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20代から70代の「起業家医師」の歩み

20代から70代の「起業家医師」の歩み
起業の動機、事業内容、意義について議論

医師と起業家(アントレプレナー)の二つの顔を持つ「アントレドクター」が増えている中、東京・渋谷で昨年12月に開かれた医療・ヘルスケア分野のイベント「Health2.0 Asia-Japan 2018」(主催:メドピア株式会社)で、「起業家医師の10年」と題したパネルディスカッションが開かれた。パネリストには20代から70代までのアントレドクター6人が登場、活発な議論が行われた。各パネリストの略歴は以下の通りだ。

■岡庭豊・株式会社メディックメディア代表取締役社長(71歳)/昭和大学医学部卒。1979年同社設立。80年代終わりまで医師(麻酔科医)と出版業を両立。医師国家試験向けの参考書『イヤーノート』がベストセラーになり、同社を医学系出版社の大手に育てる。

■城野親德・株式会社ドクターシーラボ取締役会長(56歳)/慶應義塾大学医学部卒。皮膚科のレーザー治療の草分け「シロノクリニック」を1995年に開設。ドクターズコスメを開発・提供する「ドクターシーラボ」を99年に設立した。2003年にジャスダック、05年に東証1部に上場。米J&Jが18年、TOB(株式公開買い付け)で買収し、注目された。

■池野文昭・MedVenture Partners株式会社取締役チーフメディカルオフィサー(51歳)/自治医科大学卒。2001年に米スタンフォード大で医療機器を開発する研究所に。2013年に医療機器に特化したベンチャーキャピタル、MedVenture Partnersを設立。この他、日米の医療のプロを繋ぐNPOや医療シンクタンクを設立、また東大などと起業家育成講座を開設。

■石見陽・メドピア株式会社代表取締役CEO(最高経営責任者)(45歳)/信州大学医学部卒。2004年にメディカル・オブリージュ(現・メドピア)設立。07年に医師専用コミュニティサイト「Next Doctors(現・MedPeer)」開設、現在、日本の医師の3人に1人が参加する。14年に東証マザーズに上場。現在も週1回医療現場に立つ。

■沖山翔・アイリス株式会社代表取締役CEO(33歳)/東京大学医学部卒。日本赤十字社医療センター救急医、オンライン医療事典「MEDLEY」などのサービスを提供する株式会社メドレー執行役員を経て、2017年にAI(人工知能)医療機器開発を行う株式会社アイリスを設立。現在、AIによるインフルエンザ診断支援を目指す。救急科専門医。

■田澤雄基・慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室助教(29歳)/慶應大医学部卒。医学部生時代の2012年に医療IT系企業を起業、売却。慶應大医学部主催の「健康医療ベンチャー大賞」を17年に設立、実行委員長。夜間診療専門の「MIZENクリニック豊洲」を16年に開業、院長を務める。

起業年齢は平均30代前半

 司会は池野氏が務め、まず起業した当時の年齢を各パネリストに聞いた。一番若い創業年齢は田澤氏の22歳。岡庭氏、城野氏、石見氏、沖山氏は30代前半。最年長は池野氏の46歳と遅めだったが、池野氏は「ベンチャーキャピタリストは人脈と経験、目利きであることが勝負を決める。後は信用が大事。20代、30代ではなかなか信用してもらえない。創業年齢には職種上の違いがある」と説明した。

 次に起業した理由だ。田澤氏は「医学部1〜2年生の時、僻地医療を見る中で世代ごとの健康医療の違いについて疑問を持った。医学部教育ではなく、サイエンスとして取り組まないと答えが出ないと考えた。効率的にデータを集め真理を探求するにはICTは相性が良いと思い、医療系IT企業を起こした」と話した。

 沖山氏は「救急現場にいて感じたのは、救急医は一通りの疾患は診断できるが、特定の病気のスペシャリティが育ちにくいこと。AIを活用して各領域で精度の高い医療機器を作って救急医などに役立てればいいなと思い起業した」と言う。

 石見氏は「医師は怪我でもしたら翌月から給料はなくなる。経済的に安定しているわけではない。そこで、金銭的な心配をしないで臨床医になれればと思い、最初はサイドビジネスとして始めた。当時は医療事故が相次ぐ一方、SNSが登場した時代。起業後、医療不信をどうにかできないかと考え、医師同士が情報交換するネットコミュニティを作ることを考えた」と説明した。

 ここで池野氏は自らの経験を踏まえ、医師が起業する意味を述べた。「私の場合、スタンフォード大と起業した会社の両方に籍を置いていることで、どっちかが転んでもどっちかができる。それは我々医師の特権。その分、新しい産業を作っていこうという時、我々医師が“ファースト・ペンギン”(「群れの中で最初に海に飛び込むペンギン」から転じて起業家の尊称)となるのが社会から与えられた責務」と話した。

 城野氏は「学生時代からいろいろな国を見てきた中で、当時日本ではやっていなかったレーザー治療の皮膚科クリニックや、化粧品やサプリメントのグローバルビジネスのベンチャーを立ち上げたいと思った。また、医局時代は憧れるような医師の先輩達がいなかったし、経営者の先輩達とお付き合いしていて、起業に興味を持った」と振り返る。城野氏が起業したドクターシーラボは設立から6年で東証1部に上場。教授会で「慶應医学部100年の歴史の中で上場したのは君が初めて」と言われたという。

医師以外の能力ある仲間を巻き込む

 また、城野氏は「成功するには医師以外に経営手腕があったりビジネスプランを考えられたりする仲間を持つことが必要。自分一人でプロダクトを作って考えていたら、5年と続かず終わっていたと思う。周囲を巻き込む力が事業化には求められる」と成功のポイントを話した。

 岡庭氏は「私が作ったノートを私の大学や都内の学生からコピーさせてほしいということから始まって、学生運動が盛んな中、『全国医学生交流会』を立ち上げ、国試対策本を発行した。一方、医学部のスピードスケート大会で優勝し、インカレ出場と上り詰めた経験から卒業後は親を継いで小児科医になり、オリンピック選手を育てることを考えていた。その頃、ある研修医から内科・外科版を作ろうともちかけられ『イヤーノート』へ発展した。さらに『専門的な医学知識を分かりやすく、より多くの人に提供する』というビジョンを掲げ、今の成長に繋がっていった」と言う。

 最後に池野氏は「医師とは別の生き方をするのは決して悪くはない。目の前の患者さんではないかもしれないが、最終的に世界中の困っている人達を救うことになるかもしれないので、誇りを持っていくことが重要」と締め括った。

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