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未来の会

「ワクチン後進国」転落の裏側

「ワクチン後進国」転落の裏側
開発開始から1年半、遠い「国産」

日本はいつから「ワクチン後進国」になったのだろうか。新型コロナウイルスによる未曽有のパンデミック。欧米や中国、ロシアが官民主導で早期にワクチンを実用化した一方で、日本の開発は遅々として進まない。既に自国開発のワクチン接種が始まった台湾やキューバ、インドにも遅れを取る。舞台裏を探ると、感染症に対する危機意識の低下と、硬直した日本の薬事行政が壁となっている事実が浮かび上がってきた。

 米ファイザーと独ビオンテックや米モデルナの「メッセンジャーRNAワクチン」、英アストラゼネカと英オックスフォード大学の「ウイルスベクターワクチン」。いずれも、今回のコロナ禍において、異例のスピードで開発が進んだ。開発の早さは中国やロシアも同様で、政府と製薬会社・研究機関がタッグを組み、開発資金から臨床試験の設計迄、特例対応で早期に使用許可を出す等、柔軟に対応した結果が奏功した。

 一般的なワクチン開発は、基礎研究から動物実験、臨床試験迄を含めると実用化迄5年〜10年近く掛かる。ワクチンの有効性の検証だけで無く、発熱や頭痛、接種部位の痛み等、どのような副反応が出るのかを入念にチェックし、出来るだけ副反応が出ない程度の量で調整する。しかし今回のコロナ禍で各国の規制当局は、ワクチンを打つ事によって得られる感染防御効果と重症化予防効果を優先して、「緊急使用」の許可を出している。

 既にファイザーやモデルナは、全世界で感染が広がる新型コロナの遺伝子が変異した「デルタ株」、南アフリカで発見された「オミクロン株」に対する新たなワクチン開発を発表した。米国政府はワクチンの追加接種を勧奨するだけで無く、企業の新たなワクチン開発についても、米食品医薬品局(FDA)を中心に積極的にサポートし、早期の実用化を目指す構えだ。

 日本では現在、3種類のワクチンが承認されている。全て海外製で、国産ワクチンは開発途上だ。主な開発企業には、製薬大手の塩野義製薬と第一三共、熊本のワクチンメーカーであるKMバイオロジクス、ベンチャー企業のアンジェス、VLPセラピューティクス・ジャパンの5社が有り、臨床試験段階に入ってはいるものの、いずれも実用化は2022年以降としている。国産ワクチンが誕生する頃には新たな変異ウイルスが登場し、「使えないワクチン」となる危険性も有る。

副反応訴訟というトラウマ

 何故、日本はこんなに開発が遅いのか。国内の機関投資家は「日本企業にワクチン開発のノウハウが無いから」と指摘する。世界のワクチン開発は、大学やバイオスタートアップと提携し、多額の資金を投じて実用化する事で主導してきた。競合する会社も多く、コスト面や付加価値を付ける事で市場競争力を増す為、最新のノウハウを常に取り入れてきた。しかし、日本の製薬会社の多くは採算が取れない事から新規開発に及び腰だったと言う。

 但しその実態は少し異なる。そもそも政府は自国でのワクチン開発に消極的で、新技術の導入やスタートアップ等の新規参入を認めてこなかった。新規ワクチンはあくまで海外頼みで、しかも欧米等と比べ数年〜10年以上遅れて導入する。国内で開発されたワクチンは全て外国の後追いだ。先ずは海外で十分に普及が進んだ後、安全が確認される迄、国内導入を遅らせる考え方で、先進国と日本とを比べ「ワクチン・ギャップ」と皮肉られる事も有る。

 この姿勢には、過去に副反応問題で訴訟が相次いだトラウマが関係している。1970〜80年代に掛けて、ワクチンの副反応を巡った集団訴訟が全国各地で起き、更に92年の東京高等裁判所の判決が日本のワクチン行政のあり方を決定付けた。東京高裁は、予防接種による事故の発生を防止する為に必要な措置を怠ったとし、ワクチンを勧奨してきた国と旧厚生省の過失責任を認めた。

 更にワクチンと副反応については、「科学的な確固たる証拠が無くても時間的に高度の蓋然性が有れば因果関係有り」との考え方が示された事が、薬事行政にブレーキを掛けた。つまりワクチンを打った後に、何らかの症状が出た場合は、「科学的な証拠が無くても全て有害事象や副反応と認定すべき」という世界でも異例の判断で、これを受け、日本のワクチン開発は停滞期に入る事になった。

 とは言え、90年迄は日本のワクチン技術は世界的に高い水準だった。水痘・日本脳炎・百日咳等の予防ワクチンを、米国や中国に技術供与するレベルにあった。しかし今は、新しい種類のワクチン、新規技術の開発や導入を殆ど推奨しない。インフルエンザワクチンには、未だに「鶏卵培養」と呼ばれる手法が使われている。胚が成長中の孵化鶏卵にウイルスを接種し、回収・不活化する方法で、ワクチンの大量供給が可能だ。

