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未来の会

医療界におけるジェンダー問題

医療界におけるジェンダー問題
第⑦回 男性がデフォルトの社会で女性は活躍出来るのか

ピアノを習っている女性は多い。子供のピアノの発表会に行けば、参加者の多くが女児である事は一目瞭然である。しかし、「有名なピアニストは誰か?」と問われたら、男性ピアニストを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。何故、名声を獲得するピアニストは男性が多いのだろうか。ピアノの技術習得の過程に性差が関係するのだろうか。

ピアノは男性向けの製品?

1つ考えられる要因が有る。女性は一般的に男性よりも手が小さい。女性の平均的な手の幅は約17.8〜20.3cm、標準的な鍵盤の1オクターブの幅は約18.8cmであり、成人の女性ピアニストの87%はこの鍵盤では不利になると報告されている。女性ピアニストは男性ピアニストに比べて名声を獲得しにくいだけではなく、痛みを感じたり、怪我をしたりするリスクが約50%も高い事も報告されている。

手にフィットした鍵盤でピアノを弾く事が出来れば、女性ピアニストの不利が多少なりとも解消されるかも知れない。ピアノの鍵盤が男性向けに大きなサイズの儘になってしまっているのは何故なのだろうか。性差と関係の無い万人向けの製品が、男性向けに設計されてしまっている為に、女性が不利益を被っている例は意外と多い。

女性の体に合わない個人防護具や手術機器

コロナ禍の最前線、発熱外来の現場を見てみよう。歴史的に見て、PPE(個人用保護具)は欧米の白人男性の平均的な顔や体のサイズや形状に合わせて設計されて来た。医療現場の最前線で働く人の少なくとも75%が女性である中で、主として男性向けのPPEが供給されて来た事になる。COVID-19のパンデミック下にこの問題は顕在化した。Jansonらの報告によると、男性(13.3%)の4倍以上の女性(54.8%)が、耐水性の手術用ガウンが大きいと回答し、男性(28.6%)の約2倍の女性(53.5%)が、サージカルマスクが大き過ぎると回答した。ゴーグルやフェイスシールドについては、丁度良いサイズであると回答した男性が73.3%、女性が45.8%と統計学的な有意差を認めた。PPEを正しく脱着する事はウイルス対策の鍵であり、フィットさせたいと考えるあまり、個人でPPEを改造する等感染対策上の問題も起きていた。個人で改造すれば厳密に正しい脱着が出来なくなる可能性が有る。又、COVID-19パンデミック下に、自分の役割が安全だと感じた男性は半数以上であったのに対し、女性は3分の1以下に過ぎなかった。医療機関が体にフィットする正しいPPEを確保する事は、職員の感染対策上、職業安全上、職場満足度の観点上も重要なのである。

手術室ではどうだろうか。人間工学的な性差としては、一般的に女性は男性よりも身長が低く、手袋のサイズが小さい事が挙げられる。手袋は様々なサイズが有り自分に合う物を選ぶ事が出来るが、手術器械のサイズとデザインは男性や背の高い人向けに設計されており、選ぶ事が出来ない。この結果、女性は男性よりも筋骨格系の痛みを経験しがちである。痛みスコアが高い事は、仕事への満足度の低さ、燃え尽き症候群、他者への冷淡さと正の相関が有ると報告されている。人間工学に配慮が無いと、トレーニングの進み具合や外科医のキャリアアップの障害となるだけでなく、余暇活動や生産性にマイナスの影響を与え、外科専門分野の魅力が更に低下するという。

男性の手に合わせて作られた手術器械を操作するのに、女性の手では握力を発揮し切れないという問題も有る。外科領域では、女性の外科医の存在があまり注目されていないのかも知れない。「外科医といえば男性」という無意識のジェンダーバイアスがまだ拭えていないのだろう。

消化器外科の手術では、自動縫合器を用いた消化管吻合を確実に行う事が要求されるが、手の小さい外科医、特に女性にとってこの手術操作はしばしばストレスになる。女性は男性より手の長さが短く、最大握力が得られる握り幅が狭く、最大握力も弱いからである。手の長さの平均は、日本人男性189.6mm、日本人女性175.4mmであるのに対し、アメリカ人男性は202.0mm、アメリカ人女性は181.7mmである。利き手の平均握力は、アメリカの男性外科医62.2kg、女性外科医36.7kg、日本の男性消化器外科医44.2kg、女性消化器外科医29.7kgと報告されている。自動縫合器を使用する際には、両手でグリップを一気に握り込む必要が有る。手の小さい外科医にとっては、グリップの幅が少し狭い方が手にフィットして握り込み易い。現状では、日本人女性外科医は自分の手にフィットしない大きな自動縫合器を扱わなければならず、手の能力と装置の特性との間に人間工学的な不整合が有る事が分かる。

ここで「女性は手も握力も小さいので手術に向かない」という理屈にはならないだろう。もしそう言うなら、日本人男性もアメリカ人男性と比べると手術には向かない事になる。手の大きさや握力に関係無く、全ての外科医が手術器具を快適かつ安全に操作出来るようにする必要が有る。それは患者に提供する医療の質の向上にも繋がる。人間工学に基づいた医療機器開発は重要だ。

人間工学を考慮した職場環境を

クリストファー・ドニソンという平均より手の小さい男性ピアニストがいる。ドニソンは手が小さい事でピアノの演奏に苦労したので、手が小さい人向けの新しい鍵盤作りに取り組んだ。そうして設計された7/8DS規格鍵盤によって、ドニソンはより楽にピアノを弾く事が出来るようになり、単なる運指の繰り返し練習にあまり時間を割く事無く、自分の求める音を追求出来るようになったという。ドニソンによると、手が小さいのではなく、鍵盤が大き過ぎるのだった。しかし、残念ながら、この鍵盤の導入は中々進んでいない。

Chiらの研究によって、ピアノの鍵盤サイズは、筋肉の筋活動レベルに影響を与える事が示された。更に、この影響は、演奏者の手の大きさによって変化した。手の小さなピアニストは、より小さなサイズの鍵盤を使用する事で、演奏中の筋力消耗を軽減出来る可能性が有る。平均的に男性よりも手の小さい女性だけでなく、手の小さい男性にとっても、小さなサイズの鍵盤は福音となり、新しい門戸を開く可能性が有るのだ。

先に紹介したJansonらのPPEに関する調査によると、一部の男性もPPEのフィット感に支障を感じていた。女性向けの小さめサイズのPPEを提供出来れば、体格の小さい男性にとっても有用かも知れない。

ピアノにせよ、PPEにせよ、手術器械にせよ、体にフィットした物を使用する事がパフォーマンスの向上に繋がる。開発時には男性をデフォルトに制作したのかも知れないが、これだけ女性の使用者が増えた今、女性にフィットした製品を開発し、現場で準備しておく必要が有る。又、手術器具の問題が多少なりとも女性外科医の手術を妨げているのであれば、これを改善する事には意味が有る。カナダの大規模な登録分析によると、女性外科医が治療した患者は、男性外科医の患者と比較して、30日死亡率、入院期間、合併症、再入院が少なかった。パフォーマンスやスキルの向上に影響する不利な環境下でも、女性外科医が努力を続けている事が窺える。装備や医療機器を含め、人間工学を考慮した職場環境を提供する事によって、更なる向上が見込まれるだろう。医療機関で採用する器具や装備の購入に際しては、女性の使用者の意見を汲み上げているか、今一度見直して頂きたい。

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