
後に続く人たちが必ず現れるだろう
この連載の第1回で扱い、第44回でも取り上げた伊藤時男さん(74)を原告とする精神医療国家賠償請求訴訟が、原告敗訴で終わった。2025年7月10日、東京高等裁判所は原判決破棄を求める原告の控訴を棄却し、気力の限界を感じた伊藤さんは上告しなかった。
11年に原発事故が起こるまで、伊藤さんは福島の精神科病院に38年閉じ込められていた。父親の同意で強制入院(現在の医療保護入院)させられたの↖は1973年。当時は本人の同意に基づく任意入院制度すらなく、強制入院だったと考えるのが自然だが、東京地裁は請求を棄却した一審判決で、強制入院の証拠がなく前提を欠いている、として法制度に踏み込まなかった。
伊藤さんの強制入院は途中から任意入院に切り替わったようだが、本人はそのことを知らなかった。それなのに一審判決は、伊藤さんが望んで入院を続けていたかのように書いている。これは裁判官による社会的入院患者への著しい侮辱と思えてならない。
さらに東京地裁は、本人の治療のために強制入院を行うことは「公知の事実」であり、医療政策の問題ではないと切り捨てた。超長期に及ぶ社会的入院を生み出した医療政策を問うているのに、論点がかみ合わない。あまりにも杜撰な判決である。
今回の二審判決について、伊藤さんを支えてきた精神医療国家賠償請求訴訟研究会は、見解を次のように示している。
「二審判決は、医療保護入院の目的や規定、立法府・行政府の不作為責任にも言及して40頁にわたって記しており、準備書面や証拠書類を一応精査したことが窺える記述になっている。しかしながら、結↖論は一審の原判決を容認する不当なものである。問題の所在を認識しておきながら、国の不作為責任を認定しなかった不当判決に私たちは強く抗議する」

「とりわけ、医療保護入院について人身の自由の制約であることを認めながら、『憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない』とした点や、厚生大臣等が『その職務上尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と精神科特例を存続させた(不作為)と認めることもできない』とした点、精神医療政策についても、厚生大臣等が『漫然と控訴人の主張する各作為義務を果たさなかったと認められるような事情があるとはいえない』等と否定した点などは、論理整合性を欠くものである」
伊藤さんは4年10カ月に及んだ裁判を一度も欠席せず、コロナ禍の最中も群馬県太田市の自宅から東京に通い続けた。この間、数多くの取材に応じ、私も何度もインタビュー↖取材をさせてもらった。
病院をやっと出られたのだから、静かな余生を過ごしたかった。しかし、追い込まれて自殺した入院患者のことや、今も出られないでいる患者たちのことを思い、立ち上がった。
会見でマイクを握ると手が激しく震えるのは緊張のためではない。長年の服薬の影響だ。「手が震えてしまうのが恥ずかしくて仕方ない」。伊藤さんは私にそう明かしながらも、人々の前に立ち続けた。
これは意味のない敗北ではない。いずれ勝つための第一歩である。伊藤さんに勇気づけられ、後に続く人たちが必ず現れる。
ジャーナリスト:佐藤 光展
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