 ところが2020年1月、新型コロナウイルスは鶏卵培養でのワクチン開発は難しい事が判明した。孵化鶏卵を使ったウイルスの産生が上手く行かない事、製造に半年〜1年という期間が必要でスムーズな供給が出来ない事などが理由だ。そもそも鶏卵でウイルスを培養すると、卵の中でウイルスの抗原(成分)が変化する為、その時点でワクチンの有効性が下がるというデータも報告されている。米国や欧州では動物細胞を使ってウイルスを培養する「細胞培養」のワクチンが「Flucelvax」「Flublok」の名称で販売されているが、日本では「鶏卵の方が使い慣れていて、敢えて新技術に変える必要が無い」(元厚生労働省職員)として、鶏卵培養を変えようともしない。国内の感染症専門医は、「既存のプロセスを変えない。それが日本の最大の問題点だ」と打ち明ける。

開発企業に対する「はしご外し」

今回のコロナ禍でも、ワクチン行政の低迷と迷走は目立つ。20年春、内閣府が中心になり、国内の製薬企業に「臨床試験の人数は少なくても大丈夫なので、是非ともワクチンを開発してほしい」と呼び掛けた。海外と比べ感染者数が少ない状況で開発をためらう企業が多い中、ワクチンの評価に関しては柔軟に対応し、スピード感を持って進めるとの誘い文句だった。

 しかし蓋を開けると、その硬直的な姿勢は変わらなかった。20年9月に厚労省所管の医薬品医療機器総合機構(PMDA)が出した新型コロナワクチンの評価指針には、「適切に評価できる被験者数」との記載。事実上、「数万人規模」の治験が必要だとする考え方を示したからだ。米国や欧州では非常時という事で、研究開発はもちろん安全性や有効性の評価、治験の設計迄、薬事審査等現状の医薬品開発の体制を柔軟に変更し、開発企業を積極的に後押しした。一方日本はと言えば、「改めて日本独自の治験が必要」「規模は数万人」等、平時と同じ医薬品の審査体制を変えようとしなかった。

 こうした状況に対して専門家や企業からの批判が続いた事で、今年9月、ワクチン承認申請の基準を緩和する考え方を示した。当初は数万人規模で、偽薬群と実薬群を比較して発症予防効果を見るとしていたが、ワクチン接種後の中和抗体のデータでも申請を認めると言う。国内企業がワクチン開発を始めてから1年半以上も掛かって、ようやく門戸を開く格好を見せた。

 但し、規制や部局の分断は残ったままだ。米国ではバイオテロやパンデミック等、公衆衛生問題の有事に関しては「プロジェクト・バイオシールド法」の下、各省庁横断で対応した。米国保健福祉省(HHS)が中核となり、米国疾病予防管理センター(CDC)やFDAを統括した事が、スムーズな治験と早期の実用化に繋がった。

 日本では治験を始めるに当たっての届け出と治験の設計、審査についてはPMDAが担当するが、承認は厚労省が担う。更に製造のチェックは、国立感染症研究所が国家検定を出す等、対応する所管がバラバラだ。政府と企業が協力しても、結局はこの垣根を越える事は出来ず、ワクチン承認申請の基準を緩和した所で、公衆衛生の危機に対して迅速な対応が取れていない現状は変わっていない。

 米国や英国等多くの先進国では、公衆衛生上の危機に対して「緊急使用許可」という仕組みを用意していた。正式な承認では無い為、パンデミック等が収束した場合や、有効性や安全性に懸念が生じた場合、直ぐに許可を取り消す事が出来る。

 日本にはこの様な仕組みは無い。海外で治験有効性が証明された医薬品に限り、厚生労働大臣の権限で早期承認する「特例承認」という仕組みは有るが、正式承認と同じ扱いになる為、仮に副作用の問題が生じた場合でも承認の取り消しは1〜2年近く掛かる。

 又、海外製には特例のお墨付きで早期承認を促す一方、国内企業製のワクチンは特例承認の対象外で、「数万人規模の治験」「最低1年以上の観察期間」という平時の対応を求める矛盾が生じた。

 新規ワクチンの開発、支援、買い取り、備蓄、廃棄は、全て国の責任で進める必要が有る。しかし、日本においては過去の副反応訴訟というトラウマから、開発は企業任せ、接種は国民任せで、政府の介入を最小限に留めている。

中長期戦略、なお見えず

今回のコロナ禍でワクチン担当大臣を急ぎ設置した格好だが、10年、20年先を見越して、感染症対策の展望を決める司令塔はいないままだ。ワクチン開発については07年に国の支援や薬事制度の改定を進めるという「ワクチン産業ビジョン」を策定したものの、制度の改定や企業への支援等、結局は何も変わらなかった。

 日本のワクチン政策が副反応訴訟の為30年近くに渡って停滞してきた中、世界的に見れば、デング熱や西ナイル熱の継続的な流行、そして02年にはSARS、12年にはMERS、13年にはエボラ出血熱等、致死率の高いウイルスの感染拡大が相次ぎ、その度に新技術のワクチンが開発されていた。今回の新型コロナで脚光を浴びたメッセンジャーRNAをワクチンに応用する取り組みも、2000年代から既に始まっていた。

 感染症の危機を見据え、常に備えてきた欧米や中国、ロシアに比べ、「ワクチン後進国」の実態が浮かび上がった日本。感染症に関わる研究開発要件の緩和、使用許可等承認制度の策定、国際戦略としてワクチン開発企業を継続的に支援していく枠組み等、今回のパンデミックを機に見直す課題は山積みだ。

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