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未来の会

第70回 医師が患者になって見えた事 がん克服に道を探りつつ人生を謳歌する

第70回 医師が患者になって見えた事 がん克服に道を探りつつ人生を謳歌する

医療法人社団ラナンキュラス会
麗ビューティー皮フ科クリニック(滋賀県草津市)
院長
居原田 麗/㊦

居原田 麗(いはらだ・れい)1981年滋賀県生まれ。2006年滋賀医科大学医学部卒業。医仁会武田総合病院で研修後、恵聖会クリニック勤務を経て、11年麗ビューティー皮フ科クリニック開院。

早期ではあっても、進行が早く予後が悪いタイプの子宮頸がん。小細胞がんに罹患。がんを克服・共存する方法を探りつつ、4人の子育てを楽しみ、人生を謳歌している。

がんの確定診断から2週間余り、2020年3月、居原田は母校・滋賀医科大学の産婦人科で5時間に及ぶ手術を受けた。子宮だけでなく、卵管や卵巣なども含む広範囲で切除し、骨盤内のリンパ節に加えて、腹部動脈周辺の傍大動脈リンパ節も切除した。傷跡はみぞおちにまで達し、麻酔が切れると猛烈な痛みに襲われた。しかし、がんは取り切れたと知らされて、居原田は大きく安堵した。退院から2週間目の外来で、傍大動脈リンパ節には遠隔転移がなかったことも知らされた。

治療はまだ続く。術後の回復を待ち、補助化学療法が始まる。イリノテカンとシスプラチンの併用療法で、脱毛や嘔気などの副作用を思い気が滅入ったが、根治を願って気を奮い立たせた。

外来化学療法中は、コロナ禍の拡大で学校が休校となり、小学生の長男と次男、5歳の三男、そしてまだ2歳の娘、4人の子どもたちと自宅で過ごす時間をたっぷり取ることができた。日々診療に追われていれば得られなかった至福の時間は6カ月続き、「神様が与えてくれた休暇」となった。

手術に伴う排尿障害で、尿は腹圧で押し出さなければならなくなったが、それも苦にならなかった。何とかがんに打ち勝とうと、機能性医学の専門家の指導に基づき、厳格に糖質などを制限するケトン食を1カ月ほど続けてみたが、体が音を上げた。主食やたんぱく質を取らないと力が入らず、体重も健康だった時から10kg以上減ってしまった。結局、主食は玄米にして、良質な油や砂糖代わりのステビアを摂取するという緩やかな食事療法に切り替え、今も継続している。さらに、自院での高濃度ビタミンC点滴や、ハイパーサーミア(温熱療法)、ニンジンジュースや青汁など、いわゆる、がんに効くとされる代替療法を実践。丸山ワクチンの投与も始めた。

半年して、抗がん剤は分子標的薬のアバスチンに切り替わった。徐々に仕事に復帰し、手術から1年が経った。こうした年月を、さらに1年、1年……と積み重ねていけば良いのだ。

肝臓に転移して2度目の手術

しかし、21年8月のPET-CT検査で、肝臓と周囲のリンパ節に遠隔転移が見つかり、血液中の腫瘍マーカーも上昇していた。抗がん剤はできるだけ避けたいが、外科手術の適応があるという。手術まで待機期間があったが、研修医時代の友人が勤める愛知県の病院で11月に手術してもらえることになり、主治医も快く送り出してくれた。

入院中、気の置けない研修医仲間が毎日病室を見舞ってくれ、何でも気兼ねなく話せた。心が軽快し、安心して身を委ねた。「医師であることは、闘病には大きなプラス。医師のネットワークは心強いし、論文もある程度読みこなせる」。肝臓の一部と周囲のリンパ節19個を切除したうち、実に11個に転移が認められた。予期通り、足の速いがんで、闘いはこの先も続きそうだ。まだ手術の痛みが残るうちから、次の抗がん剤治療を考え、憂鬱だった。しかし、患者やスタッフ、そして家族のため、ひるんではならなかった。

発病当初から、SNSで包み隠さず闘病経験や時々の思いを発信しており、自身の患者を含めて、誰かの参考になれば良いと思っていた。ブログへのアクセス数も大きく増え、見ず知らずの人からの応援や、闘病中の人から「元気をもらえた」と感謝の言葉が届くようになった。居原田は丁寧にメッセージに目を通し、それを自らの励みとし、病気や闘病中の美容法については、医師ならではの助言もした。

美容整形のような一見すると派手な世界で働いていると、かつてはバッシングのような心ない書き込みもあったが、そうしたことはなくなった。「病を公にして、心が穏やかになった。内緒で闘病すれば、『しんどい』とも言えず、本当につらかっただろう」。頭髪が抜けてウィッグであると明かせば、今日はショート、明日はロングと使い分けることもできた。病んだ顔を見ると、まず自分の気が滅入るので、頬にヒアルロン酸を注入したり、アートメイクを施したりして、病人らしく見えないよう、おしゃれを楽しんでいる。抗がん剤治療を受けながら、12月から主治医との相談の下、適応のない免疫チェックポイント阻害薬を個人輸入して使い始めていた。

当たり前の日常に感謝し

がんは、なかなか去ってくれなかった。22年3月に受けた定期PET-CTでは、多発リンパ節転移(再発)に腹膜播種があることが判明した。落胆する結果だが、それでも、最初に小細胞がんと診断された時に比べれば、落ち込みは緩やかだった。今回は、パクリタキセルとカルボプラチンを併用する。免疫チェックポイント阻害薬の効果もあるのか、一時的に腫瘍マーカーの値が半減することもあったが、治療は続いていた。

パクリタキセルの副作用は、これまでの薬とは異なっていた。末梢神経障害として手足が痺れる恐れがあるので、居原田は、得意とする細かな手技や施術に影響しないか心配していた。しかし、予防措置として、抗がん材治療中に手足を冷却し圧迫することで、仕事に支障が出るような痺れは生じなかった。

頑張った甲斐があって、7月には夢に見た「寛解」と診断された。しかし長続きせず、がんとの闘いは今も続いている。免疫力でがんを抑え込みたいと、先進医療を含めて新たな治療方法を模索しつつ、9月から抗がん剤の治療を再開した。前向きな姿勢は揺らぐことがない。「病気になって成長できたし、まだ成長できると思う」。

医師として、クリニック経営者として走り続けてきたころには、見えなかった光景も見えるようになった。朝起きてから寝るまで、家族、スタッフ、友人、患者、SNSの読者たちからも大きな愛を受けていると実感する。日々感謝と幸せを感じ、以前に増して涙もろくなった。「ママを大事にしてね」と、子どもたちにも甘えられる。長男は母と同じ滋賀医大に入りたいと、4月から全寮制の中学で学んでいる。居原田は体調の良い時には、学会で発表し、最新の美容医療の技術へのキャッチアップも怠ることがない。子宮頸がんワクチンの啓発など、がん経験者ならではのメッセージにも力を入れたいと考えている。8月には社員旅行で沖縄に行き、ウィッグでダイビングに興じた。何にでも全力投球の姿勢は変わらない。

死はいつも隣にある。それを恐れる気持ちは余りないが、周りを残していくことには強い未練がある。「少しずつ死を感じながら近づいていくのであれば、むしろ幸せ。がんが消えなくても共存して、子どもたちの成長を見届けたい」。 (敬称略)

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