
ダニーデン出生コホート研究の意義
「出生から45歳までに86%の人が精神疾患を経験する」

この調査結果を初めて知った時、筆者は「ああ、またやりやがったな」と苦々しい思いに駆られた。「病気」の定義をどんどん広げて「患者」を増やし、薬物を売る。「どれだけ儲けたら気が済むのか!」と、調査の黒幕に猛抗議したい気分だった。だが、筆者の陰謀論的な直感は間違っていた。人生折り返し地点までの有病率は、年月をかけて緻密に行われた↖ニュージーランドの研究「ダニーデン出生コホート研究(PMID:32315069)」から導き出されていたのだ。
同研究は、1972年から73年にニュージーランドで生まれた男女約1000人(当初の参加者1037人)を対象とし、参加者は出生から45歳迄(2019年4月まで)観察された。精神疾患については11〜45歳までに9回の評価(過去1年間の精神症状に関する面接など)を行った。脳機能は、神経認知検査(3歳)、神経心理学的検査(小児期と成人期)、脳年齢の検査(中年期)で評価した。
その結果、精神疾患の基準を満たす参加者の割合は11〜15歳で35%、18歳で50%、21歳で51%、26歳で48%、32歳で46%、38歳で45%、45歳で44%となった。精神疾患の発症は参加者の59%が青年期までに起こり、45歳まで累積すると86%が少なくとも1つの精神疾患の基準を満たした。精神疾患は回復力や環境に恵まれて自然に治る人も多いが、人間のほぼ全員が生涯に一度は精神疾患を経験することが明らかになった。
この調査結果を一般向けの講演やエッセイなどでも紹介している精神科医の大野裕さんは語る。「日本で過去に行われた有病率の調査は、漏れがあっ↖て低く出る傾向がありました。特に、私も関わった統合失調症の地域調査はスティグマの問題などで正確に行えませんでした。今回のニュージーランドの調査結果は、世界的に見ても一番正確な数値と言えます」
同研究では、複数の精神疾患を合併する人が多いことも分かっている。45歳までに精神疾患の基準を満たした参加者のうち、85%は別の精神疾患の基準も満たすなど、精神疾患のライフヒストリーは患者ごとに様々だった。そこでこの論文では、人生の一断面だけを基にした安易な診断を戒めつつ、過去や未来にも目を向けるアプローチを次のように推奨している。
「精神保健分野の研究者や臨床家は通常、患者の人生のある時点でその患者に遭遇し、その時点で診断可能な障害を研究したり、治療したりする傾向がある。このような短期的な見方は、患者は現在の診断名で十分に特徴づけられるという考えを助長する」「ライフコース・アプローチには2つの臨床的意味がある。第1に、過去↖に目を向けることで戦略的な治療計画が可能になる。これを支えるために、専門家による病歴聴取を優先させる。第2に、未来には患者の多くが多様な精神疾患を経験するので、治療は現在の症状緩和だけでなく、永続的な精神的健康を維持するためのスキルの構築が欠かせない」
精神疾患を場当たり的な薬物療法だけでしのぐ対応では、良い結果を出せないことがこの研究からも分かる。大野さんが長年普及に取り組んで来た認知行動療法の知識を若者にも浸透させ、心の免疫力をアップさせることも、極めて大事なアプローチになるだろう。
ジャーナリスト:佐藤 光展
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