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未来の会

第4回ゲスト 中林 正雄

第4回ゲスト 中林 正雄

ゲスト:中林 正雄
社会福祉法人恩賜財団母子愛育会
総合母子保健センター 所長 

GUEST DATA:中林正雄(なかばやし・まさお)① 生年月日:1942年10月29日 ②出身地:東京都 ③恩師:坂元正一先生(東京大学産婦人科学教室主任教授・東京女子医科大学母子総合医療センター 所長・母子愛育会総合母子保健センター所長) ④好きな言葉:「誠意」「置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)」「Nobles oblige」 ⑤幼少時代の夢:父を超える産婦人科医 ⑥将来実現したいこと:少子化対策、WHO: “the first 1,000 days of life”、産後ケア、母子相談事業の充実、子育てに関する社会への啓蒙、電子母子手帳の普及

 1942年、父中林信一と母サワの長男として東京都豊島区に生まれました。父信一はʼ41年東京大学医学部を卒業し、東大分院の産婦人科に勤務していたので、そこの助産師さんの立ち合いで自宅出産でした。私が6歳のʼ49年に父が墨田区向島の百花園前に開業。向島の下町育ちです。

名門開成中学入学

 小学生の頃の両親は病院で多忙でした。放課後は近所の友達と暗くなるまで空き地や川で遊んでいました。交通安全週間に書いた作文が警視庁で表彰され誇らしかった事を覚えています。のんびりした性格でしたので母が「この子は公立より私立の方が向いている」と開成学園を受験し無事に合格。開成学園は中・高一貫教育の男子校で運動会、マラソン大会、水泳合宿などに熱心に取り組む質実剛健の校風でした。全く泳げなかった私が特訓のお陰で開成名物の遠泳も達成。スパルタ教育でしたが楽しかったです。卒業して60年になりますが、今でも開成の人脈で助け合う事が多くあります。父の東大同期の自治医大教授松本清一先生は開成の大先輩で、子供の頃は鎌倉のご自宅に父に連れられ海水浴に出掛けていました。開成の仲間は私の宝物です。

自然と医師を目指すように

 兄弟は姉と妹の3人です。個性を尊重する教育方針でした。長男なので子供の頃から父の跡を継いで中林病院を継ぐものと思っていました。千葉大学の医学部に入学後はテニス、スキー、海外でのホームステイなど楽しみながらのんびりと過ごしました。大学では後に妻となる1年後輩の清美と臨床研修時に知り合いました。そして3人の子供に恵まれ、今では3人がともに産婦人科医となり実家の中林病院院長の母親を助けている。こんな嬉しい事はありません。昨年中林病院は創立70周年を迎え、地域医療に若干なりとも貢献する事が出来ていると思っています。家族には感謝しています。

 卒業前に父から「お前は勉強不足だから臨床に入る前に基礎の教室で学ぶのが良い」との助言で免疫病理学教室に入りました。博士論文は「実験腎炎の免疫学的検討」です。その後、大学院修了後に米国コロラド州立大学に留学。切っ掛けは実験腎炎の研究時に、免疫学と血液凝固系線溶系に興味を持った事です。デンバーはロッキー山脈の麓にあり、標高1,600メートルの高地という事から、血液が濃縮して血栓症が多い地域で、その分野の研究が盛んで充実した研究生活を経験しました。デンバーは公園の中に町があるような自然溢れる美しい都市で、週末は家族や友人たちとピクニックやロッキー山脈や湖、アスペンスキー場などの旅行をして人生を満喫しました。アスペンには有名レストランが勢揃いしている事にも驚きました。一生の思い出です。

産婦人科医として充実した日々

 帰国後のʼ73年東大産婦人科で臨床指導に熱心で医局員からカリスマ的リーダーとして尊敬されていた坂元正一主任教授の医局に入りました。同期は10人で武谷雄二先生(後に東大病院院長)とは今でも仲良くしています。

 東大では臨床研修をしながら妊娠中毒症(現・妊娠高血圧症群)やDICなどを研究しました。坂元先生が会長として開催された世界産婦人科学会等、多くの学会の組織運営も学ぶ事が出来ました。東大助手を経てʼ82年、東京都教職員互助会の三楽病院へ科長、部長として就任。ここは分娩が月に100件、開腹手術が年間400件あり目が回るほど多忙でしたね。竹田省先生(現・順天堂大学教授)、馬場一憲先生(現・埼玉医大総合医療センター教授)、綾部琢哉先生(現・帝京大学教授)などが一緒で良い人材に恵まれたと感謝しています。

 ʼ84年、坂元先生が東大を退官。東京女子医大新設の「母子総合医療センター」の初代所長に招聘され、私も産科部門の助教授として呼ばれ、新生児科(NICU)の仁志田博司助教授と2人が軸となり母子センターを運営しました。ここは心臓病、消化器疾患、糖尿病、腎臓疾患など多くのセンターがあり、ハイリスク出産が多く、臨床医の知識や技術はこの時期に磨きがかかったと思います。多忙な日々でしたが、現在の東京女子医大理事長岩本絹子先生から「教授はお付き合いゴルフも必要」と先生のホームコースで初プレー。今では家内と一緒にゴルフを楽しんでいます。

秋篠宮紀子様のご出産を担当

 ʼ97年、秋篠宮両殿下ご臨席の下、第29回国際妊娠病態生理学会を会長として開催。懇親会では英語に堪能な紀子妃殿下の周りに多数の参加者の輪が出来ていたのが印象に残っています。東京女子医大の時に坂元先生が主治医、私が産科を担当し宮内庁病院で秋篠宮眞子様がご誕生され、その3年後には佳子様がご誕生されました。悠仁様のご出産は前置胎盤でしたので帝王切開と決まっていました。皇室医務主管金沢一郎先生が「主治医の中林さんがいる愛育病院が一番安全安心である」ということで主治医の私と安達知子産婦人科部長(現・愛育病院院長)、上妻志郎東大産婦人科教授が手術を担当しました。

 2000年、母子愛育会総合母子保健センター所長になられていた坂元先生のお誘いで副院長として移り、2年後には院長に就任。愛育病院は上皇様のご生誕を記念して昭和天皇からのご下賜金により設立された歴史のある母子病院です。ここで私が目指したのは、1つは妊産婦の安全を確保しつつ快適性を向上させる事です。基本方針は「分娩は人手のある施設で、妊婦健診はクリニックで」です。もう1つは医師の待遇改善とチーム医療の推進です。産婦人科、小児科ともに女性医師が多いので、仕事と家庭の両立が出来るシステムを整備して実施しています。現在、私は母子愛育会総合母子保健センター所長として、愛育病院と愛育クリニックの運営管理が主な仕事です。

 ʼ15年には芝浦に新病院を開設。10階建てのビルに産婦人科90床、小児科系(含NICU、GCU)70床、合計160床の病院です。愛育病院と愛育クリニックは密接な病診連携を実施しています。


インタビューを終えて
東大産婦人科医の長男として生まれ、夫人とご子息の親子5人、そして三男夫人も産婦人科医という一家を作り、昨年は中林病院が70周年を迎えた。中林先生の人間的魅力は穏やかな人柄と有事に遭遇しても泰然としている心の強さや心の余裕なのか。どんな時にも決して動じない。どんな事態にも対処出来る自信が裏付けにあるからに違いない。その魅力に多くの先生方や患者の皆様が集まる。恩師坂元正一先生も終生、中林先生を離す事が無かった。その実力が宮内庁からの指名となった。今後は出生数向上に取り組むと共に働き方改革で愛育病院の舵を取る。


第4回私と医療_中林正雄

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