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未来の会

個人の性の在り方を人格に統合させて

個人の性の在り方を人格に統合させて

松永千秋(まつなが・ちあき)東京都生まれ。早稲田大理工学部・浜松医科大医学部卒業。同大大学院修了。米国立保健研究所・ジョンズ・ホプキンズ医科大研究員。浜松医科大医学部精神科講師、附属病院病棟医長、外来医長。日野病院副院長を経て、2012年開業。


第28回 ちあきクリニック(東京・自由が丘)院長
松永 千秋 /㊦

幼少期から男性として生きることに疑問を抱き、その解決のため精神科医になった松永千秋は、1日も早く一人前の医師になることを望んでいた。

 女性として暮らしたい、同じ障害を抱える患者を手助けしたいと、懸命に努力した。

 1987年に医師免許を得てから1年間勤務した沖縄の病院から戻ると、博士論文のための研究に熱心に取り組んだ。

 精神科医として臨床の修行に追われた。医学生時代に長女も生まれていた。

 自分の性別への違和感という1点を除けば、公私共に満ち足りていた。

 博士論文の評価は高く、米国留学の機会も得た。もっとも、性同一性障害(Gender Identity Disorder;GID)を究めたくても、日本はおろか米国にも研究できる場所はまだなく、基礎薬理学を専門に据えていた。

 帰国後、順調に母校・浜松医科大学の講師にまで昇進した。教授も代替わりしており、伝統でがんじがらめの大学を出て、故郷の東京に戻りたいという思いは募っていた。

 2002年に人事で浜松労災病院に移ったのを機に医局を離れる決断をし、2003年に横浜の精神科病院、日野病院に就職した。

職場や家族への公表と開業への道

 世の中には次第にGIDの人の人権に配慮し、その生きにくさを理解しようという気運が生まれつつあった。

 2004年、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)が施行された。一定の条件を満たす性同一性障害者について、家庭裁判所の審判を経て、戸籍上の性別を変更でき、新しい性別での婚姻も可能になった。GIDを医療で救済しようというのが法の目的で、20歳以上、結婚していない、性別適合手術を受けている……などが条件となった。

 大学と距離を置いたこともあり、法制定後、松永の服装は次第に女性らしいものに変わり、一部の患者からは女医だと思われた。そして、戸籍名を変えることにした。

 次に、望む診療を形にすることを決めた。GIDを専門的に診療する医療機関はまだ少なかった。2008年に性同一性障害の専門外来を開きたいと病院に提案した。困っている人に手を差し伸べようという姿勢は法人の理念にも合致した。

 この障害について松永は誰よりも詳しかった。そして、杓子定規にしか患者を診ていない精神科医がいることにもどかしさを感じ、それを変えたいと思った。

 「『異性の体に閉じ込められている感覚がないとGIDではない』とか、単なる服装の嗜好か、それとも心の中まで別の性か、真偽を見極めようとするような診療スタンスは受け入れがたいものだった」

 専門外来開設に先立ち、病院の全職員に対して、GIDとはどんな障害か、どう対応すべきか、どんな治療をするのかを講義した。

 当初は週に半日だけの外来だったが、口コミで評判が広がり、遠方からも訪れる患者が増えた。すぐに予約は埋まり、週1日に増やしてもらった。1年間奮闘した結果、病院内でGIDに対する理解が進み機が成熟してきた。

 自分も当事者であることを公にすると、ごく自然に受け止められたようだった。

 自分らしく生きる望みは遂げられつつあった。時代も少しずつ前に進んでいた。

 1960年代のブルーボーイ事件では、優生保護法(現・母体保護法)下で正当な理由なく生殖機能を失わせたと、性転換手術を行った医師が裁かれた。

 1996年、埼玉医科大学が外科的性転換も治療の一手段として認めるよう答申を出し、日本精神神経学会で『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』が策定された。同大では、これに沿って、日本で初めて正当な医療として性適合手術を実施した。

 松永の専門外来も順調だったが、大きな医療法人の中では、どうしてもままならぬこともあった。GID診療のためのホルモン療法等は自費診療になるが、そうした治療は日野病院では認められなかった。

 松永は、さらに理想に近付くために開業を決意した。2012年に東京・世田谷区にクリニックを開き、手狭になったことなどから、2016年に現在の自由が丘駅前に移転した。

 産み育ててくれた母、兄、姉、弟のきょうだい3人に対しても、自分がGIDであることを伝え、理解を得た。そして妻は、クリニックを立ち上げる時から、事務長として二人三脚で支え続けてくれている。

自分が作った“モデル”を大事にしてほしい

 ちあきクリニックを訪れる患者の約7割はGIDの患者で、下は4歳、上は70代と幅広い。

 米国精神医学会『精神疾患の診断・統計マニュアル』は、2013年の第5版(DSM-5)から、「性別違和(Gender Dysphoria)」という診断名が採用され、性別への違和感が強調されるようになった。

 日本人の2万人に1人強が戸籍の性別を変更しているという。松永は、違和感を抱える人はその何百倍もいるかもしれないと考える。

 「心や脳の性別が体と異なるから、単純に体を近づければいいというのではない、その人に合った性の在り方を人格全体に統合させる。それを助けるという本来の治療を志している」

 ただし、自分もGIDの当事者であることを、患者にあえて話すことはしない。

 主治医がロールモデルになると、患者が「こうでなくてはならない」という意識を強く持ち過ぎる恐れがあるからだ。

 「“透明な存在”になることで、患者はそこに自身の気持ちを投影することもできる。自分で作るモデルを大事にしてもらいたい」

 患者の声に熱心に耳を傾ける傍ら、講演など啓発にも力を入れている。

 2016年にはGID学会研究会の大会長を務めた。患者が小学生や中学生の場合、学校に出向き教師などを対象にGIDについて説く。

 患者の家族が、無条件にGIDを受け入れているわけではない。複雑な思いがありながらも受容している。理想の診療を求め、今も模索は続く。(敬称略)

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