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未来の会

私の海外留学見聞録 50
〜ハートランド生活:牛とトウモロコシに囲まれて〜

私の海外留学見聞録 50〜ハートランド生活:牛とトウモロコシに囲まれて〜

杉山 温人 (すぎやま・はるひと)
社会医療法人厚生会 中部国際医療センター 病院長/国立国際医療センター 名誉院長
留学先: 米国クレイトン大学(1989年〜91年)


私が海外留学したのは、1989年7月から91年12月までの2年半で、もう35年以上も前の事になります。あまりにも昔のことで、今の若い人のお役に立つかどうか不安ですが、古いアルバムをめくって、おぼろげな記憶を手繰りながら書いてみます。

私が留学した頃、所属していた医局(東京大学物理療法内科)では、助手になった後で休職制度を使い海外留学するのが普通でした。私もその例にもれず、助手となり半年が過ぎた頃、教授室に呼ばれ、宮本昭正教授から留学の打診を受けました。米国立衛生研究所(NIH)でIgEの研究をするか、ネブラスカの大学で好酸球の研究をするかの2択です。すなわち、東部の洗練された町か中西部の“ザ・アメリカ”の町かの選択です。

当時、気管支喘息の病態に好酸球が深く関与していることが明らかになりつつあり、好酸球の研究は面白いテーマだと考えていました。また、物価が高い都会に行くより、のんびりした田舎も面白いかと考えて、ネブラスカ州のクレイトン大学を選びました。アレルギー部門のTownley教授は宮本教授の古くからの友人であり、以前は物理療法内科から多くの医師が留学していた時期もありましたが、ここしばらくは途絶えていました。ほぼ10年ぶりの再開となった訳です。

クレイトン大学のあるオマハはネブラスカ州第1の都市ですが、一般の米国人にとってオマハと言えば、田舎の代名詞でした。恐らく人口よりも牛の数の方が多い、牛とトウモロコシで有名な町です。乗り継ぎも含め、ほぼ丸1日近くの時間をかけて、ようやく大学のあるオマハに到着しました。それから1週間近くの間に住居を決め、家具や車を購入するなど、慌ただしく準備を整えましたが、研究室の日本人留学生の助けがなければ、到底不可能だったでしょう。当時、Townley教授の研究室には岡山大学第二内科からの留学生が2人在籍していました。名部誠先生と宮川秀文先生のおふたりです。右も左も分からない土地で、生活用品を一から揃えるのは至難の業です。嫌な顔一つ見せず、求めに応じて色々と案内してくれた宮川先生には感謝しかありません。

生活用に信頼の置ける日本車を購入

留学生活は2年くらいだろうと考えていたので、高価な買い物はせず、お買い得品ばかりを見繕いましたが、車だけは奮発しました。当初レンタカーで走り回っていた時、高速道路の路肩に、古びた車が乗り捨てられている光景を何度も見ました。米国には車検がなく、定期的な点検は所有者の責任で任されています。古くなって、整備が不十分な車は突然動かなくなり、打ち捨てられる訳です。夏は酷暑、冬は極寒のため、車が故障したら命に係わる事態に繋がりかねません。そこで、新車、それも信頼の証である日本製のセダンを選択しました。元々車好きで、日本ではクーペを乗り回していた私にとって、初めてのセダンでした(2歳の長男を同行していたので、チャイルドシートを装備できるセダンは必須)。

研究室では、既に名部先生と宮川先生がヒト好酸球を使った実験を行っており、後から入った私は別の研究テーマを考えることになりました。日本を出る直前にマウスを使った喘息モデルを確立しようとしていたこともあり、動物モデルを候補に挙げました。ちょうど、Townley教授がモルモット用のBody plethysmograph体箱肺機能検査装置)を購入したこともあり、この装置を使って抗原吸入誘発後の二相性反応を再現させようと考えました。ただし、実験を行う部屋がありません。そこで、助教授の居室の一部に実験装置を設置することになり、彼が不在の時に実験を行いました。マシンガントークの実験助手はいましたが、簡単な説明だけで大して助けてくれることはなく、後は1人きりです。モルモットの世話から、感作、吸入誘発を行う一連の実験は結構孤独な作業でした。特に吸入誘発を行う時は、誘発後最低でも8時間後まで呼吸抵抗を計測します。朝早くに始めても夜6時を過ぎることになります。普段は夕方5時に帰る生活が、この時だけは超過勤務です。他の研究室を見ても、5時を回ると部屋の電気が消えてしまいます。いつまでも研究室の灯りがともっていた日本とは大違いでした。

最初に住んだアパート周辺には他にも日本人留学生が住んでいました。ネブラスカ州立大学呼吸器科にはStephen Rennard教授が在籍しており、主として気道上皮細胞の研究を行っていました。その研究室には物理療法内科出身の先輩も在籍していたほか、同大学で移植が盛んだったこともあり、外科系医師の留学生も多く在籍していました。アパートの庭の向こう側がゴルフ場で、仕事後によく出かけましたが、結局ゴルフはモノにならずに終わっています。留学生家族が集って、バーベキューパーティーをして親睦を深め、

▲息子のナーサリースクールの晩餐会にて(左から4人目が筆者、その右が妻)
休暇を機に米国各地を周遊

オマハ到着の1カ月後に妻の妊娠が判明しました。この時はつわりがひどく、何か気晴らしが必要と考え、休暇をもらって遠出することにしました。目的地は西のイエローストーン国立公園です。買ったばかりの新車でひたすら西を目指します。大統領の顔の岩で有名なマウントラシュモア、映画『未知との遭遇』で知られたデビルズタワーを経由しての旅です。途中、山越えの経路でしたが、山頂は一面の雪に覆われ、人の気配が全くありません。こんなところで車でも故障したら行き倒れになると思い、新車のありがたさに安堵した次第です。この旅行に味を占めて、その後、各地を回りました。ラスベガスからグランドキャニオン、サンフランシスコからヨセミテ、シアトルからカナダのバンクーバー——。米国西半分の主だった国立公園は制覇したつもりです。研究に行ったのか旅行に行ったのか分からないと揶揄されそうですが、充実した日々でした。

契約の2年間が終わる前に、Townley教授からこのまま残って臨床医を目指す気はないかと誘われました。米国内で医師免許を取得するには米国内からの方が断然優位です。モルモットの実験による研究でグラントも獲得していたため、少し心が揺れましたが、米国人に伍してやっていける自信がなく、結局お断りして91年12月に帰国しました。

私の場合は、助手の休職給与に加え留学先からのサラリーがあり、少ないとは言えダブルインカムという恵まれた留学でした。現在では望めない境遇です。また、米国内のインフレは凄まじく、特に家族を帯同しての留学は経済的に大変だと思います。しかし、自らの働き方を見直し、異なる文化での生活、日本では経験できない大自然の雄大さなど、ハンディ以上に得られるものは少なくありません。長い人生のひと時に、少し立ち止まって異なる環境に身を置き、自らのキャリアを考えるのも悪くはないと思います。昨今、日本人の内向き志向が強まり、海外に出る人が少なくなっていると仄聞します。世界は広く、いろんな人がいます。違った文化に触れて一皮むいてみませんか?

▲ボランティアで英語を教えてくれたルーシーさん夫妻と筆者の家族

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