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未来の会

第153回 患者のキモチ医師のココロ 「かみ合わせの異常」を訴える患者

第153回 患者のキモチ医師のココロ 「かみ合わせの異常」を訴える患者

 私事になるが、今月から北海道のむかわ町国民健康保険穂別診療所で仕事をしている。人口2000人ほどの地区の医療をカバーする診療所だが、内科、小児科、皮膚科や耳鼻科だけではなく、メンタルの問題が背景にある患者さんも来院するので、自分としてはそれほどこれまでとのギャップは感じていない。たとえ身体的な疾患や症状で治療を受けている人でも、「こころの問題」がまったくない、というケースはない。精神科医としての経験は無駄ではなかった、と感じている。

 そういった話も交えつつ、これから何回かは「身体疾患とメンタル疾患のはざまに位置する問題」について考えてみたい。第1回目は、「かみ合わせの異常」を訴えて歯科、口腔外科、あるいはメンタル科にやって来る人たちの話にしたい。

 メンタル科の外来には、ときどき歯科や口腔外科から紹介されて患者さんがやって来る。歯の痛みや口腔内の乾燥あるいはねばつきを訴える人もいるが、いちばん多くを占めるのは「かみ合わせがおかしい」という悩みだ。「あれこれかみ合わせを試しているうちに、どれが自分の本来のかみ合わせだったかわからなくなってしまった」と言う人もいる。

 さらに、この人たちのほとんどはメンタル科を紹介されたことに不満を抱いている。「かみ合わせがおかしいのですから、原因は歯か顎にあるはずです。私は心や精神はおかしくないのです」そう話す人に「そうですよね。でもストレスや不眠など、思わぬ原因がかみ合わせにも影響をもたらしていることがありますから、いっしょに考えましょう」と伝えて治療に導入するのは容易ではない。

まずは各科の検査を行い、信頼関係を築く

 ここでまず理解してもらいたいのは、その人の不調がたとえ心因性のものであることが濃厚であっても、内科や婦人科、あるいは耳鼻科や口腔外科、歯科など身体を専門とする科を受診した人に、ハナから「それはメンタルから来てるんですよ」などと言うのは避けてほしい、ということだ。もちろん、メンタル科がほかの科より下だとか特殊だとか言うつもりはない。ただ、最初の段階でそう言われてしまうと、患者は「ここでは相手にしてもらえなかった」「精神に問題があると思われてしまった」と症状とはまた別に傷つくことになる。それが「かみ合わせ」などの症状に悪影響を及ぼすことは言うまでもない。

 だからもし「メンタルだな」と思っても、少なくとも初診では、それぞれの科としての診察やひと通りの検査を十分に行い、きちんと評価してほしいと思う。もちろん、被曝などリスクのある画像検査もどんどんしてほしいと言うつもりはないが、はじめの段階で「丁寧に診てもらった」と医療への信頼感を持つことが、たとえメンタル科を紹介することになったとしても、その後の治療を格段にやりやすくするのである。

 さて、ここで今回の本来のテーマである「かみ合わせがおかしい」という訴えに戻ろう。歯科や口腔外科的に異常が認められず、一般的な咬合調整を行っても改善が認められないような咬合異常感は、「Phantom Bite Syndrome(PBS)」と呼ばれる。まさに咬合の異常は Phantom(幻影)でしかないのだ。

 実は最近、歯科学の分野ではこうした「気の持ちよう」というような考えが変わりつつあるという。東京医科歯科大学で歯科心身医学を専門とする豊福明教授の論文から紹介しよう。

 「咬合に関する自己認識(表象)は脳内で作られ、生涯にわたり歯の接触による影響を受けるが、歯科治療や咬耗などによる変化の度に、中枢神経系に新たな情報が送られ、表象が更新される。PBS患者の場合、この表象がわずかな変化にも適応することが難しく、適切な咬合を認識できなくなるのではないか」(『種々の身体的不調を「咬み合わせが原因である」と訴えて来院した患者の対応について』、日本歯科医師会雑誌、Vol.74、No.11、2022年2月)

 つまり、咬合異常は口腔内の問題ではなくて、脳の中にでき上がってしまった間違った咬み合わせの認識によるものではないか、というのだ。

 だとするならば、歯科や口腔外科などで評価をすることは大切だが、その後の歯科処置はさらに脳内の認識を混乱に追い込むだけ、ということがわかるだろう。かといって、「ストレスが原因だからメンタル科でクスリでももらって」とすぐに紹介状を書くのが必ずしも正しいとはいえない。

 この場合、何より大切なのは、「脳が自動的に調整していたかみ合わせがわからなくなり、混乱している可能性がある」という理屈を患者に理解してもらうことだろう。「患者教育」「心理教育」とも呼ばれるが、要は症状のメカニズムが最近はこのように説明されている、ということをわかりやすく説明し、知ってもらうことだ。「そういうわけだから、脳が少しリラックスしてもともとのかみ合わせを思い出せるよう、あとはメンタル科でそのコツを教えてもらって」とでも言って紹介してもらえれば、こちらとしても認知行動療法を行ったり場合によっては抗うつ剤を使用してみたり、スムーズに治療に導入できる。

目の前の患者にとっての、「最善」の対処を考える

 先に紹介した豊福教授の論文にもそのようなことが書かれているのだが、ただ例外もあると率直に述べられている。「『どうしても咬合を調整してほしい。歯を削ってほしい』などと切実に要求する患者に対して、『そんなエビデンスはない』と拒否しきれないこともある」というのである。患者によっては、ネットなどで見つけてきた「こういう歯科治療で咬み合わせが改善した」といった一例報告にすがりつき、「ぜひこれと同じことをやってほしい」と繰り返し要求するケースもあるからだ。再び論文から2カ所を引用させてもらおう。

 「臨床というのは、いつも強固なエビデンスに基づいて実施できるとは限らず、むしろ不確実な状況下で判断する難しさと責任を負わされることが多いものである。絶対の保証がない判断や処置を引き受けざるを得ない時は、患者にもそのリスクを分担してもらうしかない」

 「過度なエビデンス主義は思考停止につながり、歯科臨床を萎縮させ、治療学の発展を阻害し、救える患者を切り捨てることになる」

 新しい知見を学び、患者に「あなたの症状はこういう仕組みで起きているのです」と説明して理解を促す。それができていれば、「だからメンタル科の方が適切と思いますよ」という助言も、多くの患者はすんなり受け入れるだろう。ただ、それでも「先生、この人のブログ、見てください。こういう治療があるらしいんです。私にもぜひこれを」と言う人に対して、「そんなのエビデンスとはいえない」と切り捨ててよいのか。リスクや成功の可能性は保証できないことを説明した上で、「では、一度だけやってみますか」と踏み切らなければならないこともあるかもしれない。「それがその患者のための最善なのか」という視点こそ、医師や歯科医師の治療選択の判断基準となる、と豊福教授は言う。

 これは「咬み合わせの異常」の問題に限ったことではないだろう。次回は今回の延長で、「器質的な異常のない耳鳴りの患者にどう対処するか」を考えてみたいと思う。

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