ、個人の自由と人権を尊重する側に中国を取り込む努力を粘り強く続けるしかないのではないか。そのためには迂遠に思われようとも、権威主義国家による自由や人権への弾圧一つ一つに糾弾の声を上げていく他ない。そうした覚悟と対極にある防衛副大臣の投稿と、それをとがめない政権の姿勢、その背後に潜む内向きの世論動向が気がかりだ。

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