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第154回 患者のキモチ医師のココロ 「のどの違和感」を訴える患者の対応

第154回 患者のキモチ医師のココロ 「のどの違和感」を訴える患者の対応

 のどがおかしい。詰まった感じがする。違和感がある。今回と次回はそんな症状について考えてみたい。

 人間は生物学的な存在だ。それに異論を唱える人はいないだろう。医療の仕事の多くはその前提の上に行われる。さらに現在では人間の全ゲノム解析が終了し、多くの疾病が遺伝子により発症したり抑制されたりしていることも私たちは知っている。科学ジャーナリストのリチャード・ドーキンスがその著書『利己的な遺伝子』に「人間は遺伝子の乗り物にすぎない」と記して世界に衝撃を与えたのは1976年のことだが、いまそれを聞いても若い人たちは「まあ、そんなものじゃないの」と言うのではないだろうか。

 しかし、一方で人間は心理学的な存在でもある。いや「心理学」という言葉でも説明できないほど、感情的で非合理的な生きものだ。2001年1月26日、JR山手線の新大久保駅で、ホームに転落した男性を助けようと線路に飛び降りた韓国人の留学生と日本人カメラマンが電車にはねられ亡くなった。その後、留学生の両親は「日韓の架け橋になりたい」と日本語を学んで学生たちと交流したり見舞い金を元に奨学金を設立したりした。この留学生や両親の行動は、「遺伝子の自己保存」などでとても説明できるものではないだろう。

心理的葛藤が転換され現れる身体症状

 このように「生物学的でも心理学的でもある人間」が、患者として私たち医療従事者の前にやって来る。考えてみればこれはたいへんなことだ。たとえば、「胸が痛い」と訴える人がいたとしても、その胸痛の原因は狭心症かもしれないし失恋の痛手かもしれないのだ。「器質的疾患とはっきりしている場合だけ受診してください」とクリニックのホームページに書いておいても意味はない。逆にメンタル科のクリニックが「器質的疾患はないとはっきりしている場合だけどうぞ」とうたうのも同じだ。

 「のどがおかしい」という症状は、この複雑な人間の性質のまさに象徴なのではないかと思う。

 精神分析学の祖・フロイトの最初の本格的な症例報告である「症例ドーラ」は、呼吸困難や咳、さらには失声とさまざまな咽頭、喉頭の症状に悩まされていた女性だ(『あるヒステリー分析の断片—ドーラの症例』、ちくま学芸文庫) 。いまなら胸部CTを撮ったり、喉頭ファイバースコピーで喉の様子を観察したりするのではないか。もちろんPCR検査もするだろう。

 しかし、フロイトはそうすることはせず、ドーラにさまざまな質問を投げかけて話を聞き、さらにはドーラの夢の話までをも聴いてその解釈を行った。フロイトは言う。「口を閉ざす者は指先で語り、体中の毛穴からは秘密が漏れ出てくる」。つまり、心の奥底、無意識の世界に押し込めた心理的葛藤は、転換されて身体症状として現れ出てくるのである。

 フロイトは、こうやって葛藤が転換されて身体症状として顕在化することで、患者自身は実は「不安の軽減」というメリットを得ているとも述べ、それを「一次的疾病利得」と名づけた。もちろん、患者自身は最初からその利得目当てで身体症状を生んでいるのではなく、症状はあくまで、本人を破滅に追い込みかねないほどの葛藤を回避するための“緊急避難措置”なのだ。またそれはあくまで無意識の領域で起きていることなので、いきなり「あなたは葛藤を避けるために咳や失声といった身体症状を表出させているだけなんですよ。からだは何ともありません」などと言ったところで、なんの解決にもならないばかりか、患者は傷つき悲しむだけだろう。

 もうだいぶ前になるが、とある皇族女性が「お声を失った」ことがあった。宮内庁病院でくわしい検査を受け、喉などに急を要する疾患がないことはわかった。その皇族女性に対しては当時、マスコミが激しいバッシングを繰り広げていた。その中には、ここまでわかるわけないだろうと誰もが思うようなプライベートな会話を取り上げたものもあった。しかし、皇族という立場上、反論もできない。国民は「お声が失われたのはこういったバッシングをストレスに感じてのことだろう」と察知し、深い同情を寄せ「ゆっくり休んで」と願った。それまで批判的だったマスコミも、さすがに言いたい放題の姿勢をやめていった。おそらくフロイト的な精神分析を受けたわけではなかったはずだが、時間が経過したことと周囲の姿勢が受容的なものに変わったことにより、それほど時を経ずして「お声」は戻ってきた。これなどは、当事者を追い込むことも苦しめることもなく、「いつの間にか症状が消える」という形で改善していくという、ある意味、理想的な治療経過だったと言えるのではないだろうか。

症状を受容することの効用

 「あなたの無意識の葛藤は」などと切り込むのは容易ではない。とはいえ、器質的疾患ではなさそうなので、それ以上の検査や治療はむずかしい。

 そんなときはどうするか。咽頭や喉頭など「のど」の違和感、つまり感でよく処方されるのが、漢方の半夏厚朴湯だ。この漢方の説明には、「病院で検査をしてもとくに体に異常は見つからないのに、のどに何かつまった感じがする方」とはっきりターゲットになる症状が書かれているので、とても使いやすい。ただ、それにはちょっとしたコツがあると思う。「はい、じゃこれ飲んで」と処方するのではなく、きちんとこの薬がいまの症状にあったものであることを説明するのだ。

 私がよくやるのは、漢方薬の一覧表などで患者さんにその箇所を示して「ほら、ここ見てください。あなたにピッタリあてはまるでしょう。これその特効薬なんですよ」と言うことだ。それだけで「ホントだ!」と患者さんの顔が明るくなることがある。いわゆる「プラシーボ効果」を起こすという意味だけではなく、これだけでもその人にとっては、「そうか、私と同じ症状の人はほかにもいて、そのための薬も開発されているんだ」と自分が受容されたかのような精神療法的な効果が期待できるのだ。

 「あなたのような症状、けっこうあるんです。検査して何もなくても、症状はたしかにあるわけですしつらいですよね」といった言葉を添えるのもよいだろう。患者さんは、生活の中で「私は誰にもわかってもらえない」と苦しんでいることが多い。もし、「のどがおかしい」というのがその結果として起きているのだとしたら、せめてその症状の部分にだけでも光をあてて「わかってますよ。そして私だけじゃなくて漢方を作る人たちもわかっているから、こういう処方があるのです」と伝えてあげるだけで、「救われた」と思い、結果的にのどの症状も軽減するのではないだろうか。

 ただ、ここに至るまで、やはり「十分な器質的検査」というのも必要だ。咽頭、喉頭はさまざまな疾患の好発部位であり、すべての訴えに対して「ああ、あれか。じゃ半夏厚朴湯で」と安易な処方をすることで悪性疾患の見逃しなどが起きることもある。「のどの違和感を心理的な症状だと考えて対処していたら、背景に器質的疾患がひそんでいた」という恐ろしいケースについては、また次回、話してみることにしたい。

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