SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

「医師派遣機能」強化で地域医療再生 ~医師不足・偏在を解消するための具体策~

「医師派遣機能」強化で地域医療再生 ~医師不足・偏在を解消するための具体策~
三ッ林裕巳(みつばやし・ひろみ)1955年埼玉県生まれ。82年日本大学医学部卒業。日大医学部附属板橋病院、春日部市立病院、志木市立救急市民病院、日本歯科大学附属病院内科科長、同副院長などを経て、2011年日本歯科大生命歯学部内科学講座教授、日大医学部臨床教授。2012年衆議院総選挙で自民党から出馬、初当選。現在3期目。厚生労働大臣政務官などを歴任。現在、衆院厚生労働委員会委員、災害対策特別委員会理事。

約30年間にわたって医師として臨床現場に立ち、大学教授職にも就いていたが、衆議院議員だった兄の急死をきっかけに埼玉県第14区からの出馬を決意。現在3期目を務め、厚生労働大臣政務官や衆議院厚生労働委員会委員などを歴任。重点課題として地域医療の再生と災害対策を掲げ、医師偏在の問題解決に取り組む。医師の働き方改革や控除対象外消費税問題、終末期医療など医療界の課題と解決策について聞いた。

──医師になったきっかけは?

三ッ林 幼少時は屋外で遊び回っていたせいか、骨折や脱臼が多かったのです。肩の関節が外れることはしょっちゅうでした。町の整形外科や接骨院などで先生方の優しい対応に触れ、医療の仕事に憧れを抱いていったのです。実家は代々政治家でしたが、医師を志しました。

──元々、政治に関心はありましたか。

三ッ林 関心はありました。祖父は衆議院議員を1期、埼玉県幸手町長を6期務めました。父は現在の埼玉大学教育学部を卒業後、教員をしていましたが、関東や東北に大きな災害をもたらした1947年のカスリーン台風で、大きな被害を受けたことをきっかけに、治水の重要性を認識し、51年に政界入りしました。県議会議員を4期務めた後、衆議院議員を10期務めました。父は地元の方々から地域の課題について、膝をつき合わせて国への要望を聞いていました。選挙区のある埼玉東部ですと、河川の堤防の改修、治水のことなどです。そのような環境だったので、地域に政治が必要だという意識はずっとありました。

──政治家になる前は、内科医でしたね。

三ッ林 埼玉県立春日部高校卒業後、日本大学医学部に進学しました。卒業後は循環器内科の分野に進みました。第2内科という医局で、心臓、腎臓、神経、脳卒中など幅広くカバーし、いろいろ学べる大内科でした。外科は病名がほぼ分かってから治療するのに対し、内科は、外来患者がお腹を痛がっていればお腹を触り、胸を痛がっていれば胸に聴診器を当て、病名を見極めていくところにやりがいを感じました。外科は手術をすれば結果が出るのですが、内科でも心筋梗塞など一分一秒を争う病人を救う心臓病や脳卒中などの臨床において結果が目で見えて感じられると思いました。そうして、循環器の領域を極めようと思ったのです。

地域医療と災害対策が政治のテーマ

──その後、政治の道に進むことになります。

三ッ林 医師になってからも、距離を置きつつ注目していました。父の後に、兄も衆議院議員を3期務めました。4期目を目指したところ、民主党が政権を取った2009年の総選挙で落選し、捲土重来を期していました。ところが、翌10年に突然死したのです。朝起きた時に亡くなっているという状況でした。1週間前に兄とちょうど食事をしたばかりで、信じられませんでした。連絡を受けて駆け付けたところ、心筋梗塞だったとのことでした。三ッ林家としては兄の死を機に政治から引こうと考えたのですが、地元の人から頑張ってやってほしいと諭され、私は出馬を決意しました。医師を約30年間務めたことを自分の財産と考え、政治の中でも十分に役立つのではないかと考えたのです。ですが、政治家の家系だから、政治家になれたわけではありません。自民党埼玉県支部連合会で公募があり、47人が応募しました。私も応募し、論文選考などを経て、埼玉県第14選挙区支部の支部長に就き、自民党公認で2012年の総選挙に出馬し、初当選しました。

──主な政策テーマは何ですか。

三ッ林 現時点での政治家としてのテーマは地域医療と災害対策を中心に取り組んでいます。衆議院でも厚生労働委員会委員と災害対策特別委員会理事を務めています。災害対策については、選挙区が利根川、江戸川、中川という一級河川に囲まれ、低湿地帯で堤防が決壊すると大きな問題になることもあり、問題意識を強く持っていました。地域医療については、医師不足、医師偏在、診療科偏在と言われることに課題を感じています。埼玉県の久喜市と熊谷市でJA埼玉県厚生連(埼玉県厚生農業協同組合連合会)の病院が赤字経営から抜け出せず、民間に譲渡される出来事がありました。M&A(合併・買収)で大きな病院グループに入ったのです。厚生連病院として残ってほしいと思いました。問題の要因は医師が不足している点と聞きました。病院が診療報酬を得るためには、医師が診断を下し、治療する必要があります。ですが、そもそも病院を支える医師が足りなかったのです。医師の採用費用もかさんでしまったようでした。

地域医療を支える医師の確保策

──医師不足の背景をどう認識していますか。

三ッ林 多くの病院は以前、大学病院から派遣される医師で成り立っていました。現在は、大学病院には派遣できる医師が少なく、関連病院に医師を送ることが難しくなっています。厚生連は民間の人材紹介会社を利用しましたが、多くの医師を必要とする中、紹介料は大きな負担になっていたようです。大学病院が医師を派遣できないのは、2004年にスタートした新臨床研修制度がきっかけでした。従来、医師は医学部を卒業すると、多くの研修医は大学の医局に入りましたが、この制度によって都市部や人気の研修病院を選ぶ人が増え、一部の大学や地域では医師が不足する事態が生じたのです。現在、私の卒業した日本大学でも約100人が卒業し、戻ってくるのは3割程度と聞きます。この中から診療科に配属していくわけですから、少ない中で関連病院に派遣できる余裕はありません。問題の根幹は十分な医師派遣機能を大学病院に持たせられないことだと考えています。

続きを読むには購読が必要です。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top